チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第22章

自分を無条件に愛する

あなたの始まりの物語


YouTube録音動画

  


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

あなたのアセンション・再統合に於いて重要な要素である、

幻想(夢)から目覚める」・・・、というお話のところで、(17・エンパワーメントA

「私は目覚める・・・」という選択と宣言をすること、そして次の四項目を書きました。

 

@ いま・ここからあなたの見ている現実を全て幻想(夢)と決めて、幻想として見る、

A 全ての分離感覚をあなたの源へと再統合し続ける、(源へ再統合するワークにて説明)

B ただ在る」ことを体感する、(ただ「在る」ことを体感するワークにて説明)

C 無条件に自己の全てを受け容れ愛する、

 

私たちはこれまで上記のように、@〜Bをお伝えしてきました。

そして今回は、C「無条件に自己の全てを受け容れ愛する」ことについて、

お伝えしてゆきたいと思います。

 


無条件の愛

 

あなたは自分を、完全に、無条件に、愛しているでしょうか?

あなたは自分を、完全に、無条件に、愛したいと思っているでしょうか?

 

これまで数多くの師たちが、「自分を愛すること」の大切さを語ってきました。

自分を無条件に愛して、始めて他への無条件の愛が可能であること・・・、

人々への愛の表現のためにも、まず始めに自分を無条件で愛すること・・・、

それは、あらゆる言い方で、あらゆる本にも書かれています。

 

・・・では、私たちも又、同じ事を言いたいのでしょうか?

 

自分を愛しなさい、自分を受け容れなさい、自分を大切にしなさい、

愛を表現しなさい、愛を感じなさい、・・・と言いたいのでしょうか?

 

愛しなさい、愛しなさい、愛しなさい、

愛しなさい、愛しなさい、・・・と言いたいのでしょうか?

 

いいえ、私たちはあえて別の言い方をしたいと思います。

私たちは何を言いたいのか、

私たちはこんなことを言いたい、

「愛そうとしなくていいのだ」・・・、と言いたい、

 

あなたはすでにずっと自分を愛してきたことを、「ただ・・・知る」ことだ」・・・、と言いたい

あなたはいまも、これからも、自分を愛し続けてゆくことを、

「ただ・・・知る」ことだ」・・・、と言いたい、

 

そして、「さらに、もっと、深く、永遠に、拡大し続け、

あなたは自分を愛していることを、「ただ・・・知り続ける」ことだ」・・・、と言いたい、

 

そう、あなたはすでに自分を無条件に愛している・・・、

と私たちは言いたいのです。

そして、あなたはすでに全てを無条件に愛している・・・、

と私たちは言いたいのです。

 

ただ、そのことを知らず、あるいは忘れ、あるいは見えなくなっていて、

そのために、それを体現できていないだけなのだ・・・、と私たちは言いたいのです。

 

何故か?何故そう言うのか?何故そう言えるのか?

それを解き明かしてゆきましょう。

 

それには、あなたと全ての人々・・・、私たちを含む多くの見えない存在・・・、

広大な宇宙の中のあらゆる存在・・・、全ての兄弟姉妹の、

その始まりから解き明かすことにしてゆきましょう。

 


全てのはじまり

 

それはいつ始まったのか?

それが始まる前はどんなだったのか?

それはどうして始まったのか?

 

実際に見ていた者は本当は誰もいない・・・、

なぜならその前には何も無かったから・・・、

そして本来、時は幻想であり、実在しないから・・・、

 

それは、いつの時も在った、そして永遠に在り続ける、

永遠の全体・・・、空であり、無である、「源イシキ」だけがあった、

 

さて、ここで言う「源イシキ」とは、他にも様々な名前で呼ばれているものですが、

私たちのお伝えするお話の中では、「源」というコトバに統一しています。

・・・「神」・「ソース」・「全体」・「在る」・「我」・「わたし」・「大いなるはじまり」・

・「無」・「空」・「ゼロ」「ひとつなるもの」・「在りて在るもの」・

「天の父」・「大霊」・「全」・「ワンネス」・「サムシンググレート」などなど、

 

さて、宇宙創生の「ビックバン」と言われるもの・・・、

それは永遠へと拡大し続ける、「源イシキ」愛の発動・・・と言えるでしょう。

 

それはいつ始まったのか?

