チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



kodamaより・・・ここに書いたものは、私が主に、フレーズ・コトバ・文・イメージ・

ビジョン・インスピレーションとして受け取り、感じたものを文章にしています。

ガイドによると、そこには、私達がイシキを投影しているこの現実世界の

二極性(陰・陽)の二元論(良い・悪い)・コトバという狭い表現・私の翻訳という

幾つものベールがかかっています。

そこで、読んでいただく際には、それらのベールの向こうを見透かすような

眼光(がんこう)紙背(しはい)に徹(てっ)す

《紙の裏まで見通す意から書物の字句の背後にある深い意味をも感じ取る》

・・・といった感覚を持っていただくこと、・・・それは別の言い方で言えば、あなたの内なるフィーリングで感じ、

又、あなたの内なる自己が真実と感じるモノだけを受け取る・・・、ようにすることです。

しかし、同時にこのベールの向こうを見透かすように読み、又ワークを試すことが、

あなたや私自身のイシキを開く、イシキの変容、内なる本質との再統合、

チャネルを開く、ヒーリングなどの練習となっているそうです。

私自身これらを書くことによって、日々、深い癒しや気付き・変容を感じています。

そして、以前に書いた文章は、その気付きと共に加筆修正してゆきますので、

常にどのページも制作中と捉えて頂きたくお願いします。

(・・・私自身、何も見えない状態で書いているため、少しでも見え始めると、

ガイドの言った本当のイミをようやく理解し始め・・・それは、真に「知る」まで続くからです)


評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第20章

「ただ在る」こと・@

★「ただ・・・愛を送る」ワーク


YouTube録音動画

  


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

すべてのものは、「ただ在る」のです。

それは、空として、太陽として、月として、花として、様々なモノとして、

・・・「ただ在る」のです。

そして、あなたもまた、「ただ在る」のです。

 

自分本来の在り方(悟りへの道)を探求する時、「在るがままでいる」・・・とか

ただ在る」ことを学ぶ・・・などと言われることがあります。

 

けれど、あなたはすでに悟っていて、あなたはすでに「ただ在る」ので、

それを学んだり、そう成ろうとしたり、そのように在ろうとすると、

そのことが、逆にあなたを混乱させてしまうことがあるのです。

 

それは、例えて言えば・・・カラダが自然にしている細胞分裂を、

あなたがイシキしてやるように言われているような感じ・・・、とでも言えるでしょうか。

 

では、カラダが自然にしている細胞分裂のように、

ただそのままにしておけば良いかというと・・・、

幻想の現実世界を超え、覚醒し、アセンション・再統合を選択するならば、

やはり「悟り」や「ただ在る」ことについて、あなた自身がまずは知識として知り、

 

その知識を使って、あなたが実際に試して進み、

すでに、常に、永遠に在る、あなたの内なる源の「ただ在る」ことを、あなた自身で体感し、

どんな時も「ただ在る」・・・「本質のあなた」を現し続けてゆくことが大切でしょう。

 

そこで今回は、あなたの「ただ在る」ことについて、お伝えしてゆきたいと思います。

 

これは、あなた自身が自己の「ただ在る」ことを見えるように成りゆくための、

そして、「ただ在る」ことから離れていないことに気付くための、小さな旅です。

では、あなたの「ただ在る」旅を始めましょう。

 

さて、あなたが「ただ在る」ことを知りたいと思うのであれば、

まず一番始めに大切な事は、「知る」に「成る」ためのワーク でお伝えしたように、

あなた自身で、それをすでに、知っていると決めることです。

たとえば、「私はただ在る」・・・「私はただ在ることを知っている」・・・といったように。

 

そしてその後、そのことを見えなくしているモノを知識として知り、

自己の「ただ在る」ことを体感し、それを何時でも感じられるようにし、

また、自己の「ただ在る」ことを、「イシキ的に観察する」という、

立ち位置」を持つ事を提案させていただきたいと思います。

 

それでは、まず「私はただ在る」「私はただ在ることを知っている」と決めて下さい

(あなたの好きな言い方や他のコトバを使ってもかまいません)

 


ただ・・・愛を送る

 

さて、あなたは確かに、すでに、常に、永遠に、「ただ在る」・・・のですが、

その「ただ在る」ことを「見えなくさせている」ことやモノやとき・・・があります。

どのくらい見えなくしているかは、常時から時折まで、

大きくから小さくまで・・・、人によって様々です。

 

