チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」

「こだまなくらしサークル」のヒビキ



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第33章


死を超える@

海に捨てられた豆


YouTube録音動画

 


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

 

「見えない領域」と、あなたが体験している現実世界

・・・「見える領域」とを、隔てているものは何でしょう。

 

それは例えて言えば、一枚の薄いベールです。

 

「見える領域」は幻想で、「見えない領域」が実在・実相であり、

その実在・実相を見えなくしているのもこのベールです。

 

・・・しかし、私たちがこの幻想のベールを取り払うことはできません。

何故なら、あなたの現実体験は、あなたが始めた冒険であり、

壮大なる自由意志・・・無限自由によって、

全てあなたが選択・決定し、あなたが創っているものだからです。

 

また、幻想のベールを超えて見ることは、

あなたのイシキの拡大・変容にのみかかっていて、

あなたに代わってそれを達成出来る存在は、誰ひとりとしていないからです。

 

本当にわずかな「考え方」「想い」「感じ方」の違いだけで、

現実体験は「天国」にも「地獄」にもすることが出来るのです。

その存在のイシキの在り方・気分によって、全ては、まったく変わってしまうのです。

 

では、どうしたらあなたのイシキの拡大・変容がもたらされ、

その幻想のベールを超えて見ることが出来るのでしょうか?

 

それは、そういうもの(幻想のベール)がある・・・という、知識・情報を「知ること」、

幻想のベールを超えたいという、・・・「あなたの希求」、

希求と同時に「私はベールを超えて見る」という、・・・「あなたの選択

そして「すでにそうである」という、・・・「あなたの決定

 

・・・それらが、あなたのイシキの拡大・変容をもたらし、

あなたは自ら、幻想のベールを超え、その向こうを、

自分自身で「感じる」「見る」「知る」ように「成る」のです。

 

希求・選択・決定」は、いつの時も全てあなたがするのであり、

私たちはその知識(情報)をお伝えしています。

しかし、その知識(情報)もまた、無理やり信じこもうとするのではなく・・・、

あなた自身の「感じること」を通して、あなた自身で「選び続ける」ことが大切です。

 

本質のあなた(内成る源)からやって来るフィーリングが、

これは自分の真実と感じる」・・・と、あなたに告げているだろうか・・・?

・・・それが唯一の指針であり、それを私たちは「ヒビキ」「フィーリング」

「センセーション」「その感じ」・・・などと表現してきました。

 

何故なら、本質のあなた(内成る源)に至る道は外にはなく、

知識(情報)もまた、この現実世界の幻想のベール越しの情報でしかないからです。

 

どんなに美辞麗句のコトバで語り尽くしたとしても、

それらは全て、本質のあなたへと至る道の、扉の前までのことでしかありません。

この現実世界のコトバを超えて、あなた自身で

「感じる」・「見る」・「知る」ことこそが、本質のあなたへと至る道なのです。

しかし、ずっと外を見続けてきた人類が、

本質の自分に至る道が、自分自身の内に在ることを知るには、

そういった知識(情報)が大切になることでしょう。

 

そこで、あなたを扉の前までご案内するこの知識(情報)について、

ここで、ひとつのお話をさせていただきたいと思います。


海に捨てられた豆

 

昔、長い船旅で、多くの船乗りたちが、脚気(かっけ)に悩まされていました。

 

(※脚気・・・ビタミンB1の欠乏により起こる病気。倦怠感、

手足のしびれ・むくみなどから始まり、末梢神経の麻痺(まひ)や心臓衰弱を呈し、

重症になれば脚気衝心となって、心臓機能の不全、呼吸困難で、苦悶して死に至る)

 

しかし、それが「脚気」という病気である・・・ということも、

何故その「脚気」になるのかも、そして、もちろん「脚気」の治療法・解決策も、

当時はまだ解明されてはいませんでした。

 