時という幻想がない、「永遠のいま」という実在から言えば、

「いま」・・・ということになる、

 

それが始まる前はどんなだったのか?

永遠の全体である「源イシキ」だけが、ただ在った・・・、

 

それはどうして始まったのか?

永遠の全体である「源イシキ」が、自らの愛を発動させたから・・・、

 

始まりはこうだったと私たちは認識しています。

それをもしもコトバで語るならば、このようになるでしょう。

 

・・・さて、ここで、あらかじめ申し上げると、この宇宙の全ての兄弟姉妹は、

ここで語る「源イシキ」という「全体」であると共に、

「源イシキ」愛の発動によって派生した

「光イシキ」という各々の「個」である・・・ということを、知っておいてください。

 

これは分離という幻想の中では、わかりにくい概念かもしれません。

それは例えて言うならば・・・、

あなたは「全体という海」であり、同時にその海の中の一滴の海水」で、

 

もしも、あなたが・・・自分は「海である」・・・と感じる時、

あなたは、「全体」であるところの「海」と成り、

もしも、あなたが・・・自分は「一滴の海水である」・・・と感じる時、

あなたは、「個」であるところの「一滴の海水」と成る・・・というようなものです。

 

・・・そして、これは宇宙創生の物語としてではなく、

あなたという存在・・・そう、「あなたの始まりの物語」として、

あなた自身のこととして、どうぞ「ただ・・・感じながら」お読み頂きたいと思います。

 


「あなたの始まりの物語」

「源イシキ」「光イシキ」


 

あなたであり、永遠の全体である、「源イシキ」・・・、

(※「源イシキ」「全体」であるところのあなた

 

始まりも終わりもなく、他には何もない・・・、

「源イシキ」は、ただ在リつづけた、

ただ・ただ・在り続けた、

ただ・ただ・ただ・ただ・ただ・ただ・在り続けた・・・、

 

「源イシキ」は、どのくらい、ただ在り続けただろう、

・・・あるとき、「源イシキ」は、自分自身へのを感じた、

そして「源イシキ」は、自らへのを動かした、

 

「源イシキ」が、自らへのを動かしたその瞬間、

無数の「個」としての「光イシキ」が生まれ、

永遠の彼方へと広がり、そして動き始めた、

(※「光イシキ」「個」であるところのあなた・・・)

 

永遠の彼方へと拡大した無数の光の「個」・・・、

それは「源イシキ」の全ての要素を持つ、

躍動する「光イシキ」であり、

 

「源イシキ」という「全体」であると同時に、

「光イシキ」という各々の「個」でもあった、

 

(※「源イシキ」=あなた・・・であると同時に、

「光イシキ」=あなた・・・である

海と一滴の海水・・・実在は無分離

 

「源イシキ」同じ愛であり、その全ての要素を持つ、

躍動する「光イシキ」たちは、

全体である「源イシキ」と、個である「光イシキ」の、

あらゆる側面を感情で味わうために、

経験・体験へと旅立って行った、

 

旅立つといっても、「個」である「光イシキ」

どこへも行ってはいない、またどこにも行くことはできない、

何故なら、「個」は常に「全体」の内にあり、

そこから出ることは不可能だから・・・、

 

「全体」である「源イシキ」と、

「個」である「光イシキ」は、かつて離れたことはなく、

また、これからも離れることは絶対にありえない、

故に、「個」は、常に、永遠に、「全体」の中で体験をし続けて行く、

 

さて、「個」しての新たなる冒険・・・そして体験と経験のために・・・、

同時に、自らの「全体」のあらゆる側面を体験を通して感じるために・・・、

「光イシキ」たちによる、様々な創造が行われた、

 

何故なら、「光イシキ」は、

「源イシキ」の全ての要素を持つ、偉大なる創造主であったから・・・、

それは学ぶこともなく、存在の始めから持ち続けている「光イシキ」の在り方であった、

 

