チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」

「こだまなくらしサークル」のヒビキ



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第24章

ふるさと

パラドックス・トリック・スーパーマジック


YouTube録音動画

  


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

 

私たちはあなたを愛しています。

それはコトバの記述を超え、表現するのは不可能だ・・・と感じるほどに、

それは何故なのか・・・?

私たちは、分離の無いイシキの内に、あなたを見ているからです。

 

分離の幻想の中にいるあなたは、それを感じられるでしょうか。

分離の幻想にいながらにして、

あなたは、それを感じることを自分に許す、あるいは選ぶでしょうか。

 

悠久の時を経て、あなたはいま、「ふるさと」へ帰ろうとしています。

それは、本当は片時も離れたこともなく、

あなた自身の内と、あなたの周りの全てに息づいている、

「源」という「ふるさと」です。

 

悠久の時、体験という壮大な冒険の中で、

あなたは傷つき、悲しみ、苦しみ・・・、

けれど、そこから立ちあがってきました。

 

どん底かと思えるほどの苦悩や叫びからでさえも・・・、

幾度も幾度も、立ち上がってきました。

 

ある時は、傷つけあい、憎しみあい、

またある時は、手を取りあい、支えあい、愛しあい、

何度も何度も、立ち上がってきました。

 

そして、その体験と経験のあらゆる場に於いて、

どんな時も、片時も見放すことなく、

あなたの胸の内に息づく「」は、ただ、そこに「在り」続け、

その壮大な「無条件の愛」で、あなたを「ふるさと」へと誘い続けてきました。

 

それは何故なのか・・・?

あなたの「」は、分離の無いイシキの内に、

始まりの時から永遠にあなたを愛し続けているからです。

 

あなたが、これまでもあらゆる暗闇から立ち上がってきたのは、

あなたのその胸の内に息づく「」を

いつの時も、どこかで、「感じて」いたからではなかったのでしょうか?

 

分離の幻想にいながらにして、

あなたは、それを「感じること」を選んできたのではなかったのでしょうか?

 

いつの時も、常に、いま・ここ に、

すでに「在り」続けている、あなたの「ふるさと」・・・、

あなたの内と、あなたの周りの全てに息づいている、

「源」という「ふるさと」・・・。

 

あなたはどこにも出かけていなかったし、どこから帰ってくるわけでもない、

・・・それでも私たちは、その時、「おかえりなさい」・・・と言いましょう。

 

その時とは・・・、あなたのイシキが拡大し、

あなた自身と全ての「ただ在る」ことが、あなたに「見える」時・・・、

 

その時とは・・・、現実世界の幻想のベールを超え、

あなた自身の真の姿・・・「神で在ること」を、あなたが「感じる」時・・・。

 


パラドックス・トリック・スーパーマジック


前回、「イシキの拡大」と、それによってもたらされる

あなたのオリジナル認識宇宙のシフトについて、私たちはお伝えしてきました。

 

確かに私たちがお伝えしたように、あなたのイシキは悠久の時を経て、

人によっては何千回・何万回の輪廻によって、

これまでも、少しずつ少しずつ拡大し続けてきました。

 

ましてや今回の、この地球の、この時代の、この生に於ける、

宇宙ロケット以上のスピードの、あなたのイシキの拡大には驚くべきものがあることでしょう。

 

そしてあなたは、これからもそうやってイシキを拡大させてゆこう、

あるいはイシキは拡大され続けるのだ、と思っているかもしれません。

 

けれど、本当のこととは、

あなた自身が、いま・ここで、すでに、常に、

限りなく拡大し続けているイシキの総体」そのものでもある・・・ということ、

自らが、その全体という源そのものでもある・・・ということなのです。

 

何故なら「分離は幻想」だったのですから、

始まりの時から永遠に、あなたは個の神・・・光イシキであり、

同時に全体の神・・・源イシキであって、

それは、決して切り離すことの出来ないものなのです。

 

それは、遠く離れたと思っていた「ふるさと」に、

あなたは、すでに、片時も離れず、いつの時も、「在る」・・・

ということと、まったく同じように、

 

あなたが「個」としての体験を続けることで、全体(源)から離れてしまい

小さくなってしまったイシキ、あるいは、失ってしまったイシキを

取り戻し、拡大してゆくというわけではなく、

 

あなたのイシキは、本来の、全体である源が拡大し続ける状態として、

すでに いま・ここ に「在る」のです。

 

