チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」

「こだまなくらしサークル」のヒビキ



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第35章


死を超えるB

俯瞰と変容(ふかん・トランスフォーメーション)


YouTube録音動画

35-1

 

35-2

 


全てを超え続ける超越者

 

源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

 

さて、「死」によって現実世界から移行したイシキ存在たちは、

第二〜第五イシキ層に於いて、自分の想い描いたことを

タイムラグのない状態で出現させ、あらゆる創造を行っています。

 

特に第五イシキ層に於いては、内なる平安によって「イメージ通りの楽園」が出現するのですから、

これまで現実世界(第一イシキ層)で語られてきたような、

竪琴を弾き、歌い、花咲き乱れ、天使達が飛ぶ・・・天国を創ることも出来る

・・・故に誰かが語る「天国」のイメージは、彼ら自身にとっては「まさに正しい」のです。

 

では、様々な宗教や物語の中で語られてきた、「地獄」は一体どこにあるのでしょうか?

・・・それは、ちょっと考えると第二や第三イシキ層のようにも思えますが、

そこでもまた、壮大なる自由意志・・・「無限自由」のもと、

ただ自らの想いによって、あらゆる創造をし続けているだけであり、

 

他から責められたり、懲らしめられたりすることなどは、自分自身がそう創造しない限りは

・・・決してありません・・・ですからここは「地獄」ではないのです。

 

実際には、「地獄」は・・・、この現実世界(第一イシキ層)の、

人類の情報(本や宗教)の中、その人の思考の中、想いの中、過去と未来の中、幻の中、

夢の中、イメージの中、・・・日々の「自らの心の中」に、

その人自身が創り出してゆくものなのです。

 

そう・・・「地獄」という概念は、この「現実世界」ゲームの人類の「奇想天外な創作」

ゲームをより過激にする為の「シュールなアイデア」であった・・・とも言えるでしょう。

 

源(全体・神)は、無限愛・無限自由・無限歓喜として「ただ在る」のであり、

・・・その全体の、どこにもそんな場は無い・・・そして「ありえない」のです。

 

もしも全体で在る源の中に、「地獄」のように誰かや何かを裁く場が在るとしたら、

「無限」で「ただ在る」源(全体・神)は変質し、「有限」「限定」と成るのですから・・・

その時点で、あなたも私たちも、・・・誰も存在さえも出来ないことでしょう。

 

これまで現実世界の様々な宗教などに於いては、

教えを守らせる為、あるいは、その宗教に従わない人々に対して、

彼らを恐れさせ、脅かすための、あらゆる「地獄」が語られてきました。

 

しかし「無限自由」であればこそ、人は「地獄」のイメージを創り、また語ることが出来た・・・

無限自由であればこそ、誰もがいつでも「地獄」を創ることも出来るのです。

 

例えば、ある人が「いやな気分」にイシキを合わせ、

その気分を手放さない、変容させないまま、それを表現するとき、

それはその人自身の波動を下げ、全体の波動も下げることでしょう。

 

そこに自ら「地獄」を創りながら、同じひとつのカラダの手足である

自らの兄弟姉妹(・・・結局は自分自身)に、・・・語る・怒る・当たることで、

「いやな気分」を増幅し、創造し始めた「地獄」を更に拡大してゆくのです。

 

説明や怒りのコトバにする時にも、「いやな気分」にイシキを集中し、

声にして口から発した時に「コトダマ」を自分全体に共鳴させ、

その声を耳からもカラダからも聞くことで、またもや自分全体に共鳴させ、

何度も何度も味わっては増幅し続けてもゆくでしょう。

 

また「フォーカスは選択」なのですから、そこにイシキを集中し続ければ、

「タイムラグ」を通り抜け自分自身の体験に、

何度も何度も「地獄」を出現させる・・・と選択・決定したことにもなります。

 

それは「感情」にイシキが同化し、

自分が「感情そのもの」に成ってしまった・・・「ダースベーダー化」した状態です。

 

これまで人類はずっと、自分がイシキであることを忘れ、

自分が同化していることにも気付かないほど、「どうか(同化)していた」のです。

(あるいは、「感情体験」の為に、あえてそうしてきた存在も在ることでしょう)

 

本質のあなたはイシキ体です・・・そして、イシキは・・・カラダでも無ければ感情でもない、

イシキは・・・カラダからも感情からも自由になれる・・・、

イシキは・・・カラダからも感情からも自由なのが本来の在り方・・・なのです。

 

だからこそ、ちゃんと「イシキ的に成ればわかる」・・・のです。

「それは本当に楽しいのだろうか・・・?」

「私はこうしているのが好きなのだろうか・・・?」

・・・さあ、あなたならば何と答えるのでしょうか?