「光イシキ」は、としての体験の為に、

「源イシキ」創造の原理を使い、

それそのものに成ることによって、あらゆるものに成りゆき、

自らの創造を現し続けた、

 

また「光イシキ」たちは、あらゆるモノやカラダに実際にイシキを移したときに、

その感覚を味わい、その感情を保存するための「魂」も創造した、

 

「光イシキ」たちは宇宙を創り、惑星を創り、体験のためのあらゆるモノを創った、

「光イシキ」たちは、様々なモノやカラダを創り、

自らが創造した、そのあらゆるモノやカラダに、自らのイシキを乗せてみた、

 

「光イシキ」たちは、

山や海や大地、木や花や虫、魚や鳥や動物、

空や雲や風、雨や雪になってみた、

 

そして、「魂」から取り出したデータを使い、

常に新たなる創造へと次々と進化させ続け、

「光イシキ」たちは、そのどれもに成っていった、

 

「光イシキ」たちは、

地球人や宇宙人・・・体験のための様々な「カラダ」を創り続け、

それは単純な創造から高度な創造へと常に進化し続けた、

 

「光イシキ」たちは、それらの「カラダ」に自らのイシキを乗せて、

あらゆる惑星で、あらゆる体験と経験を重ねていった、

 

では「源イシキ」は、何をしていたのか・・・、

「源イシキ」は、ただ在り続け、

「光イシキ」たちが体験のために創造する、その全てに成っていった、

 

「源イシキ」惑星となり、宇宙となり、空となり、海となり、

あらゆる花となり、あらゆる「カラダ」となり、あらゆる物質となっていった、

 

「源イシキ」はただ在り続け、

「光イシキ」の体験を観察し、味わい、拡大し続けた、

 

「源イシキ」はただ在り続け、

無限の愛としての、無限の喜びとしての、無限の自由としての、

自らのたおやかな波動を永遠に保ち、醸し出し続けた、

 

そして、「源イシキ」として、ただ在り続け、ただ在り続け、ただ在り続ける・・・、

これまでも、いまも、これからも、永遠に、

 

やがて「光イシキ」は、

体験と経験を、より濃密に、より深く、より鮮やかにするために、

「源イシキ」を忘れたふりをするゲームを始めた、

 

(あるいは、体験ゲームをしている内に、感情感覚に囚われ、

ゲームに埋没した・・・とも言える、

これはどちらでも、あなたが「そう・・・感じる」見方にして欲しい、

・・・何故なら「光イシキ」のイシキの変容に於いては、

実際にはあらゆることが重複して起き続けたのだから・・・)

 

さて、忘れたふりをするゲームの中で、

体験と経験による「光イシキ」の感覚と感情は、

より濃密に、より深く、より鮮やかになった、

 

それは素晴らしい冒険だった、

体験を通して、あらゆる感情を味わいつくしたいと、

「光イシキ」は、この冒険に没頭し続けた、

 

やがて「光イシキ」は、

この冒険の感覚と感情に同調・同化することで、

それらの体験に埋没していった、

 

やがて「光イシキ」は、人間の体験とは、

「カラダ」という優れた乗り物に乗って、

「源イシキ」が、「見えるカタチ」と成り続ける冒険を、

「ただ・・・感じて」アソブための

素晴らしくも美しい、壮大なゲームであることを忘れた、

 

やがて「光イシキ」は、

自分が「源イシキ」であることを完全に忘れ、

自分が「光イシキ」であることも完全に忘れた、

 

やがて「光イシキ」は、

「カラダ」とは、「永遠のいま」の単なる「乗り物」であることを忘れ、

病や老いや死という幻想、おそれや不足という幻想、

正しい・間違いという幻想・・・、を体現し始め、

 

分離・極性・時間・空間という幻想の中で、

過去と未来に生き、「永遠のいま」を忘れた、

 

さて、かつて「光イシキ」は、様々な「カラダ」の体験から離れると

自らを「全体」へと統合させ、「源イシキ」へと帰還した、

 