また、あなたは、かつても、いまも、これからも、

ただ在る」・・・ことから、決して離れたりは出来ないのですが、

あなたが「離れているかのように」なってしまうことも多くあります。

 

あなたの 「ただ在る」こと・・・、

それは本当に、「ふっ・・・」というほどの一呼吸、あるいは薄い布や紙一枚、

見る視点を少しずらすだけ、・・・というような、

いま・ここ のあなたの内に在るものなのです。

そしてあなたは何度も、あるいはごくたまにその状態に在るのです。

 

そして、その一呼吸、薄い布や紙一枚、見る視点のずれ・・・などによって、

これまでのあなたの体験の、極から極への過激さが

味わい尽くしてこられたこともまた確かなことなのです。

 

いつの時にも、かつて起こったこと・・・、そのすべてが完全であったのだ・・・、

とあなた自身が受け容れることが出来た時、

あなたは次へと進む「扉の鍵」を手に入れることが出来るのです。

 

そのためには、それら喜怒哀楽の極から極への体験を、

あなたなりに修め続けてゆくことです。

 

何故なら・・・、あなたがそれらを受け容れ、修めてしまわない限り、

そのことは、あなたにとっては、いまもまだ終わっていないことになり、

あなたのその抵抗感は、これからもまたあなたの体験を創造する要因となって、

あなたの宇宙に現れて来てしまうから・・・です。

 

あなたがそれらを受け容れた時、始めて、あなたの中の分離感が統合出来て、

あなたは、自分のパワーを新たな創造に使うことが出来るように成るのです。

 

しかし、過去を受け容れよう、愛そう・・・としても、受け容れられなくて愛せないからこそ、

あなたは過去のその部分に索引や付箋を付けて、

何度もタイムトラベルしてしまうのでしょう。

 

そこで、「手放す」などの様々な方法が役立つのですが、

ここでもうひとつの「手放し方」をお伝えしてみましょう。

 

「ただ・・・愛を送る」ワーク

 

落ち着いてリラックス出来る状態で、あなたの過去をさかのぼり、

自分のイシキが囚われている部分が無いかどうかを、ひとつずつ探ってゆきます。

囚われている部分には大抵の場合、あなたは索引や付箋を付けていますから、

良く見えやすい部分から、「ただ・・・愛を送る」ことを試してみましょう。

 

ただ・・・愛を送る」・・・とは、あなた自身の感覚で良いのです。

「こうである」・・・というような決まりがあるものではありません。

 

以前お伝えした「ハートを感じる・源を感じる」などで、まずあなたのハートや源を感じ、

そこから、あなたが感じる「愛のフィーリング」を、

あなたが思う場所や時や人や記憶や感情感覚に向けて、

ただ・・・送る」と、思う・・・感じる・・・だけです。

実際にやってみて、あなたなりの体感を通して、ご自分で掴んでいってください。

 

そして、この方法で「ただ・・・愛を送る」ことをした後、

しばらくしてからそのことをもう一度感じてみましょう。

以前よりも抵抗感が薄れていたり、無くなっていたらうまくいっています。

 

あなた自身が索引や付箋を付けていなくても、

自分でも忘れているような、癒されていない、抵抗感のある部分があるかもしれません。

 

幼少期から今現在に至るまで、ひとつひとつ細かく記憶を辿って見てゆき、

全てを癒しておくことは、あなたのこれからの創造と覚醒の為に大いに役立つことでしょう。

どうぞ、時間をとってこのワークを行って下さい。

 

(ブログ・・・ただ・・・ほど高いモノは無い・・・「ただ愛してあげる」ことで手放した体験)

 


あなたの 「ただ在る」ことを 見えなくしているもの

 

あなたの「ただ在る」ことを見えなくしているモノは、一体何なのでしょうか?