けれど、ここにはパラドックスともトリックとも言えるような

あなたが用意した、素晴らしい幻想のベールが、しっかりと機能していて、

それらを全て、見えなくさせているのです。

 

あなたは悠久の時、自分のルーツを捜し求め、

ふるさと」に還る事を望み、それを待ち続けてきたかもしれません。

 

けれど本当のこととは、あなたは、もう、すでに、

ずっと「ふるさと」に居続けているというのに、

どうやってそこに還ればいいというのでしょう。

 

いま・すでに、あなたが居る場所に還る方法を、

どんなコトバで説明すればいいというのでしょう。

 

あなたは永遠の彼方から、自分の本来のスガタを追い求め、

源という全体へと「統合」することを望み、待ち続けてきたかもしれません。

 

でも、あなたは、もう、すでに、ずっと「全体という源」で在り続けているのに、

どうやってそこに統合すればいいというのでしょう。

 

いま・すでに、統合されているものに統合する方法を、

どんなコトバで説明すればいいというのでしょう。

 

あなたが、「変わってしまった」あるいは「失われてしまった」・・・と感じるもの、

「離れてしまった」あるいは「ばらばらになった」「別々だ」・・・と感じるもの、

その全ては、すでに、常に、いま・ここ に「在る」のです。

 

さて、すでに在るものやことに、気付く方法・・・目覚める方法

・・・その答は本当はシンプルです。

 

全ては「すでにそうである」と「知る」ことによってもたらされる・・・のです。

そして、これはコトバ通り、「全て」に当てはまります。

どんな望みも、覚醒も、拡大も、シフトも、全てです・・・、

 

だからこそ、あなたが、「ふるさと」に還る方法・・・、

もう、すでに、常に、ずっと、「ふるさと」に居続けていることを

あなた自身が自己の「体感」として、真に「知る」者に「成る」こと、

 

それは・・・、「すでにそうである」と「知る」ことによってもたらされる・・・のです。

 

そして、あなたが、「全体という源」に統合する方法・・・、

もう、すでに、常に、ずっと、「全体という源」で在り続けていることを

あなた自身が自己の「体感」として、真に「知る」者に「成る」こと、

 

それは・・・、「すでにそうである」と「知る」ことによってもたらされる・・・のです。

 

全ては「すでにそうである」と「知る」ことによってもたらされる

 

・・・それは、あなたから見たら何というパラドックスでしょう。

まったく訳のわからないトリックでもあることでしょう。

まさに、スーパーマジックとしか言いようのないものかもしれません。

 

あなたはこう言うでしょうか?

私はそれを「知らない」から「知りたい」のだと、

そして、それは当たり前だ・・・と誰もが思うでしょう。

 

あなたはすでにそういう存在なのだ」と聞かされても、

その実感がないからこそ迷っているのに、

「すでにそうである」と「知る」・・・って一体何なんだ???

・・・と言いたくもなることでしょう。

 

しかし、「知らない」・・・「まだ理解できない」・・・「わからない」・・・と言うとき、

あるいは「知りたい」・・・「理解したい」・・・「わかりたい」・・・と言うとき、

「知っている」状態はやってこない、・・・それは決してやってこないのです。

 

そして、あなたはこれまでずっと永きに渡って

「私は知らないから知りたい」と、「感じる」こと「感じ続けてきた」ことによって、

あるいは、「私はわからないからわかりたい」と、

「感じる」こと「感じ続けてきた」ことによって、

 

もしくは、「私は知らない、だから知りたいのだ、もっと知りたい」、

「私にはわからない、だからわかりたい、もっとわかりたい」と、

感じ続け、追い求め続けてきたことによって、

自分が「知っている」状態に「成りゆく」のを遠ざけてきたのかもしれません。

 

それは、何故かならば、あなたはパワフルな創造主であり、

自分が決めたことが、現れる宇宙に住んでいるからなのです。

 

だからこそ、あなたが「知らない」と決めれば、決めたことが現れ続け、

あなたは「知らない」ままに、悠久の時を過ごして行くことに成るのです。

 

わかるでしょうか・・・、

「知らない」と言い、そう感じるとき、それを「知る」ことはなく・・・、

「知っている」と言い、そう感じるとき、それを「知る」ことになる・・・。

 

このパラドックスとトリックこそが・・・、

このパラドックスとトリック、そのものが、それ自体が、

このスーパーマジックの種明かしだったのです。

 


はじまりとして 望み・求め・探求する 


では、望むこと・・・とはどうなのだろう?

求めることは?探求することは?

それらは、必要ではないのだろうか・・・?