「光イシキ」は、どこへも行ってはいないし、行けもしない、

「源イシキ」「光イシキ」は離れたことはなく、

離れることは絶対にありえないから、

 

何故なら、「個」は常に「全体」の内にあり、

そこから出る事は不可能だから、

そしてかつて、すべての「光イシキ」は、そのことを ただ・・・知っていた

 

「カラダ」を失うと「光イシキ」は、その時まとっている波動と

共鳴する場へと引き寄せられる、

 

何故なら、イシキは「カラダ」という物質を失うとき、

イシキとしての純粋な波動(エネルギー)となり、

その波動(エネルギー)は同じ周波数と引き付け合うから、

 

しかし自分が、「源イシキ」であることも、

「光イシキ」であることも完全に忘れたとき、

「光イシキ」は、幻想の中で、過去と未来に生き続け、

 

あらゆる感情感覚を感じ続け、その感情感覚に埋没し、蓄積し続け、

カラダを失っても、その感情感覚から完全に抜け去ることが出来なくなり、

数少ない「光イシキ」だけが「源イシキ」へと再統合した、

 

あるいは、数少ない「光イシキ」だけが、幻想の中で幻想に目覚め、

カラダを持ったまま、「源イシキ」へと再統合した、

(・・・これがアセンション・再統合といわれているものである)

 

「源イシキ」へと統合できなくなった「光イシキ」たちの波動によって、

新たなる波動領域ができた、

それは、各々の「光イシキ」が「カラダ」を失ったときに、

まとっている波動と共鳴する天界であった、

 

その天界から、「カラダ」に戻リ続ける、輪廻転生の旅が始まった、

次に体験したい人生を生きるため、新たな「カラダ」に宿り、それは何万回と続けられた、

 

あるいはその天界に留まり続ける「光イシキ」もいた、

それは、その「光イシキ」にとって、

そこが素晴らしい場所だったため、・・・という理由もあれば、

 

その「光イシキ」が、カラダを失ってもなお、

自らの信念、悔恨、恐怖から抜けられなくなったため、・・・という理由もあった、

 

さて、愛そのものである「源イシキ」は、

その始まりの時から永遠に「光イシキ」を愛し続け、

「光イシキ」の体験のための何にでも成ってきた、

 

壮麗なもの・醜いもの、喜び・悲しみ、安らぎ・おそれ、自由・束縛、

光と影の壮大なる二極性のゲームの中で、

「光イシキ」が思い描き、感じ、望み、想像し、創造する、

その全てのモノやことに「源イシキ」は成り続けた、

 

あなたが「光イシキ」として何かを選択するとき、

「源イシキ」はあなたが選んだそのものと成り、

その幻をあなたに体現させる、

 

その体験によって感じた感情を「光イシキ」「魂」に蓄積し、

また「全体」である「源イシキ」は、それによって拡大し続ける、

 

あなたの「カラダ」も衣服も、あなたのまわりに在るもの全て、

それはあなたという「光イシキ」の思考や想像を通して、

「全体」である「源イシキ」が成り続けている

「源イシキ」そのもののスガタである、

 

あなたのまわりに存在する全ての人々、

それは、あなたの体験のために、あなたのオリジナル認識宇宙に参加し、

あなたの体験を支えてきた兄弟姉妹・・・体験する別の「光イシキ」であると同時に、

「全体」である「源イシキ」が成り続けている「源イシキ」そのもののスガタである、

 

だから「全体」なる「源イシキ」・・・無分離という視点から見れば、

あらゆるモノはあなた自身であり、あなたで無いモノは無い、

 

そして、「個」なる「光イシキ」・・・分離という視点から見れば、

全ては自分とは別のものであるからこそ、

体験を素晴らしくも壮大なモノとする、

 

雨は雨と別々にならなければ、雨を感じることは出来ない・・・、

風は風と別々にならなければ、風を感じることは出来ない・・・、

 