 

地獄」はあなたが自らの内に創るコトによって現れる・・・、

あなたは、どんなものでも創り出すことの出来る創造主で、

本当は、「ありえない」ような・・・「奇想天外」で「シュール」な「地獄」でさえも

創り出して」しまう・・・そして「創ったのはあなた」なのだから

あなたをその「地獄」から救い出せるのもまた、あなたしかいない・・・、

 

だからこそ、「いやな感情」という「幻の堆積物」をどけ続けることです。

そしてまずは、自分自身を楽しくさせることだけを選択してゆくことです。

そのための「ツール」も、見つけようと思えば無限に在るのです。

ただ使おうとせず、感情同化で「どうかしてしまった」・・・それが「海に捨てた豆」なのです。

 

そして、伝えるべき情報は、自分が「いやな気分」というような感情を

手放し・愛に還し・変容させた後に伝えることです。

すると現実はもうバージョンが変わっていたりもするのです。

それが人間関係ならば、あなたは新バージョンの相手と対面するのです。

 

あなたの想念状態で、あなたの「オリジナル認識宇宙」は瞬間・瞬間・シフトし続けてゆくのです。

しかし、それにはまずあなたが「そうしなければ」、その体験は決してやっては来ないのです。

 

「ゲーマー」の選択と決定が変わらなければ、

「ゲーム」設定は同じ状態に在り続け、次なる展開へと進むわけなどないからです。

 

さて、こうしてこれまでずっと、

自分を責め苛んできたのは自分自身であるということ・・・、

自分が自分をいじめ・・・サドってきたということ・・・、

自分こそが地獄の鬼でもあり、サタンでもあった・・・ということ・・・、

 

故に「地獄」ではなく、全ては「自縛による自獄」・・・「自縛自獄」だったのだ・・・と、

あなた自身が「知ること」こそが、そこから離れ、

違う方向性を選択・決定してゆく「発動」とも成ることでしょう。

 

「天国」は内にあリ、そしてまた、「地獄」も内にある・・・のです。

現実世界(第一イシキ層)であろうが、幽界・霊界(第二〜第五イシキ層)であろうが、

イシキ存在たちは全く同じように、「無限愛」の全体の中に在り続け、

無限自由」に自分のオリジナルな世界・・・天国や地獄を創り続けているのです。

 

あなたがプログラムを書き、あなたが創った世界、あなたが決定する世界

そう・・・どこに在ろうとも、全ての全ては、常に、あなたの選択と決定なのです。

 

これこそがイシキ存在たちが、死を創造しようが、楽しもうが苦しもうが

永遠に安全で安心で在る・・・と伝えてきたことなのです。

これが、私たち体験する個に与えられた無限愛なる恩寵なのです。

 

この無限愛の中に在って、あなたは自己の内に・・・自己の現実に・・・

何を見んとする者」なのでしょうか・・・?

どうぞ常に、人間を体験しているイシキで在ること・・・「神で在る」ことを自覚していてください。

 

あなたは、自分の内を天国にも地獄にもでき、

またそれによって外に現れる・・・あなたの体験を天国にも地獄にも出来る、

・・・まさに、永遠で偉大な創造主なのですから・・・。

 


さて、地獄を自分の体験に創らないことを選択・決定したならば、

次には、どうぞ、天国にも留まらないことを決めていただきたいのです。

 

私たちはこれまでも、様々な体験であなたが感じる「いやな感情」に囚われないこと、

そしてまた、「良い感情」をも超えて行くことをお伝えして来ました。

それは、シンプルにいうならば、「抵抗」と「執着」なのです。

 

全ては・・・「ひとつなるもの」である存在が、「自分というひとつの円」に内在するものを、

切り離そうと(抵抗)したり・・・

しがみつこうと(執着)している・・・だけなのです。

 

しかしもしもそうだとしたら、それは、とてもおかしなことだ・・・とは感じませんか?

そして、実際には無理である・不可能だ・あるいは無駄だ・・・とは思いませんか?

.