・・・それは、一言で言えば「情報」です。

 

前述したようにあらゆる情報(思考、感情、想念、記憶)は、いま・ここに

あまねくあなたを取り囲み、溢れ、降り注いでいます。

 

あなたに聞こえたり見えたりしているものは、

その情報の中のほんの一部分でしかなく、

大半は気付かぬうちに、あなたへともたらされ続けています。

 

あなたは、その情報の海の真っ只中にいる一滴の海水であり、

そして、その情報は、あなたや人類の体験・経験を通して、

常に加えられつつ無限へと拡大し続けているのです。

 

さてここで、あなたは自分の頭で考えついたことは、

ただの一度もないと言うことをお伝えしたいと思います。

 

それは、あなたの脳は考える器官ではなく、感じたことや波動をこの現実世界で使える

コトバや概念に創り変える・・・変換するものだからです。

 

人は、「これは私が考えた」と言いますが、

それは実はこんな風にもたらされているのです。

 

・・・あなたはある体験を通してまず「反応」をします。

この「反応」は、「情報の海」や、体験・経験による「自己の記憶」を使って行っています。

 

あなたはその「反応」を、極性という幻想を使って「二極」に振り分けます。

例えば・・・これは良いか、悪いか、というように・・・。

あなたはこれを、「社会イシキ」や「自己の記憶」などの

様々な「情報」を使って、ふと「感じて」います。

 

次に、あなたは自己の魂のデータの中から、

その、ふと「感じた」ことと似たような「感情」を取り出してきて、

そこに、いまの時点でのあなた自身の「フィーリング」も加えて、

確かに「感じたこと」にしてゆきます。

 

ここで、そのあなたが確かに「感じたこと」と波動的に似たモノが、

またもや「情報の海」や「自己の記憶」から引き付けられやって来て、

増幅されたり、新たなものをそこにつけ加えたりもします。

 

そしてそれが、もっと確かに「感じたこと」になって来る頃、

あなたの脳は、その「感じたこと」や「波動」を、

コトバや概念として外に出せる形に創り変えます。

 

そしてあなたは、「私はこう感じた」とか「私はこう考えた」と言えるようになります。

これら全ての順番は前後したり、繰り返したりし続けます

そしてこれらは、一瞬の内に情報処理され続けています。

 

あるいは、この「情報の海」からやってきたものを

無イシキに受け取っていることもあり、これはとても多く見られることです。

 

例えば、急に不安になったり、悲しくなったり、

憂鬱、嫌な気分、怒り、苦痛、落ち込み、不足感、

嬉しくなったり、良い気分になったり、幸福感、満足感、

あるいはインスピレーションがやってきたり、良いアイデアが浮かんだり、

音楽や言葉、詩や文章、絵やビジョン、大きな発明や発見につながったり、と様々です。

 

あなたは常に波動を出し続けているので、あなたの出すその波動に似たものが

その「情報の海」から、いつでも引き付けられ、やって来ているのです。

そしてあなたは、やって来ているそれらの情報の中から、それをキャッチしただけなのです。

 

「反応」から始まるか、「やってくるもの」から始まるか、あるいは両方が混ざることもあり、

いずれにしても全ては、取り囲み、溢れ、降り注ぐ「情報の海」からやって来て、

あなたの脳は、それを理解できる形、使えるモノ、に変換し続けているのです。

 

そして、それは悪いことでも良いことでもないのだけれど、

これらの情報と、その情報処理に追われ続けるために・・・、

また、「自己の記憶」の様々な感情感覚にイシキが囚われているために・・・、

あなたの「ただ在る」ことは、まったく見えなくなってしまっているのです。

 

あなたの考えも、あなたの想いも、

あなたが一人きりで純粋に創りあげたものは、何ひとつとしてありません。

ですから、いやな考えや想いが浮かんだ時、

「私はどうしてこんなことを考えてしまうのだろう」・・・と悩むことさえ、本当はイミがないのです。

 

そして又、このようにしてもたらされ、去来する多くの「情報」を怖れる必要もありません。

それは、もうすでにいつも在るのです、そしてそれは、ただあなたにやってくるのです。

 

何故ならあなたは、「情報の海」の真っ只中に居る一滴の海水なのですから・・・。

あなたが「情報の海」の中の一滴の海水ならば、

そこから逃れようとしてもそれは無理なことでしょう。

 

そして、まさしくあなたは「情報の宇宙」の中に住んでいるのですから・・・。

それはただ単に、あなたにとっては、良いものもあれば、悪いものもある、

・・・というだけのことでしかないのです。

 