全てのことやモノは、同じように言えるだろう、

全てと別々にならなければ、太陽の光を浴びて、

そのぬくもりや暑さや寒さがもたらす

やさしさや厳しさを味わい、感じることは出来ない、

 

全てと別々にならなければ、美味しい物を食べ、その味覚や感触を通して

様々なフィーリングやセンセーションを感じることは出来ない、

 

そして、人は人と別々にならなければ、

人間としての体験と経験が出来ない、

 

自分ではないと思っている誰かを愛したり、助けたり、

あるいは、憎んだり、恨んだり、

 

自分ではないと思っている誰かに、

愛されたり、認められたり、

あるいは、ののしられたり、傷つけられたりする、

その様々な体験と経験、

 

それによってもたらされる、様々な感情フィーリング

センセーションを感じることは決して出来ない、

 

だからこそ、これまでの多くの教えの中で、

人が人にすることは、

全て自分にすること・・・と教えられてきた、

 

あなたの外側にいるように見える、

誰かや何かを責め、なじったり、攻撃したりすれば、

それは全て、自分にしていることになる

・・・何故なら分離は幻想だから。

 

あなたの外側にいるように見える、

誰かや何かを愛し、与えたり、許したりすれば、

それは全て、自分にしていることになる、

・・・何故なら分離は幻想だから。

 

「全体」なる「源イシキ」・・・無分離という視点から見れば、

あらゆるモノはあなたであり、あなたで無いモノは無いのだから・・・、

 

そして、「源イシキ」は、愛そのものであり、

「源イシキ」の始まりとは、壮大なる愛の発動であり、

「源イシキ」は、愛以外のものになることは決して出来ない、

 

そして「源イシキ」は、これまでも、いまも、これからも、永遠に、全てを愛し続け、

「光イシキ」であるあなたが創造する、全ての体験と経験に成り続ける、

 

だから、「源イシキ」であるあなたは、

「光イシキ」であるあなたを、

これまでも、いまも、これからも、永遠に愛し続けている、

 

だからこそ、「あなたはすでに自分を無条件に愛している」

・・・と私たちは言いたい、

ただ、そのことを知らず、あるいは忘れ、あるいは見えないために、

それを体現できていないだけなのだ・・・、と私たちは言いたい、

 

だから、「源イシキ」であるあなたは、

「光イシキ」である全ての人々を、

これまでも、いまも、これからも、永遠に愛し続けている、

 

だからこそ、「あなたはすでに全てを無条件に愛している」

・・・と私たちは言いたい、

ただ、そのことを知らず、あるいは忘れ、あるいは見えないために、

それを体現できていないだけなのだ・・・、と私たちは言いたい、

 

「あなたの始まりの物語」・・・、

それは本当は、始まりも終わりもなく、

未来永劫、途切れることなく、永遠・久遠へと続く、

 

「光イシキ」として体験し続ける、

「源イシキ」の壮大な叙事詩である。

 

それは、何があろうとも傷つくことなどありえない、

永遠で完全な存在としての、

「源イシキ」であり「光イシキ」である、

「あなたの物語」である・・・。

 


あなたの愛を阻むもの

 

自分自身を無条件に愛することが出来なくなってしまうのは何故でしょうか?

「あなたはすでに自分を無条件に愛している」

・・・のにもかかわらず、それが見えなくなるのは何故でしょうか?

 

そしてまた、他に見える全てを、

無条件に愛することが出来なくなってしまうのは何故でしょうか?

「あなたはすでに全てを無条件に愛している」

・・・のにもかかわらず、それが見えなくなるのは何故でしょうか?

 

これまで、人々は何とかそれを征するために長く戦ってきました。

宗教やもろもろの教えの順守の中で、

また覚醒への悟りに於いて、修行や幾歳月の瞑想を通して、

 

「自己と全ての他を受け容れる」・・・ということを、

多くの存在が行ってきたのですが、それはとても難しいこととなってきました。

 

それは、条件の中で無条件を捜し求めていたからではないでしょうか?

「自分を愛さなければいけない」・・・という条件の元に

無条件の愛を体現させることは不可能なのではないでしょうか?