そこで人々は、長い船旅の前には、

自分がそんな「恐ろしい状態」にならないようにと、

天の神や偶像神に祈り、まじないやお守り、 様々な儀式などに救いを求め、

何とか、そのことから逃れようとしていたのでした。

 

船には保存のきく食材がたくさん積まれていましたが、

保存方法が限られていた為に、乾物や穀物などが主で新鮮なものはなく、

寄港地に着くまでは、野菜や果物を食べることは困難でした。

実際には、単にそのためのビタミン不足によって、多くの船員が脚気になっていたのです。

 

さて、保存のきく食材の中には豆もありました。

ある時、その豆が水分を含んで発芽しました。

「大切な食材が駄目になってしまった」・・・と思った船乗り達は、がっかりしましたが、

仕方なく、発芽した豆を全て海に投げ捨てました。

 

しかし実は、その「発芽した豆」こそは、今でいう「もやし」であり、

新鮮で、しかもビタミンもある、脚気の治療薬ともなる食べ物だったのです。

 

まず脚気の原因が解明されていなかったため、

ビタミンというような知識(情報)が無かった・・・、

また、発芽した豆は「もやし」として食べられる・・・という知識(情報)も無かった・・・、

 

今でこそ常識とも言えるそんな些細なことで、

その時はまだ多くの人々が、苦しみから逃れられなかったのです。

 

知識(情報)がないために、天の賜物とも言える「脚気」の解決策となる

大切な食品を、まったくそうとも知らずに、全て海に投げ捨てた・・・のでした。

 

そして、自分がそのような「恐ろしい状態」にならないように・・・と、

遠い天の神や偶像神に祈り、また迷信によるまじないやお守り、

様々な儀式などに救いを求め、何とか、そのことから逃れようとしていたのでした。

 


さて、この「発芽した豆」は、見えない領域・・・全体で在る源から

彼らにもたらされた「祈りの答」だった・・・と、あなたには感じられないでしょうか?

 

彼らが遠い天の神や、偶像神に祈り、迷信によるまじないやお守り、

様々な儀式などの、他に救いを求め続けていたとしても、

人々の祈りが聞かれなかったことなど、かつて一度たりともないのです。

 

見えない領域の多くの存在が、人々の苦しみを和らげたい・・・、

解決の道を伝えたい・・・と、いつも見守っているのです。

それはただ・・・、幻想のベールの為に、わからないだけなのです。

 

そして、それは、これまで人類にいわれてきたような、

「幽霊」や「神霊」などの、怖ろしげなもの、怪しげなもの、

不可思議なもの、近寄りがたいもの・・・などではなく、

そしてまた、あなたより進んでいる・遅れている・・・のでも、

優れている・劣っている・・・のでもないのです。

 

人々はただ、幻想のベールの為に、社会イシキなどの「常識」の範疇を超えるものは全て、

「ゲーム情報」「ゲーム感情」を使って、様々に「イミ付け」を創り、

「カテゴライズ」し続けてきただけなのです。

 

さて、そんな風に「祈りの答」はいつも目の前にやって来ているのに・・・、

あるいは、すでに、もう、ずっと、目の前に在ったのに・・・、

 

人々は、そうとは気付かない為に見ようともせず、

海に捨てられた豆」にしていることが、本当に多いのではないでしょうか・・・?

 

それは、人類の体験の場、現実世界、・・・その見えている領域だけが実在であり、

幻想のベールの向こうにある、見えないもの、見えない領域など存在しない、

・・・「だってそれは見えないのだから在るわけが無い」

・・・と言い、信じない、故に知らない・・・、と多くの人々が

決め付けて来たからではないのでしょうか?