嫌な感じを自分が拾い上げ、それを増幅したり、いじり始めたりしたら、

ただ・・・気付いて、ただ・・・手放し続ければ良いだけのことです。

反省も、後悔も、拒絶もなく、自分にとって役立たない情報をただ・・・流し続けることです。

 

また、体験によって呼び起こされる様々な「感情感覚」も手放し続けて、

あなた本来の純粋なイシキ状態を現してゆくことです。

それらは、あなたが幻想世界の中で、自己の純粋イシキに付け加えてきた記憶情報で、

本質のあなたが元々持っていたものではないのです。

 

それは、不要なデータを削除するようなものです。

あなたというパソコンがビジー状態にならない為にも、

嫌な気分でフリーズ状態にならない為にも、「反応」というソフトを立ち上げる前に、

情報の海」や、体験によってもたらされる様々な「感情感覚」を、

ただ・・・削除し続けることです。

 

「手放す方法」は、これまでお伝えした様々な方法を使ってください。

「ただ・・・受け取らない」だけでも、「ただ・・・削除する」だけでも、「ただ・・・流す」だけでも

「ただ・・・愛を送る」だけでも、十分なこともあります。

また、あなたにやりやすい方法をご自分で編み出してください。

 

また、あなた独自の「オリジナル認識宇宙」を大掃除するチャンスと捉え、

感じたもの全てを、受け容れ、引き受け、浄化してゆくことも出来ます。

今の自分に無理のない範囲とやりやすい方法で手放したり、

受け容れたり、変えたりしてゆきましょう。

 

そうやって、あなたが手放すほどに、

あなたの「ただ在る」ことは少しずつ現れてくるのです。

そして、ある日あなたには、自分自身の「ただ在る」ことが見えてくるのです。

 

その時、あなたは感じるかもしれません。

それは、いつの時も、ずっと、自分の内に、ただ・・・在ったのだ・・・と。

それは、たくさんの情報で、ただ見えなかっただけだった・・・、

ただ感じられなかっただけだった・・・と。

 

その時、あなたにも見え、あなたにもわかり、あなたにも感じられることでしょう。

それは、コトバでは表現できない・・・コトバでは届けられない・・・と。

・・・それは自分で現し、自分で見る・・・自分で感じるしかない・・・ということが。

 


春の風

 


言葉では届かないもの 君は届けてくれた

あきらめる理由を人は 語りたがるものだから

夢を箱にしまいこんだ 鍵はきっと今でも

もう一度開けられる日を 待ち続けているはずだから


 

「コトバでは届かないもの」 をあなたに届けられるのは、

本当はあなた自身しかいないのです。

何故なら・・・、それは、たとえ他の人が関わっていたとしても、

あなたが、自分の内に感じるもの・・・だから。

 

そして、あなたがこの幻想世界に来てまでも知りたかったのは、

コトバではなく、この・・・、あなた自身が「感じること」だったのです。

 

そう・・・、あなたが知りたかったのは・・・、

そしてこの先、あなたがどこへ行こうとも永遠に持っていられるものは・・・、

あらゆる体験を通して感じたその・・・感じ・・・だけなのです。

 

それは決して、他の存在に代わって感じてはもらえない、

もしもコトバで説明されても「その・・・感じ」が実際に感じられる(実感できる)わけではない、

 

そして、物質としてのカラダを使っての体感・・・が味わえるのはこの次元だけである、

だからこそ、あなたはやって来た・・・そして、人によっては長い長い間、

たくさんの情報で、神成る自分自身の「ただ在る」ことが見えなくなった・・・

ただ・・・それだけのことだったのです。

 

そして、これは、覚醒に於ける・・・

「知ること」についても全く同じなのです。

 

幻想世界の体験を通して知ることも、「その・・・感じ」でしかないように・・・、

この幻想世界を超え、自己の本質を知ることもまた、「その・・・感じ」でしかない・・・、

そして「ただ在る」ことも「その・・・感じ」でしかないのです。

 

そして、だからこそ、すべてのコトバになったもの・・・あらゆる情報は、

単に素材として使うことしか出来ないものなのです。

 

何故なら、それらは様々な幻想・・・分離や極性や時間や空間の中で、

その・・・感じ」を表現するための、

単なる「たとえ」でしかなかったのですから・・・。

 

これまであなたは、その「たとえ」である情報を使って、

様々なことを、何とか理解しようとしてきたかもしれません。

しかし、あなたが「その・・・感じ」を体感するには、

あなたが自分自身で実際に、「感じてみる」・・・しかなかったのです。

 