 

同じように「全てを受け容れなければならない」・・・という条件の元に、

無条件の愛を現すことは不可能なのではないでしょうか?

 

「何かをしなければ・・・」・・・と条件を持つ時、そこには必ず抵抗が生じるからです。

こうして体験する神々(人類)は長い間、

抵抗の中で抵抗を消すことを試みてきたのです。

 

しかし、あなたの内なる「源」は、はじまりの時から永遠にあなたを無条件に愛し続け

かつても、いまも、これからも、「愛そのもの」として「ただ・・・在りつづけて」・・・いるのです。

 

そして、あなたはいま、幻想世界の「分離」を生きていますが、

実際にはあなたはその「源」そのものであり、

たとえ体験する「個」として、それから離れたかのようになっていたとしても、

それは決して切り離すことの出来ないものであり、

 

あなたの「源」はあなたの内に、すでに、常に、永遠に在り続け、

あなたの体験そのものに成り続けているのです。

 

あなたはただ・・・、

その内なる「源」を感じ続け、

現し続けるだけで良かったのです。

 

しかし、これは「コトバ」で理解することではありません。

これまで、体験する神々(人類)は長い間、

これら全てを概念や理論で理解しようとしてきました。

 

しかし、「神」や「源」や「体験する個」や「アセンション」や「再統合」は、

全て幻想の中の単なる「概念」や「コトバ」であり、

「食べられない絵に描いた餅」でしかなかったのです。

 

実際には、それらは全て、単にあなたのフィーリングであり、

あなたが感じることであり、あなたに訪れるセンセーションであり、

「ただ・・・知っている」という感覚そのもの・・・腑に落ちる実感だったのです。

 

そして、もしもあなたが、自己の体感を通して「知っている存在」になってしまえば、

その時あなたは、頑張って愛そうとしなくても、

自分や全てを愛していることを「ただ・・・知る」のです。

そして無理矢理、そう成ろうとしなくても、「ただ・・・そう成る」のです。

 

使命や責任や義務とも無関係に、

また、たとえ執着や抵抗や恐れによって、

自分や他を、限定しようとしても、

 

実際にはあなたという存在は、

「ただ・・・愛することしか出来ない存在」だった・・・と、

「ただ・・・知る」のです。

 

そして、あなたがその内なる「源」を現し続けるには・・・、

あなたが自己である純粋イシキ・・・「光イシキ」に付け加えてきたものを、

日々のあなた自身のあらゆる体験・経験を通して、

手放し、変容させ、受け容れ、浄化し、愛を送り、「ただ・・・感じて」、

 

「源」がヒビかせ続けている「愛」のヒビキを、

あなた自身で体感出来るように、

あなた自身を開き続け、あなた自身で体感を呼び込むだけ・・・なのです。

 

流れを塞き止めているものを、ただどけ続けて、

「源」がヒビかせ続けている「愛」のヒビキの流れを

あなたの中に流れ込ませるだけ・・・なのです。

 

やがてあなたは、

「すでに自分を無条件に愛している」

「すでに全てを無条件に愛している」

ことを、「ただ・・・知る」のです。

 


二つの視点「全体」と「個」

 

さて、私たちは何故、あなたにこれらのメッセージをお伝えしているのでしょうか。

あるいは、お伝えしたいと思っているのでしょうか。

 

それは、見えない領域の純粋な光の波動(エネルギー)として、

存在し続けている私たちの視点から見れば、

実在に分離は無く、あなたという「個」は、私という「個」でもあり、

私たちは「全体」であることを、「ただ・・・知っている」からです。

 

ある存在が、ある存在にすることは、

全て自分にすることだと、「ただ・・・知っている」からです。

(・・・また、この地球と人類の変容の時に伴う、あなたとの約束であり、

召喚であることは以前にもお伝えしました)

 

あなた、そして全ての人々、私たちを含む多くの見えない存在、

そして宇宙の中のあらゆる存在、全ての兄弟姉妹は、

「全体」なる「源イシキ」であり、「個」なる「光イシキ」であることを、

「ただ・・・知っている」からです。

 