 


 イシキの移行境界線

 

この世界の多くの人は、いまはまだ「死」を「信じ」ていて、

自分や誰かがもしも「死」んだら、「見えないどこか」にゆく・・・

あるいは、この世界から消滅する・・・と「決めて」います。

 

人々は、この「死」というコトバに対し、様々なイメージを持っていることでしょうが、

その多くは、「ネガティブ」なものであり、

故に・・・「死んだら大変」・・・とも思っていることでしょう。

 

そして「死」を避けようと、あらゆる努力を惜しまない・・・

あるいは「死」ぬまでに、あれやこれやをしておきたい・・・と

イシキの内のどこかで考えてもいることでしょう。

 

人が死ぬのは何故か・・・?

それは・・・「他の人が死ぬのを見るからだ」・・・と言った存在がいましたが、

まさしく人が「死」ぬのは、「死」を当たり前のコトとして受け容れ、

誰もが避けては通れないものと「信じ」きって、

そう「決めて」しまっているからに他なりません。

 

人々は、誰もがやがて「死」ぬのは、

当然・当たり前・フツウ・常識だ・避けて通れないもの・・と「決めて」います。

そして「死」を、何か、「特別なもの」「フツウではない出来事」「不幸なコト」

・・・と「カテゴライズ」していて、それ以外の「考え」は受け容れようともしていません。

 

しかし「死」とは、単なるイシキが移行する「境界線」であって、

実際には日常様々な場面で、あなたや人々は

この「境界線」を体験し続けてもいるのです。

 

例えば・・・、あなたが手放したり愛に還したりするコトで、

これまで全く許すことが出来なかった誰かや何かを受け容れ、許すとき・・・、

 

そうやって、愛の表現を様々に上げて行くとき、

あなたはまるで、さなぎが蝶に成るように、

以前の自分から今の自分へと、瞬間・瞬間・生まれ変わっているのです。

 

それはコトバを変えれば、「常に生き死にしている」・・・ということも出来ます。

 

どうでしょうか?あなたもちょっと感じてみてください。

「十年前の自分」と「今の自分」は、その「イシキの在り方」について言えば、

生まれ変わったようだ」・・・とは、感じないでしょうか?

 

さて、このように「当たり前」の単なるイシキの移行「境界線」

ものすごく「特別なもの」にしてきたのは、「見えている領域」だけが「現実」であり、

「見えない領域」を幻想のベールの向こう側のものとして、

あまりよく「知ろう」とはしてこなかったから、

 

・・・あるいは、「死」について触れることには

「タブー的感覚」「荘厳的感覚」などがあったからかもしれません。

 

さて、色々な「考え」や「決め」が在ることと思いますが、

多くの人は誰かが「死」んだら、「見えないどこか」に行くものと考えているでしょう。

ではこの「見えないどこか」・・・「見えない領域」とは何でしょうか。

 

そして「見えない領域」に移行した・・・、

いわゆる人々が「死んだ」・・・と言っている存在たちは、

どこに居て、どんな風にしているのか、まずはそのことについて触れてゆきましょう。

 


いま・ここ の 君の すべてを 愛してる

 

この次元の人々に、「死んだ」・・・と言われている存在は、

どのような過程をたどるのでしょうか。

 

まず始めに、病であれ事故であれ自然死であれ、

「臨終」と言われているものによって、彼(彼女)の「イシキ」は、そのカラダから離れます。

 

「イシキ」がカラダから離れたときに、まず始めに何が起こるか・・・、

彼(彼女)は、自分に起こっていることに大抵はびっくりします。

 

それは、いままで聞かされてきたことではなく、

又、自分が「死ぬ」とは、大体こんな感じだろうと思ってきたことでもなく、

まったく意外な素晴らしいことが、自分自身に起こっていることに気付くからです。

 

しかし、始めは戸惑うので、先に「見えない領域」へと移行した、

かつての親しい存在たちや、多くの存在たちが、

彼(彼女)を囲んでやさしく導き、怖いことなど何もないこと・・・、

安心し、恐れや緊張を手放すように、道を示します。

 

彼(彼女)が、その導きにしたがって恐れや緊張を手放すと共に、

彼(彼女)の視野は拡大し、死んでも何も無くなるわけではなく、

自分が永遠なのだ・・・ということにも気付き始めます。

 