 

もともと、全体という視点から見れば、

全てはあなたであって、あなた自身であり、あなたでないモノは無く、

ゆえに、全てのモノは、すでに、あなたのモノであるのだとしたら・・・、

 

しかし、それを全て忘れて、別々のモノと感じているとしたら・・・、

その別々ゲームの中で、自分とは別の何かを得たい、体験したい、

あるいは、何かを知りたいのだととしたら・・・、

 

それは、あらゆる全ての中から、そのモノに焦点をあて、集中、選択、

・・・つまり、それにフォーカスしなければならないでしょう。

 

そのフォーカスが、望むこと、求めること、探求することと言えます。

 

そして、そのフォーカスされたモノは、

それを実際に持ったり、体験したり、知った時の「感じ」を、

「いま」・感じることによって、具現化、実現化、現実化されることになるのです。

 

だから、何かが欲しくてそれにフォーカスしたならば、

それがいま、実際に無いことではなく、(本当はすでにあるのだが・・・)

たとえ、いまはまだ「見えるカタチ」に成って現れていなくても、

 

すでに在ること、すでに在る時の「感情」を持つことが、

その具現化を即すことになるのです。

 

これが・・・、望むこと、求めること、探求すること、

そして、それらを実際に現実として体験することとの関係です。

 

だから、望むこと、求めること、探求することとは、

全てではあるけれど、別々に見える次元に於いての、

体験の始まり、あるいは体験を即す発動、・・・とでもいえるでしょうか。

 

さて、では前述した

「知らない」と言い、そう感じるとき、それを「知る」ことはなく・・・、

「知っている」と言い、そう感じるとき、それを「知る」ことになる・・・。

 

この謎解きの中で、「知りたい、もっと知りたい」「わかりたい、もっとわかりたい」、

ということが必要ではない・・・、と言うのではなく、

そして、求め、望み、探求することが悪い・・・、というわけではなく、

 

ただそれを、はじまりとして・・・、あるいは発動として捉え、

その発動の、次なる段階・次なる発展・次なる展開として、

 

そのモノは、もうすでにある、あるいは知っている・・・、と

コトバにすること・・・、そう「感じる」こと・・・、そう「感じ続ける」こと・・・、が

それを現実にもたらすための「秘密の鍵」・・・、ということになるのです。

 

もしも「望む」ことや「求める」といった探究心が無ければ、

あなたも人類もこれまで何も生み出すことが出来ず、

文明も発展もせず、また自分のルーツを知りたいと思うこともなく、

自らと全体のアセンション・再統合を即すような

道を見つけようとも思わないことでしょう。

 

そして、これは前述したように、「全てに当てはまる」のですから、

ここで、私たちは「創造に於けるマジック」の種明かしにも言及していることになります。

 

あなたが何かを欲しいとき、まだ持っていないから欲しいと思うのですが、

もうすでに持っていると言い、そう感じるとき、それはもたらされるのです。

 

まだ無い、私は持っていない、まだ来ない、と言い、そう感じるならば、

それが無いから欲しがっているのだ・・・とあなたが感じている限り、

欲しいモノはやってこないのです。

 

そして、それを持っている状態を本当に「感じる」ことが出来るほど、

そして、又、幻想である時間の「タイムラグ」の中で抜け落ちてしまうことなく、

あなたの中でその「感じ」が保ち続けられるとき、それは必ずもたらされのです。

(タイムラグと時間のトリックについては今後お伝えしたいと思います)

 

ですから、前述した「謎解き」は、

あなたが欲しい何か、欲しい状況、欲しい人間関係の創造に於いては、

こんな風に言い変えることが出来るでしょう。

 

「持っていない、まだない」と言い、そう感じるとき、それを「持つ」ことはなく・・・、

「持っている、もうある」と言い、そう感じるとき、それを「持つ」ことになる・・・。

 


コトバにできない

感じ・フィーリング・センセーション


あなたは全てを知ることが出来るのです。

何故なら、あなたはすでに「全てを知っている全体(源)」なのだから・・・。

 

そして、それには、「はじまり」として、まず望むこと、

そして、次には、すでに「知っている」と感じること・・・、

知っている」とコトバにすること・・・、

 

たとえまだわからなくても、疑ったり、無理だと決めたりせず、

そう感じること・・・、そう言うこと・・・、言い続けること・・・。

 

私たちは以前、「知る」に「成る」ためのワークをお伝えしました。

あなたに、これを使ってみていただきたいと思っています。

 