けれど、「たとえ」である情報やコトバを使って、理解しようとしてきたこと・・・は、

決して無駄になるわけではありません。

知識はあなたを、いま・ここまで連れてきてくれたのです。

ただ、その先はそれらを一旦は置いて

ただ・・・感じることを、自分に許すだけのことなのです。

 

さて、これらの「情報の海」の中にはあなたに役立つもの、

あなたに素晴らしい気付きやインスピレーションをもたらす、

アイデア、メッセージ、チャネリング、・・・などもあるのです。

 

見る角度を変えれば、「情報の宇宙」とは、限りなく豊かな宝庫と言えるでしょう。

何故なら、あなたは自己を少しずつ受け容れ、解放し、開き、拡大し続けるごとに、

今度はそこから、限りのない想念や思考などの情報を、受け取れるようになってゆくからです。

 

そしてそれらはあなたに、あなたこそが「神で在る」ことに目覚める為の・・・、

そして、「自分という神」の「ただ在る」ことが見えるようになる為の・・・、

様々な気付きを、もたらしてくれるのです。

 


「ただ在る」ことが見えて もたらされるもの

 

あなたの「ただ在る」ことが、あなた自身で見えるようになる

・・・それをあなたが体感することによって、

あなたには何がもたらされてくるのでしょうか。

 

あなたが「ただ在る」ことを体感するとき・・・、あなたの時は止まるでしょう。

それは、あなたが「いま」という永遠を生きるようになる・・・ということです。

あなたは、いま・ここに、ただ・・・在り続け、

いま・ここの全てを、ただ・・・味わう、ただ・・・感じることが出来るでしょう。

 

あなたが「ただ在る」ことを体感するとき・・・、

あなたは素晴らしいセンセーションを感じるでしょう。

それは、もしもコトバにするならば、限りのない自由や喜び愛といったフィーリングでしょう。

 

あなたが「ただ在る」ことを体感するとき・・・、

あなたは本来のありのままの自分自身でいられるでしょう。

それは、思い込みやこだわりや囚われもなく、生まれたての幼子のように純粋な状態でしょう。

 

あなたが「ただ在る」ことを体感するとき・・・、

あなたは真に、ただ存在するだけで素晴らしく、

しなければならないことも、してはいけないこともなく、

変わる必要も、悟る必要もなく、自分がすでに完全なのだと知るでしょう。

やがて、自分がまさに神で在ること、神で在る以外にありえないことを知るでしょう。

 

さて他にも、あなたが「ただ在る」ことを体感することで、

あなたにもたらされてくるものは無限にあります。

しかし、私たちがここにコトバで書いたことに、どうか縛られないで下さい。

 

例えば、そんな風に感じられないから、私の「ただ在る」はないのだ・・・、

未だ達成されていない・・・、私にはまだわからない・・・、どうしてもできない・・・、

どうしたらわかるのだろう・・・、とあなたが迷えば迷うほど、

あなたは、あなた自身の「ただ在る」ことから離れていってしまうからです。

 

ですから、前回 19・真実はあなたが創リ続けるものでお伝えしたのと同じように、

あなたの「ただ在る」こともまた、あなたが創り続ける事です。

 

あなたがふと幸せを感じた、その瞬間、

これが私のいまの、「ただ在る」ことだ・・・、とあなたが決めて良いのです。

そして何日か後に、あなたが感じたフィーリングやセンセーションが、

あなたにもっと大きな喜びや平安をもたらしたのならば、

これが私のいまの、「ただ在る」ことだ・・・、とあなたが決めて、創り続けてゆくのです。

 

あなたの「ただ在る」ことが拡大したのだと、

いつでも いま・ここで 決めてゆくことです。

 

そうやって、あなた自身の いま・ここ を

常に認め、受け容れ、開き、拡大し続けることです。

そして、かつてのあなたが決めた「ただ在る」ことにも縛られずに、

いま・ここ で、どんどん変化して良いのだと許容することです。

それは、永遠に続くプロセスなのだ・・・、と知ることです。

 

時間」とは、この現実をあなたが体験するために創り出された「幻」「夢」「幻想」です。

本当は「時」はなく、永遠に続く「いま」しか存在しないのです。

 