自分は、ちゃんと普通にイシキもあり、けれど、もう肉体の制限

・・・痛みや苦しみ、老いや不自由からは開放されていて、

 

それでもしっかりとカラダもあり、その新たな感覚の美しい精妙なカラダを持って、

(物質世界の肉体ではなく、波動の異なる精妙なボディー)

現実世界の肉体で生きていたときよりも、

さらにずっと元気に、軽快に、心地よく、生き生きと、いまもなお、ここにいる・・・、

 

いまもなお、感じることは感じ、思うことは思って、

コトバも発し、いや発するよりも早く想い・想念は伝わり、

あらゆることを、見たり、聞いたり、体験したりもできる、

 

どこかに行こうと思うとすぐにそこに居て、

誰かに会いたいと思うとすぐにその存在に会える、

かつて良くは思っていなかった相手とさえ、笑い合えるようになる・・・、

全てのこだわりと失敗と誤解はとけ去って、全ての存在を深く愛していたことに気付く、

 

その人々が自分のためにその役を引き受けてくれていたこともわかり、

目が覚める想いがすると共に、様々な気付きがやってくる・・・、

 

無などではない、何も失ってもいない・・・、全てが在り、全てが生き生きと生きて、

イノチが躍動する様も、その音さえも感じられる・・・、

 

・・・彼(彼女)は、まさしく幻でも夢でもなく実体験として、そういう状況に気がつくのです。

それはまさに、まるで長い長い夢から目覚めて、

気分がすっきり、視界がはっきりしたような感じかもしれません。

 

そして、様々な個性はあるでしょうが、ほとんどの存在が一番初めに思うことは、

なぁんだ・・・、いままで心配して来たことなんか、

何にも、何にも、何にも、な〜んにもなかったんだ〜!

 

そして、誰もがきっと感じるのは、

すごいや!僕(わたし)ってすごいんだなぁ!

嬉しいなぁ!楽しいなぁ!・・・すばらしいなぁ!・・・、というような感覚です。

(・・・そこのイシキ段階だけでもすごい、素晴らしい感動がある

・・・その先にはさらにすごい、素晴らしい、無限・限りのない感動がある・・・のです)

 

・・・その感動にしばらくいて、やがてそれに慣れてくると、

現実世界の愛する人たちに、ぜひとも・・・、いや絶対に!絶対に!絶対に!・・・、

このことを伝えたい・教えたい・・・と思う、

(それぞれなので、現実世界には興味がなくなり、

先へと進むことだけが楽しく成る存在もいる)

 

・・・伝えたいと思う存在は多い、だってすごくいいこと、素晴らしいこと、びっくりすること、

楽しいことは人に知ってもらいたいから・・・、

 

そして、死は幻だということがわかってくるから・・・、

そして、残してきた愛する人の悲しみ・苦しみを何とかしてあげたいと思うから・・・、

また、始めの内は現実世界との絆を強く感じてもいるから・・・、

 

そして、彼(彼女)は一生懸命伝えようとする・・・

そんなに考えを狭めないで・・・、心配ばかりして生きなくても大丈夫なんだよ・・・と、

永遠に生きるんだよ・・・、「死」なんてないんだから・・・

だから、ただ、いま・ここの一瞬一瞬を、大切に生きればいいだけなんだ・・・と、

 

そして、自分は死んでもなお、こうしてカラダもあり、思ったり、感じたりしていて、

その相手(残してきた存在)の手足よりも、息よりも近いところにいること・・・

もう肉体の制限からも自由で、

こんなに元気で、いまもなお、生き生きと生きていること・・・、

 

いまもなお、君(あなた)をこうして想っていて、

決して、決して、決して、君(あなた)を、ひとり残し、

君(あなた)のもとから、立ち去ったわけではないこと・・・、

 