どんな時でも、自分が何を知りたいのかが、たとえまだ把握できていない時でも・・・、

確固たるカタチとして、未だ見えていない時でも・・・、

私は知っている」・・・と言うことです。

 

このワークを使って、あなた自身が、

すでに、「ふるさと」に居ること、

拡大し続けるイシキの総体であること、すでに統合された全体(源)であることを、

どうか知リ続けてください。

 

そして、それは必ずもたらされるのです。

どのくらいかかるかは様々です・・・しかし、それは必ずもたらされるのです。

 

疑うことなく、それを「感じること」、そう「言い続けること」が出来れば、

タイムラグの中で抜け落ちることなく、それはより早く、あなたにもたらされることでしょう。

あるいは、よくわからなくても、そう感じ、言い続けることで、

やがて、それは必ずやあなたの元に、もたらされるでしょう。

 

たとえいま、わからなくても、知らなくても、「知っている」と言う・・・、

このことは、あなたにとって、まるで自分をだましているような感じ、

自分に無理やり言い聞かせているような感じ、

自分を洗脳しているような感じがするかもしれません。

 

「知らない」・・・と感じているのに「知っている」と感じ、そう言いなさい・・・って何??

「持ってない」・・・と感じているのに「持っている」と感じ、そう言いなさい・・・って何??

・・・と思うかもしれません。

 

しかし、これこそが

このパラドックスとトリックこそが、このスーパーマジックの種明かしだ

と私たちが言っているイミなのです。

 

だって、本当のこととは・・・、あなたは、すでに「全て」であり、

ゆえに・・・、「あなたはすでに全てを知っている存在」、

そして・・・、「あなたはすでに全てを持っている存在」なのですから・・・。

 

そして、真に「知る」者に「成る」ことは、あなた自身の「体感」を通して、

あなた自身が「感じ」ること、「感じ」続けることによってのみ、もたらされるのです。

 

それがもたらされたとき、あなたはこの「スーパーマジック」の種明かしを

自分自身の「体感」として真に「知る」者に成るのです。

 

そして、それは決して、コトバではやってきません。

それは、コトバにできない、感じ・フィーリング・センセーションなのです。

 

何故なら、「コトバ」とは限定されたものであり、

限りなく「知る」者に「成る」・・・ということは、決して限定された状態ではないからです。

 

そして、もしもそれを言い現そうとして、

これまで人類に語りつくされ、知られてきた「コトバ」を使うならば、

それは、もうこの現実と言う領域の中に於いて、

誰にでも当たり前に知られているモノでしかない・・・、ということになるでしょう。

 

限りなく「知る」こと・・・とは、コトバでそれを表現するのは不可能なのです。

だから、このページの始めに書いた、私たちのあなたへの愛は、

私たちが常に感じ続け、抱き続けている、その「全体」からの、その「全体」としての、

分離の無いイシキの内に在る愛であるが故に、

「コトバを超え、表現するのは不可能」・・・なのです。

 

そして本当は、この「コトバ」に出来ない、あなたが感じる「その・・・感じ」こそが、

あなたにとって重要なのです。

 

体感とは、「そうだ、この感じ、私は知っている、私にはわかる、

説明はできないけれど私には感じる、真実だと感じる、わかった、もう知っている、

このフィーリング、このセンセーション・・・、そう、これだ!!!

・・・といった、コトバではない、「何か」・・・、「その・・・感じ

 

あなたは、それを自分自身で見つけ、ただ・・・感じ続けてゆく、

それが、本当のイミでの「知る」ということだったのです。

 

それはただ、あなた自身が、あなたの全てで、

「わかる」、「わかってゆく」ものなのです。

ただ「そうだったのだ」と、「知る」、「知ってゆく」ものなのです。

 

そして、真にあなただけの体感、実感、感覚として、それを「知る」までは、

どんなにコトバで説明しようと、それは単なる「概念」でしかないのです。

 

このメッセージも含めた何かや誰かの語る全てのコトバ・・・、

それらは、全て単なる「概念」でしかありません。

 

「概念」をいくら収集しても、あるいは比較検討してみても、

あなたが実際に「知る」ことが出来なければ、それは何の足しにもなりません。

 

そして、あなたの「知る」こと・・・とは、

あなたが、その「概念」を「信じる」ことによってではなく、

あなたが、その「概念」を自分自身で試して進み、

自分自身の体感として掴み、あなた自身で「感じる」ことでしかもたらされないのです。

 

ですから、どんな情報、教えにも長居をしないことです。

(私たちのこの情報にも・・・)

