「こだまなくらしサークル」のヒビキ

チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第26章

愛として見るかA

傷つくことなどありえない


YouTube録音動画

 


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

さてもう少し、(全体)と(あなた)という、コトバと視点を使って、

このお話を続けてみたいと思います。

 

こうして、(全体)が成り続けている舞台の上で、

悲しみの劇、苦しみの劇、恐怖の劇、あるいは喜びや愛の劇の中で、

(あなた)は永きにわたって、悲しみ、苦しみ、恐怖、

あるいは喜びや愛などの様々な感情を体感し、

ある時は傷つき、ある時は愛を感じてもきました。

 

しかし、本当のこととは、

(あなた)「傷つくことなど ありえない」存在なのです。

確かに、カラダという物質は傷つくことがあるかもしれない、

感情もまた、傷ついたように感じることがあるかもしれない、

 

けれど本当は、全ては、(全体)の舞台で演じられ続けている劇、

幻想、夢、幻、ゲームでしかなかったのです。

 

そして、(あなた)という存在の本質は、(全体)とまったく同じものであり、

それは、純粋で無垢なままの存在であって

そして・・・、かつても、いまも、これからも・・・、永遠に

無限の愛であり、無限の喜びであり、無限の自由で在り続けているのです。

 

(あなた)は、「自分は傷ついた」と感じてきたかもしれないけれど、

そこには、「傷つく」・・・という幻想が、あっただけにしか過ぎない、

 

(あなた)は、本当は「ありえない」ことを、

(全体)が成り続けるこの壮大な夢の中で、

体験してみたかっただけにしか過ぎないのです。

 

もちろん、あなたにはまだ、そう感じられないかもしれない・・・、それでも、

人(あなた)が傷つくことなど絶対にありえない・・・、

 

それは・・・、(全体)が、その限りない愛で成り続けている

舞台とシチュエーションの中での

「傷つくこと」を体験するための幻想と、

「傷つくことを感じる」という幻想・・・があっただけにしか過ぎないのです。

 

もちろん、あなたには、まだそう感じられないかもしれない・・・、それでも、

人(あなた)が悲しむことなど絶対にありえない・・・、

 

それは・・・、(全体)が、その限りない愛で成り続けている

舞台とシチュエーションの中での

「悲しみ」を体験するための幻想と、

「悲しみを感じる」という幻想・・・があっただけにしか過ぎないのです。

 

もちろん、あなたには、まだそう感じられないかもしれない・・・、それでも、

人(あなた)が死ぬことなど絶対にありえない・・・、

 

それは・・・、(全体)が、その限りない愛で成り続けている

舞台とシチュエーションの中での

「死ぬこと」を体験するための幻想と、

「死を感じる」という幻想・・・があっただけにしか過ぎないのです。

 

これは、(あなた)が感じる、おそれ、不安、不足、心配、

あらゆる感情体験のその全ての全てに於いて、まったく同じだと言えます・・・、

 

それらは全て・・・、(全体)が、その限りない愛で成り続けている

舞台とシチュエーションの中での

「それ」を体験するための幻想と、

「それを感じる」という幻想が・・・あっただけにしか過ぎないのです。

 

しかし、(あなた)はこう言うでしょうか?

 

そんな風には、見えない、思えない、感じられない、

たとえ全てが、幻想だ、夢だ、幻だ、ゲームだ・・・と言われても、

(あなた)には感情があり、体感があるではないか・・・と。

 

(あなた)は、悲しいことがあれば悲しく感じ、嬉しいことがあれば嬉しく感じ、

(あなた)は、暑ければ暑く感じ、寒ければ寒さを感じる、ではないか・・・と。

 

(あなた)は、何かを失えば、悲しく、つらく、そして不安も恐怖もある・・・、

(あなた)は、カラダが怪我や病気になれば、痛いし、苦しいではないか・・・と。

 

けれど、(あなた)は、本当はカラダではない、感情でもない、

(あなた)は本当は、純粋な光のイシキであり、

ただ・・・人のカラダという乗り物に乗って、

あらゆることを体験し、感情として味わうことをしているだけに過ぎない・・・、

 