どうか悲しまないで・・・、顔を上げて・・・、いまを生きて・・・、僕(わたし)を感じて・・・、

目の前のベールを取り払って・・・、僕(わたし)を見て・・・、

・・・ということを伝えよう、教えようとする、

 

僕(わたし)のことを、どうしているか・・・と心配したり、

してこなかったこと、もう出来ないこと(過去や未来)を、

悔やんだり、憂えたりするのはやめて・・・、

それよりも、もっと、もっと、もっと、大切な事は、

本当に本当に、真に大切なこととは・・・、

 

いまも、なお、僕(わたし)は、ここに、いて・・・、

いま・ここの 君(あなた)を 見て、いま・ここの 君(あなた)を 感じ、

いま・ここの 君の すべてを 愛してる

 

そう、それだけだ!・・・そして、いまの僕(わたし)には、

君(あなた)の悲しみや苦しみもわかる、

君(あなた)の気持を感じることもできる、

 

そして、前よりもずっと深く、君(あなた)を愛している、

それはもうコトバになど出来ないほどに・・・、

だって、僕(わたし)と君(あなた)はずっと一緒で、

別離などないことをもう知っているから・・・

 

こんなに君(あなた)のそばにいて、こんなに君(あなた)を思っているのに、

そんな僕(わたし)を感じられないのは、君(あなた)の閉ざされた心なんだよ・・・、

 

だからどうか、心穏やかに、ただ内なる静けさを感じて・・・、

悲しみや苦しみを、握りしめ続けず、抱き続けず、どうか手放して欲しい・・・、

僕(わたし)を、感じようとしてみて欲しい・・・、

僕(わたし)と、波長を合わせようとしてみて欲しい・・・、

 

僕(わたし)がいないことを嘆くのではなく・・・、

僕(わたし)がもういないと、外を見るのではなく・・・、

君(あなた)の内を感じることで、きっと僕(わたし)がわかる、

 

君(あなた)が自分の内を見始めれば、そうしたら必ず、僕(わたし)が見える・・・、

ほら、やってみて・・・、ほら、ほら、微笑んで・・・、

ほら、ほら、ほら、風を感じるように僕を感じて・・・、

 

そうして、僕(わたし)が知ったこと・・・、

「死」と言われてきたモノを通過してから、

発見した、感じた、見た、味わった、知った、素晴らしいこと・・・、

 

その全てを、君(あなた)に伝えたい・・・、知って欲しい・・・、感じて欲しい・・・、

死などないこと・・・、僕たち「存在」は、永遠に、生き生きと、生き続けること・・・、

 

そして、この先にもずっと続く、永遠があること・・・、

永遠にずっと続く、知りゆくことがあること・・・、

永遠にイシキが拡大してゆけること・・・、

 

それを君(あなた)にも知って欲しい・・・、

僕(わたし)がこれだけ一生懸命、伝えようとしているんだから・・・、

伝えたいと思っているのだから・・・、きっときっと、君(あなた)にもわかってもらえる・・・、

きっときっと、君(あなた)だったら、それに気付いてくれるはずだ・・・、

 

君(あなた)に全てを伝えたい、教えたい、感じてもらいたい・・・、

すごいや!すごいんだなぁ!嬉しいなぁ!びっくりしたなぁ!

楽しいなぁ!・・・すばらしいなぁ!、

・・・と僕(わたし)が、いま・感じた、いま・わかった、いま・知った、

「この感じ」の全ての全てを、君(あなた)にも知ってもらいたい・・・、

 

・・・彼(彼女)はそう思って、伝えよう、教えよう、知らせよう・・・とする、

・・・そして、この世界の人々の悲しみを、何とかしてあげたいと感じ続けるだろう、

・・・けれど、現実世界にいる人は、多くの場合、こんな風に感じている・・・、

 