もう、すでにコトバになって表現されているすべては、

前述したように、単なる「概念」でしかないのですから・・・。

 

それは、あなたにきっかけを与えてくれる、素晴らしい情報や教えかもしれない・・・、

 

けれどあなたは、やがていつかはそこから立ち去り、そこで得たことを、

次には、あなたの「感じ・フィーリング・センセーション」を指針に、

あなた自身で試して、あなた自身で体感し、あなた自身で「感じて」、

あなたの本質の「全てを知っている存在」に成り続けてゆくことです。

 

それが、すでに在る、拡大されたイシキに成り行くこと、・・・

すでに居る、「ふるさと」に還ること・・・、

すでに在る「統合」に目覚めゆくこと・・・アセンション・再統合なのです。

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・

 

 

★感情を手放す

(第6章でお伝えしたこととも重複します)

おそれ・不安・悲しみ・心配・不足・抵抗など

あらゆる感情の手放し方


自分に合うどんな方法でもいいですが、

私たちは呼吸を使う方法をお勧めしています。

「深呼吸をして吐く息と共にただ手放す」・・・

 

そして、どんなものも手放せると知ってください。

それはまるで子供だましのように感じられたとしても、

あなたは実際にエネルギーを動かして、自分の波動を変えているのです。

 

やがて精妙なエネルギーを感じるチャンネルが開いてくれば、

あなたにもその事はおのずとわかってくるでしょう。

 

呼吸と共に手放します。

どれも「ひとつずつ」やります。

今、持っている、感じている、恐れ、疑い、囚われ、執着、苦手な気持ち、好きな気持ち、

その、いずれか「ひとつ」を胸の前で丸めてみましょう・・・、

それはお団子でも、おむすびでも、球のようなものでもいいのです。

 

吐く息と共に、手の平と両手を広げて、手放します。

何度かやってみましょう、何度も何度もやらなければ手放せないような、

大きなエネルギーになってしまったものもあります。

けれど、諦めずに手放せば、必ず感じ方は変わります。

 

何度かやってしばらく時間を置いてから、その手放したことをもう一度感じてみて、

それが、薄くなっていたり、軽くなっていたり、無くなっていたら、上手くいっています。

エネルギーが完全に変わるまで(・・・幸せな感覚に居られるようになるまで)、

徹底して手放してゆきましょう。

 

また、誰かとの電話や出合う場面で、まだ抵抗が感じられた時は、その場でも手放します。

その時は普通の呼吸で、動作が無くてもイメージだけでやりましょう。

 

また、おそれや悲しみ、不安や心配を手放すことを躊躇させる

「手放すべきではない」・・・という抵抗とも言える「感じ」があります。

 

これは、「心配しておかなければ、それが起こったときにうまく対処できない」

「悲しみを手放したら、申し訳がたたない」(・・・例えば亡くなった人などに)

「おそれや不安が無いと安全対策がとれない」

などという人類全体の信念、そしてそれを取り込んでいるあなたの信念です。

 

しかし、これは「あなたが いま 感じていることが 実現する」

という観点から見るとしたなら、

どんな未来を創造すると「あなた」は思うのでしょうか。

 

あなたという存在は、カラダなのでしょうか?

あなたはイシキではないのでしょうか?

あなたは、死んだらそれきりの存在なのでしょうか?

あなたは、何を、どれを、自分の真実としたいのでしょうか?

 

絶対の真実がすでにあるのではなく、

あなたの真実はあなたが創り続けるものなのです。

 

もしもあなたが自分にとって、安全で美しく、喜びと平安、

自由と愛に満ち溢れた未来・・・、それを本当に望んでいるのだとしたら、

 

見えている現実を変えたい・・・と、それを本当に望んでいるのだとしたら、

 「いま・ここでそう感じる」・・・ことでしか、それはやって来ない、

そうすることでしか現実を変えることはできない、・・・ということを知ってください。

 

もちろん、どちらにしてもあなたは安全です。

絶対に「傷つくことなど在り得ない」存在なのですから・・・。

 

そしてもしもそうならば、何故心配して生きるのでしょう?

何故「いま・ここ」の美を見て、感じ、味わおうとしないのでしょうか?