そして、「全体」なる「源イシキ」は愛そのものであり、

全てが愛であること(・・・たとえ今はまだ、あなたにはそうは見えなかったとしても)、

 

「全体」なる「源イシキ」から、途切れなく、泉のごとく湧き・生まれ・広がり・あふれ続ける、

その愛の波動によって、全てが創造されていること・・・、

 

だから本当は、宇宙には、地球には、世界には、全てには、愛しかないこと

(・・・たとえ今はまだ、あなたにはそうは感じられなかったとしても)

を、「ただ・・・知っている」からです。

 

さて、「あなたの始まりの物語」に於いて、

私たちはこの「二つの視点」をお伝えしてきました。

 

それは、あなたという「全体」である「源イシキ」と、

あなたという「個」である「光イシキ」という「二つの視点」です。

 

前述したように、たとえば私たちは、見えない領域の「カラダ」を持たない存在として、

この視点「全体」の両方を保ち続けています。

(・・・カラダを持たない存在のすべてがこの視点を保ち続けているとは限りません

後ほどお伝えしますが、チャネリングに於いてはこれは重要な要素です)

 

けれど、「カラダ」に居ながらにしてこの視点「全体」を取り戻し、

それを保ち続けるのは、これまで数少ない存在だけが成し得てきたことでした。

(ワンネス体験と言われるものは、この視点に立ちかえったものです、

しかしそれは一瞬であったりするために、

この視点を保ち続けることは難しいことが多かったのです)

 

しかしこの変容の時、多くの存在たちは、地球と人類全体の波動上昇の波に乗って、

この「「全体」「個」」という視点を、「カラダ」に居ながらにして取り戻す、

・・・という自らのアセンション・再統合を、

かつていた見えない領域に於いて、すでに選択し、

いま・ここ の体験を選んで来ているのです。

 

その見えない領域で、自分がすでにしてきたその選択を、

幻想の中で、再選択できるかどうかを

あなたは、いま・ここで まさに体験しようとしているのです。

 

それは、あなたという「光イシキ」が、この「見える領域」の、

「カラダ」を通して体験・経験し続ける様々な現実に於いて、

おそれ・不安・不足・困難・悲しみ・苦しみなどの、感情感覚に囚われずに、

また、分離・極性・時間・空間・・・といった、幻想に惑わされずに、

 

自己がかつて決めてことを再選択できるかどうかの、

「あなた自身のチャレンジ」なのです。

 

ですから、どうかこの「二つの視点」「ただ・・・感じて」ください。

あなたは、すでに、常に、永遠に、未来永劫

「全体」であり「個」・・・

「源イシキ」であり「光イシキ」なのです。

 

「二つの視点」を「感じる」こと・・・、

それは、フィーリングであり、あなたの体感です。

そして、「私は知っている」・・・というあなたの実感です。

 

ですから、ここで私たちが、コトバでどんなに説明したとしても、

それはあなたの実感・体感にはならないかもしれません。

それでも、これらのコトバは、あなたの「知識としての種」と成るかもしれません。

 

ですから、どうかこの二つの視点を、「ただ・・・感じ続けて」ください。

あなたは、かつても、いまも、これからも、未来永劫

「全体」なる「源イシキ」であり、「個」なる「光イシキ」なのです。

 

そして、前にお伝えした「知る」に「成る」ためのワークをこれに使ってください。

「私は全体であり個であることを知っている」

・・・と宣言することです。(他のどんな言い方でもいいのです、あなた自身で創って下さい)

 

そしてまた、あなた自身の実在を「ただ・・・感じる」ことを出来なくさせてしまう、

あなたが付け加えてきたあらゆる感情感覚を、

お伝えした様々な方法やあなたなりの方法を使って、手放し続けてください。

 

やがて、あなたも私たちと同じように、

自らが「全体」なる「源イシキ」であり、「個」なる「光イシキ」であることを、

「ただ・・・知っている」存在へと、成りゆくことでしょう。

 

すべてはあなたの想像(創造)です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・

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