彼(彼女)は、私を置いて・・・、私を残して・・・、

ひとりぼっちにして・・・、どこかに行ってしまった・・・、

見えない世界へ、彼岸へ、遠い彼方へと去ってしまった・・・、

 

寂しい、悲しい、もう二度と彼(彼女)と会えなくてつらい・・・、

一体どうしたらいいんだ・・・、何をしたらいいんだ・・・、

あれも出来ない・・・、これも出来ない・・・、

 

物など何の役にも立たない、この世界には私を慰めるものなど何ひとつない・・・、

彼(彼女)の死と共に、私の心も死んでしまった、

たとえ何をしたとしても、彼(彼女)がもういない・・・ということだけが常に思い出され、

喪失のつらさが増すだけでしかない・・・、

 

楽しいことなんて何も無い・・・、良いことなど、もう全部忘れてしまった・・・、

もう、嬉しいなんて気持ちを、思い出すことも出来ない・・・、

どんなだったかさえもわからない・・・、

 

それに、いつかそんな日が来るとは到底思えない・・・、

そう言えば、あの時はこうすれば良かった・・・、

そうか、もう、この先こんな風にも出来ないんだ・・・、

 

だって、彼(彼女)は、もうどこにもいない・・・、

だって見えない、会えない、話だって出来ない・・・、

私はもう、彼(彼女)と遠く離れてしまった・・・、

 

私は、たった一人で、ずっと一人で、ひとりぼっちで

これから、この世界を、生きてゆかなければならない・・・、

悲しくて、悲しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうだ・・・、

こんな深い絶望が、苦しみが、悲しみが、喪失があるなんて・・・、

 

人生は何て残酷なんだ・・・、ああ、もう私も死にたい、

こんな悲しみの中で生き続けるよりは、もういっそ死んでしまいたい、

死んで彼(彼女)ともう一度会いたい、

 

こんなにつらい気持ちを感じ続けるのはもう嫌だ、

死んでしまった方がラクに決まっている、

 

(さて、ここで一言・・・イシキは死に移行すると、

その時感じていた感情を増幅させる、

故に、もしも苦しみ悲しみの内に「死」に移行(世にいう自殺を)すれば、

その感情のイシキ状態に自分自身を閉じ込めることになる、

 

それは決して誰かに裁かれ地獄に行かされるというわけではなく、

本質は神で在る存在が、自分で自分を閉じ込める、

会いたい人とも会えないばかりか、

後悔の念にさいなまれたイシキの場に長く留まる、

 

・・・自殺や殺人はその後の調整に大変時間がかかることなので、

人も自分も殺さない道を選択していただきたく情報をお伝えしています)

 

・・・と言っては・・・、想っては・・・、感じては、

過去を悔やみ、未来を憂い、故に「いま」を生きることは出来ず・・・、

喪失だけに、フォーカスして、フォーカスして、フォーカスして、フォーカスし続ける・・・、

 

それを手放すこと、自分で変えられることなど思いもよらず、

こぶしの中に硬く握りしめ、握りしめ続け、抱き、抱き続ける、

 

眠りだけが彼女(彼)の救いかもしれない・・・、

何故なら、眠った時に「考え」なくなることによって、やっと波動調整が行われ、

忘れていられる時間が少しずつ長くなる・・・、

やがて時の忘却によって、それらが薄れる日もやって来る・・・、

 

もちろん、彼(彼女)を感じることは出来ない・・・、

彼(彼女)が、自分の手足よりも、息よりも近いところにいることにも気付かない・・・

 

それは、波動・波長がまったく違うから・・・、

それは、その存在自身のイシキが信じていないこと、

否定していることを、感じることなど決して出来ないから・・・、

 

その存在は、悲しみや苦しみ以外のことを

「感じてみよう」という選択をしていないから・・・、

悲しみや苦しみを感じ続けることを「選択」し「決めて」いるから・・・、

 

そこだけに「きっちり」「フォーカス」し続けることを「決定」しているから、

それはまるで、守られた要塞・・・聳え立つ城壁よりも堅固・・・だから、

 