そして、(あなた)のその本質は、(全体)とまったく同じものであり、

本当は、それら全てをコントロールすることもできる存在なのです。

 

しかし、そこにはパラドックスやトリックがあり、

またこの次元にはいくつもの幻想があり、

それらを超えてコントロールできる存在と成りゆくには、

 

その(あなた)自身の体感・・・「感じること」を通して、

・・・自分自身の本質を、自分自身で「知りゆく」しかないのです。

 

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(「知る」存在に成る為のワーク「知る」に「成る」ためのワーク

(パラドックス・トリックについてと、感情の手放し方はこちら)

パラドックス・トリック・スーパーマジック感情を手放す

 

これらのページで私たちは、どんな感情も手放すことが出来る、

握りしめているのは、その(あなた)自身でしかないことを書いてきました。

もしもその(あなた)が、本当にその感情を手放したい、変えたいのであれば、

それは、まったく簡単に出来る、可能であることを、

あなたにも試していただきたいと思います。

 

そして「感情を手放す」ことは、自分自身で決め、行うことでしか体感はできません。

誰も、その(あなた)の代わりにそれをすることは出来ないのです。

 

そしてカラダの感覚もまた、切り離す、手放すことが出来ること、

また、怪我や病気を選択したのはその人自身であること、

イシキの変容の為や、様々な要因によって自分自身がその状態を選んでいること、

また、怪我や病気を自分自身でも癒せることを、まずはお伝えしておきましょう。

(これは長くなり、話がそれますので、今後お伝えしてゆきましょう)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、(あなた)は、永きにわたって、

自分がカラダであり、感情は手放せない、・・・と信じてきたかもしれません。

 

では(あなた)は本当に、「カラダ」という存在なのでしょうか?

(あなた)は本当に、「感情」という存在なのでしょうか?

そして(あなた)は死ねば・・・カラダを失えば、本当にそれっきりの存在なのでしょうか?

 

(全体)と離れたフリをし、自己(全体と個)の全ての側面を

「感情で味わう体験と経験」へと旅立った(あなた)

この冒険・・・、(全体)が成り続けるその舞台とシチュエーションの中で、

 

自分をカラダと同化し、感情と同化し、そこに埋没し、

絶対にそれを手放すことなど出来ない・・・と信じ、

「死ぬことなど ありえない」のに死を恐れ、そして生きることさえも恐れ

「傷つくことなど ありえない」のに傷つくことを恐れ、あるいは「傷ついた」と感じ、

 

あらゆる恐怖、不安、悲しみ、心配、不足、痛み、苦しみ、を感じ続けることで、

それら全てと同化し続け、いつの間にか、

自分は、そのカラダや感情である・・・それらが自分である

・・・と決めつけてきたのではないのでしょうか。

 

けれど、(あなた)は、本当はカラダでも感情でもない、

(あなた)の本質とは、個を体験している神であり、

 

そして、そこに分離は無いのですから、本当はそれら全てでもあり、

それら全てを司ることも出来る、

神という全体・・・だったのです。

 

そして、それはやがて悟ってそう成るのでも、何かの褒章としてそう成れるのでもなく、

始まりの時から変わることなく、ずっとそういう存在だった・・・、

 

そして、まさしく・・・いまのいまも・・・そういう存在であって・・・、

これからも・・・未来永劫・・・そういう存在で在り続けてゆくのです。

 

(あなた)が求めていた神は、人(あなた)自身であった・・・

(あなた)は、誰もが個を体験している神であった・・・

そして、この世界の全ては、

全体である神が成り続けている舞台であり、

またその舞台の上で演じられている劇だった

 

そして、分離は幻想であり、

個を体験している神全体である神であった・・・

 

・・・それら全てを、・・・全ての全てを、ずっとずっと長い間、

(あなた)は、自分自身で見えなくしてきた、見ないできた、見ようともしていなかった、

ただ・・・それだけにしか過ぎなかったのです。

 


あなた自身を 愛として見るか?

起こる全てを 愛として見るか?


結局、風は風から離れて・・・離れたフリをして、

かつて望んだように、カラダによる体感や感情として、

風がどんな感じかを「感じる」ことは出来たけれど、

 

自らが風であったこと、風そのものであったことを

忘れ去ってしまった、気付けなくなってしまった、思い出せなくなった・・・のでしょうか?