その幻である「時間」の中で、いつかやって来るであろう「未来」に「幸せ」になろうとすれば、

あなたは永遠に「幸せ」にはなれず、いつまでも「幸せ」を追い求め続け、

 

その夢でしかない「時間」の中で、いつかやって来るであろう「未来」に「り」を得ようとすれば、

あなたは永遠に「悟り」を得られず、いつまでも「悟り」を追い求め続け、

 

そして、その幻想でしかない「時間」の中で、「ただ在る」ことを

「いつかわかろう、いつか知ろう、いつか成ろう」とすれば、それは逆に見えなくなり、

あなたは永遠に「ただ在る」ことを追い求め続けることになるのです。

 

これは、時間のパラドックスともいえるでしょう。

 

幸せ」はいつかなるもの・・・ではなく、いま・ここ で、

たとえ小さくても何かに「幸せ」を感じることで、

時間」という幻の中の、「明日」や「いつかの未来」に、

拡大したあなたの幸せがやってくるのです。

 

悟り」はいつか得られるもの・・・ではなく、いま・ここ で、

たとえ小さな「悟り」であっても、それを積み重ねることで、

時間」という夢の中の、「明日」や「いつかの未来」に、

拡大したあなたの「悟り」が得られるのです。

 

そして、あなたの「ただ在る」ことも又、いま・ここ で、

たとえほんのちょっとした体感であっても、あなたが決めてゆくことで、

時間」という幻想の中の、「明日」や「いつかの未来」に、

拡大したあなたの「ただ在る」ことが見えて来るのです。

 

そして、正確に言うならば、この「時間」は幻想なのですから、

それは決してやってくるのではなく、

もうすでに、同時に、いま・ここ に全てが在る、

ただ見えないだけでもう存在しているからこそ、

いま、あなたが感じることが拡大し続け、あなたに体現され続けるのです。

 

この「時間のパラドックス」が、

いま・ここ に、あなたの周りにすでに在るものに喜びを感じることが、

あなたにとって素晴らしいことなのだ」・・・と言われるゆえんでもあります。

 

この「時間のパラドックス」が、

いま・ここ に、あなたの周りにすでに在るもの・全てに感謝することが、

幻想の「明日」や「いつかの未来」に、

あなたにもたらすものが大きい」・・・のもそのためなのです。

 

だからこそ、私たちもまた、あなたにこう言いたいのです。

 

たった「いま」、喜びを感じてください・・・、小さな喜びで良いのです・・・、

あなたが真に見ようと思えば、それはあらゆるところに見えるでしょう。

 

美味しい物を食べたその一瞬に、

柔らかな日差しを浴びたその瞬間に、安らかな夜の眠りにつくその一呼吸に、

それを表現することも、コトバにすることもなく、喜びを、ただ・・・感じ続けることです。

 

そして、私たちはまた、あなたにこう言いたいのです。

 

たった「いま」、感謝をしてください・・・、ありふれた、当たり前のことで良いのです・・・、

空気があることに、手足が動くことに、読める目があることに・・・、

誰にともなく、ただ・・・感謝し続けることです。

(もちろん感謝する対象があってもいいのです、それは、宇宙や神や

天使や両親や世界やあなたの生命やあなたというイシキかもしれません)

 

そして、昨日・・・あるいは10年前のあなたよりも、

今日のあなたのイシキが拡大した事が見えるのならば、

すでに、それが いま・ここ の あなたの「悟り」なのです。

 

さあ、あなたの「ただ在る」ことも、こうして進化・拡大・成長してゆきます。

その「プロセス」こそが、あなたに喜びをもたらすものなのだと知ることです。

この「プロセス」という喜びの旅こそが、途切れなく永遠に続くものなのですから・・・。

 

そして私たちは、あなたの旅の、まさしく「ガイド」であり、

それ以上のモノでも、それ以下のモノでもないのです。

だから私たちの言う事を信じることも・・・、そして疑うこともしないで下さい。

 

それは、あなたの前に・・・「ただ在る」のです。

そして、あなたが創り続けるあなたの真実の、

素材の一つとして使えるかどうかを、あなたがただ・・・決め続けていいのです。

 

そしてもう少し、あなたの「ただ在る」ことの旅を進めてゆきましょう。

 

すべてはあなたの想像(創造)です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・

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