自分に内在するものは、切り離そうと・・・どんなに頑張って抵抗しても、

分離・分割・分裂は出来ない!!!・・・

自分に内在するものは、しがみつこうと・・・そんなに頑張って執着しなくても、

すでに、もう、ずっと、内に在る!!!・・・のです。

 

しかし幻想の中で、「全ては自分に内在する」ということが見えなかったからこそ、

この「切り離し抵抗」「しがみつき執着」

神々の、「イシキの錨」となって、「輪廻転生」という選択と決定とも成ってきたのです。

 

さて・・・第五イシキ層は素晴らしいイシキの場です。

しかし一方・・・「これ以上の世界がある」とは気付きにくく、

そこに留まり続けてきた存在が多くいます。

それは、彼らがそこを最高の世界と決めてしまったことで、

更なる展開(第六〜七天界)を見失ってきたからです。

 

彼らは「時のない存在」なので、自覚がなかったのですが、

本当に長い間、この第五イシキ層に留まり続けてきました。

 

しかし・・・いま・・・彼らの多くが、この現実世界(第一イシキ層)に生まれて来てもいます。

それは、この波動上昇の波に乗った更なる展開(天界)と

イシキの拡大成長・大いなる探求のため・・・、

その変容を自分自身の目で見、体験・体感しようとした・・・、

本質の自己に還ろうとした・・・アセンション・再統合しようとしたからです。

 

しかし、彼らが自分の創った「天国」からイシキを現実世界に移行するには、

大いなる選択と決定が必要だったことは、きっとあなたにも想像できるでしょう。

 

何故なら、彼らはその「天国」での体験と自由の全てを失くし、

自己のアイデンティティーを忘れ、様々な幻想と「ゲーム情報」」「ゲーム感情」に閉ざされた、

この混沌の中にイシキを移行しなければならなかったからです。

 

彼らは、この現実世界の様々な「重さ」に囚われていたり

「タイムラグ」のある「遅さ」に戸惑っていたりするのですが、

それらを抜けて気付き始めれば、そのイシキの変容は早く、

 

「社会イシキ」や「常識」を超越し、「ルール無用の悪党」とも成って、

本来表現していた自由闊達なイシキ存在として、

自分自身の「イシキの在り方」を、更に極めてゆくことでしょう。

 

何故なら、「波動選択・波動決定」の高い「愛の表現」と

「イシキの在り方」を、もう・すでに・体験・体感して知っているから・・・

ただ、この世界でそれを表現し始めるまでに、様々なスケジュールを用意し、

それらをこなす為に見えなくしてきているだけだから・・・なのです。

 

そして、別の惑星で体験を重ねてきた存在も含め・・・いま・ここの地球にいる多くの存在は、

かつて自分がいた様々な領域と自分の全てを忘れ、

自分の創った「天国」よりも・・・、そこで表現していた自由よりも・・・、

いま・ここの現実世界(第一イシキ層)にイシキを移行することを強く望み、

そう選択・決定したはずなのです。

 

・・・もちろん、あなたがそういう存在かどうかは、

あなたがそう感じるかどうかで決めることです。

 

しかし、その目的は、ただこの現実世界で、限りある存在としての人間をやって、

右往左往する為だけだ・・・と、あなたは感じるのでしょうか・・・?

ダースベーダーに成ってコスプレってみたかったのだ

・・・とでも、あなたは思うのでしょうか・・・?

 

いかがでしょうか・・・?

その目的は・・・本質の自己に還る為だ・・・と、あなたは感じないでしょうか?

 

・・・そして、だからこそ、もしもあなたが、目覚めたいのであれば・・・

あなたというイシキの次なる展開(天界)・拡大成長・大いなる探求の為に、

誰かや何かが創った全ての「ルール」に縛られず、囚われず、

 

あなた自身が「ルール」と成って、あなた自身の「物語」を書き続け、

「抵抗」も「執着」も、地獄も天国も、ネガティブもポジティブも、

・・・常に全てを超え続ける超越者と成り、

 

「わたしは第六・第七のイシキ存在で在る」・・・と、

まさに・・・いま・ここから・・・選択・決定し続けること・・・

 

たとえいま、その実感・体感がなくても・・・

たとえ、様々な感情に翻弄されそうな時も・・・

そう決定すること・・・

そして、そういう存在として生き始めること・・です。

 

あなたが決めたことをあなたは体験する・・・

「すでにそうで在る」と決めて、そう生きたとき、そう成る・・・

ゲームの主人公であるあなた自身が、「こうで在る」・・・と選択・決定することが、

ゲームを走らせ・・物語を始める・・「Enterエンターキー」なのです。

 


「生まれたこと」も「死んだこと」もない

 

この現実世界では、「見えない領域」の存在がかかわることや

フシギなこと・様々な能力のことを・・・「超能力」「奇跡」などと言います。

そして、そういったことを「まれにみる」「ありえない」「特別・特殊」と言い、

自分もそういう体験をしたいとか、自分も「超能力」が使いたいと、

あこがれたり、頑張ったりもします。

 

あるいは、「そういった類は絶対に信じない」「そんなのまやかし」

「見えるものが全て」・・・と決めている存在もいます。

 