 

・・・(あなた)(全体)から離れて・・・離れたフリをして、

(全体)の全ての側面である、愛や喜びや自由を「真に知る」ために、

 

分離という幻想を創造し、その分離の中で、全てのモノやことから自分を隔て

極性という幻想を創造し、その極性の中で、全てのモノやことを自分で偏らせ、

 

かつて望んだように、カラダによる体感や感情として、

あらゆることやものを、どんな感じかを「感じる」ことは出来たけれど、

 

自らが神(個の神)であったこと、自らが神(全体の神)そのものでもあったことを

忘れ去ってしまった、気付けなくなってしまった、思い出せなくなった・・・のでしょうか?

 

けれど、真に「知る」、真に「感じる」ためにはそうするしかなかった・・・、

そこには、あらゆる時と場の体験と経験を通して、

全ての全てを、ただ「知りたい」ただ「感じたい」、・・・という

(あなた)の純粋で無垢な探求心と冒険心があったのです。

 

(あなた)は知りたくて求めてきた、

(あなた)が求めたから、それはもたらされた、

(あなた)が求めたもの全てに、(全体)は成り続けてきた、

 

死、おそれ、恐怖、不安、悲しみ、心配、不足、痛み、苦しみ、飢えや渇き、

国と国の抗争、民族の紛争、権力と戦争、支配と圧制、

恋人たち、兄弟姉妹、親子の断絶や憎しみ、・・・・・。

 

そして、この幻想の中で、(あなた)はいつの時も求めてきた、

愛を・・・、喜びを・・・、自由を・・・、そして、(全体)を・・・・・。

 

そして、(全体)は、悠久の彼方から、いつの時も、

その舞台と成り、シチュエーションと成りながらも、

ただ・・・愛として在り続けた・・・、

 

何故なら(全体)は、自らが成り続ける舞台とシチュエーションの中で、

たとえ何があろうとも・・・、どんな闇であろうとも・・・、決して!絶対に!

体験し続ける(あなた)が、

「傷つくことなど ありえない」・・・ということを、

ただ・・・「知っている」から・・・、

 

まったくもって、完全に、「安全で、安心である」・・・ということを

ただ・・・「知っている」から・・・、

 

そう、だからこそ、私たちは・・・「あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在だ」・・・と言いたい、

そして、あなたにそれを受け容れてもらいたいのです。

 

悠久の時の彼方から、(あなた)が求めてきた、

愛・喜び・自由・・・そして(全体)・・・、

 

それは、あまりにも当たり前で、あまりにも見慣れていて、

あまりにもそこかしこにあって、あまりにもありふれていて、

あまりにも全ての全てが、それそのものでしかなかったから、

(あなた)はそれに気付かず、それが見える事がなかった・・・そして見ようともしてこなかった、

 

全ての全てが神だった・・・、

神、神、神、神・・・・・神しかいない、

神・神・神・神・・・・・神でないモノはない、

 

それは、あなたの目の前の見える全てであり、見えない全てであり、

あなた自身でもあったのだ、

そう、あなたは・・・神そのもの・・・だった。

 

そして、神は愛であり、愛以外のものには決して成れない

全ての全てが愛だった・・・、

愛、愛、愛、愛・・・・・愛しかない、

愛・愛・愛・愛・・・・・愛でないモノはない、

 

それは、あなたの目の前の見える全てであり、見えない全てであり、

あなた自身でもあったのだ、

そう、あなたは・・・愛そのもの・・・だった。

 

さあいま、あなたには、あなた自身が、愛として見えるでしょうか?

あなた自身を、全体なる神の久遠に、愛として「ただ在る」スガタ

・・・として見ることが出来るでしょうか?

 

そして、かつて起きたこと、いま起きていること、これから起きること、

その全てを・・・、ただ愛として見ることが出来るでしょうか・・・?

 

そう・・・、いま・ここで・・・、様々に張り巡らされた幻想のベールを超え、

起こる全てを・・・、

愛として見ることが出来るでしょうか?

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・「こだまなくらしサークル」のヒビキ

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