もちろん、見えない領域などあるとも思わないし、

「もしかしたらあるのかもしれない・・・」と感じてはいても、

空間幻想によって、すぐそばにあるとは思ってもいないので、

いま・ここ に在る(存在する、いる)、彼(彼女)を感じてみよう・・・などとは思いもしない、

 

目には目隠しを耳には耳栓をし、心は閉ざしているので、

彼(彼女)がどんなに一生懸命に伝えたいと思い、

わかってもらおうとしても、大抵は失敗に終わる・・・、

 

やがて、彼(彼女)は、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

試みては、空回りするその働きかけを、

いつかはあきらめ、先に進まなければならなくなる、

 

遅かれ早かれ、どの存在にもその時はやってくる・・・、

その間、他の存在たちは、もうすでに自分も体験して知ってはいるけれども、

彼(彼女)の気の済む(気の澄む)まで、それを見守る・・・、

 

何故なら、その想いを通過し、自分自身の気が澄むまでは、

彼(彼女)のイシキは次へと進めないことを知っているから・・・、

 

そして少しずつでも、彼(彼女)のイシキが他に向き始めると、

様々な選択肢を見せて、彼(彼女)に次に進む道を指し示す・・・、

 

その道は、彼(彼女)の前に永遠に向かって続き、

彼(彼女)を誘うように、彼(彼女)の選択を待ち、

しかして、そこに、ただ、在り続けるだろう・・・、

 

やがて様々な調整の後、ある存在は愛する人をこの先も助けてゆきたいと、

その人のそばで、守護霊となり見守り続ける選択をし、

 

ある存在は、もう一度生まれ変わりたいと望み、

愛する人のところに近しい存在として戻ろうと選択をする、

それは、例えば次の子供や孫として・・・、

(あるいは、まったく違う経験・体験の為の場を選んで)

 

又ある存在は、ある期間、愛する人を見守ってから、

自己の求める次なる道へと進む選択をする・・・、

 

それは、決してあきらめ、見放したのではなく、

「残された人が、個として乗り越えてゆく体験なのだ」と伝えられ、

自分でも、それが解り、受け容れ、納得し、あきらめて(顕かなる目を持ってというイミ)、

 

そこから立ち去って、自分のイシキの階層へと移ってゆく・・・、

しかしそれでもなお、彼(彼女)は立ち去ったというわけではない、

空間はなく・・・、時間はない・・・、

見えない領域では、思ったと同時に、すでにそこに居るのだから・・・、

 

そうしてまた彼(彼女)は、その人のもとを訪れて(相手に焦点を定めて・フォーカスして)

君(あなた)に、全てを伝えたい、教えたい、感じてもらいたい、知ってもらいたい・・・、

 

いま・ここ の 君の すべてを 愛してる

・・・と、愛を送り続け、送り続け、送り続けることだろう・・・、

 


さて、こうして、残された人の「彼(彼女)と会いたい」・・・という祈りは、

すでに叶えられていて、彼(彼女)は自分の手足よりも息よりも近いところにいるのに、

 

彼(彼女)がどうしても伝えたかったこと、教えたかったことは、

海に捨てられた豆」のように、投げ捨てられ続けているのです。

 

そして多くは・・・、残されたと思っているその人自身が、

見えない領域に移行する・・・、人々が言うところの「死」ぬ日まで、

彼であった存在が、永遠に生き生きと在り続けていることに気付くことはないでしょう。

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・「こだまなくらしサークル」のヒビキ

HOME


 


 


こちらは、地球人のためのスピリチュアルレッスンからお借りしてきました。

 

 


当ホームページの絵の著作権はkodamaに帰属します。
画像は販売・無断転載・再配信・加工をしないで下さい。
ご協力ありがとうございます。
Copyright. 2000.4.1.art kodama

inserted by FC2 system inserted by FC2 system