 

あなた自身が「手放す」と決めなければ、それは誰にも出来ない、

他の存在がそれを変えること、癒すことは、不可能なのです。

(愛を与えられる事で、あなたが「手放す」と決めることはあるかもしれませんが・・・)

 

「私は悲しい、私は苦しい、私は恐い、私は不安、私は心配、私はいやだ・・・」

と言うとき、その感情をしっかりと握りしめ抱きしめているのは、

他でもない、あなた自身なのです。

 

それが自分で手放せること、放出できること、

違うエネルギーへと自分自身で変換できることを知らず、

あるいは教えられても受け容れようとせず、その感情に埋没し、

こぶしを絶対に開くまいと、かたくなに握りしめているのは、あなた自身なのです。

 

感情を手放し、望む世界の現実を創造してゆくこと・・・、

それは、「あなた」たった一人から始められるのです。

そして、「あなた」たった一人からでもそれは広がるのです。

一人から全体へ、世界へ、宇宙へ、と広がるのです。

 

何故なら本当は、あなたは全体(源)でもあるのだから・・・。

 

あなたと、あなたのまわりにある、愛と美を見えなくさせてしまう、

これら全ての、おそれや感情をあなたが手放す為のアイテムとして、

私たちのこの提案と方法を使ってみてください。


 

また、私たちのこのやり方にも決して縛られずに、

あなたは「美しき神」なのですから、あなたの方法を編み出して良いのです。

 

さて、どうなったら手放せたのか・・・?、それは、そのことを考えても、まったく

「問題はない」「どうでもいい」「何でもいい」と感じられるようになったら、

その時、完全に手放せたことになります。

 

これはもちろん、自分でやってみなければわかりません。

ですから四六時中やってみてください。

 

いますでに、全体・地球などの波動上昇の影響を受けているあなたは、

自己の根底の部分までのイシキの大掃除・・・手放し続けることを求められ始めています。

(あなたがあなたに対して求めている・・・全てはあなたが置いたクリスタルなのです)

 

起こる出来事、出会う人、自分の感じ方、

あるいは人の囚われや観念が見えたときでさえ、手放し続けることです。

 

何故なら、それらが見え、たとえほんの少しでもあなたがそれらに抵抗を感じるのであれば、

それは、あなたのイシキの内にあるものが、ただ映し出されているのであり、

それは、あなたが手放すための素晴らしいチャンスだからなのです。

 

あなたがその抵抗を手放すことによって、

あなたは、それらの体験を、自分自身の体験や経験として、

もう再現する必要が無くなる・・・のです。

 

また、夢の中でも放出が始まることがあります。

様々な感情を味わう夢を見た時には、起きてすぐに、

それらの感情・・・良いものも悪いものも、全て手放しましょう。

 

さて、良いものも何故手放すのか・・・これは、この先詳しくお伝えしてゆくことになりますが、

良いものもまた、極性の中のひとつの限定であり、イシキを執着などによって縛り、

更なる展開・・・無限の在り方への妨げになることがあるからです。

 

しかし、良いものを手放すことにまだ抵抗がある場合には、

まずは嫌なものを手放し、やがてあなたがそうと知った時に、良いものも手放すことです。

 

さて、これは決して行ではありませんし、行にしてしまわないで頂きたいのですが、

始めはもう、24時間手放し続けるくらいの「想い」が必要かもしれません。

 

何故ならあなたは、本来の自己の純粋なイシキに、あなた自身の記憶や全体からやってくる、

様々な観念・想念・感情など、ありとあらゆる情報を付け加え、

そしてまた、常に付け加え続けているからです。

 

やがて徐々に、手放し続けることも必要ではなくなるでしょう。

いかなる時も、いかなる出来事に対しても、

「問題はない」「どうでもいい」「何でもいい」となってゆくからです。

 

しかしそれは、決して投げやりなのではなく、この世は幻想だとわかり、

全ては単なるゲームだとわかるから、感情がまったく巻き込まれなくなる、

そして、感情が巻き込まれなくなると、やがて何も問題に思えなくなる、・・・にすぎません。

 

それは、もう何も起こらなくなる・・・ということではありません。

やがては、起こらなくなるかもしれないが、起こる時は起こるべきことが起こるでしょう。

 

全体や他の問題自体はなくならないかもしれないが、

あなたのそれらのことに対する感じ方は変わる、

そして個人的な問題はほとんどなくなってくるでしょう。

 

そして、私たちのお伝えすること、またあなたの外側からやってくるもの・・・

それら全ては、単なる情報であり、

あなたがあなたを、新たな認識・イシキの変容へと連れて行くのですから、

あなた自身が実際にやってみる、歩んでみることでしか、

その経験と体感は決してもたらされないのです。

 

「こだまなくらしサークル」のヒビキ

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