しかし、それらはいずれも「しがみつき執着」と「切り離し抵抗」であって、

どちらも「極性」で振れている状態といえるでしょう。

 

以前、「永遠のいま」の中でも少し触れましたが、

たとえば「予知能力」などは、「いまに重なる未来や過去」を感じているのであり、

実際には誰もが垣間見ているのであって、

本当は全ては、各々の存在が、特別なコトバでくくって「特別なものと決めた」

あるいは、「まやかしと決めた」にすぎないのです。

 

しかし、もしも「奇跡」というならば・・・あなたのいまいるこの「見える領域」

・・・現実世界こそが「奇跡」そのものなのです。

そして、あなたが日々やっているその一瞬一瞬が、

実は「特別」であり、「まやかし」でもあり、

「まれにみる」「ありえない」「特別・特殊」な状態なのです。

 

実在・実相は、あなたと離れて在るわけではなく、いま・ここの全てに存在します。

しかし、それをもしも数字で現すならば、その99%が「見えない世界」であり、

残り1%の「見える奇跡」を、あなたは日々・瞬間・瞬間・創り続けているのです。

 

何故なら、あなたはもともと「イシキ体」なのですから、

本来は物質体験など出来るわけなどないのです。

 

それを、「あなたの始まりの物語」でお伝えしたように、

「物質体験」の為の、宇宙に存在する無限の「見える領域」と

それを味わえる「カラダ」(これも地球人類以外にも無限)を創り、

それら全てを体験・経験・味わえる・・・ようにしたのです。

 

それは人類がいまこの現実世界で様々な表現をし、様々なものを創り続けているのと全く同じです。

人間は「アソビ」のための様々なものを体験したいと欲し、イメージし、それを創り続けています。

自分が乗って移動する手段だって、自転車から車から電車から飛行機から、

その数はこの地球上でさえ「無限」に在るようです。

 

同じようにして、イシキ存在たちが無限の「見える領域」と体験のための「カラダ」を創り、

その「カラダ」にイシキを移行して「幻想体験」をしているのです。

もしもそれが本当なのだとしたら・・・、「この世」こそがフシギ体験の

「アバンチュール遊園地」なのだ・・・とは感じられないでしょうか?・・・そして、実際にそうなのです。

 

あなたが泣こうが笑おうが、日は昇り、日は沈み、月は天空を旅し、

あなたの「カラダ」にとって大切な空気や水は、供給され続けているのです。

それら全てを「偶然の産物」と考えてきた人類が目覚めるまで、

全ては循環しながら、ただ・・・在り続けてゆくのです。

 

それは全体で在る源の「ただ在る」ことが、見える奇跡となって現れている世界です。

そして、人間以外の生き物や自然など・・・全てが「ただ在る」・・・目覚めている中で、

人間だけが全てを忘却の彼方に置いて、「体験ゲーム」をしているのです。

 

・・・そして「生きっぱなしの存在」が「生まれた」と創造し、

「死なない存在」が「死ぬ」と創造して、

生まれたり死んだりし続けてきたのです。

 

実際にはあなたは・・・時の彼方から在る存在で、

本当は一度たりとも生まれたこともなければ、死んだこともない、のです。

私たちが「幻想」だといってきたのは、「ぜ〜〜〜んぶ」なのですから、

「誕生」も「死」もまた、幻想です。

 

・・・そう、あなたは・・・「生まれた」と創造し、

「死んだ」と創造して来たのです。

 

しかし、いまそれも目覚めつつあるイシキ存在によって、顕かに成りつつ在ります。

やがてあなたの選択と決定によって、あなたもそれを体感し実感することでしょう。

 

「見えない領域」の奇跡・・・瞬間創造・瞬間移動・テレパシー・幽体離脱などは、

あなたが「死」を創造し、幽界・霊界(第二〜第五)へイシキを移行しても、

あなたが「死」を超えて、再統合・アセンションを体感し(第六〜第七)へ

イシキを移行しても、どちらにしてもいつか必ず成されることでしょう。

 

やがては手の平からパンでもトマトでも自由自在に出せるようにも成るでしょう。

(もちろん、イシキが死を超え、第六〜第七イシキに還らなければ

カラダは持っては行けませんし、他にも色々ありますが・・・笑)

 

「見えない領域」の奇跡に憧れ、焦燥感・不足感を感じたり、

「見えない領域」の奇跡を否定し、抵抗感・疑惑を感じたりすることよりも、

どうぞ、いま・ここの「ただ在る」ことが見える奇跡の連続を味わってください。

 

奇跡や証拠を求め「しがみつき執着」することもなく、

奇跡や証拠に疑惑を持ち「切り離し抵抗」することもなく、

あなたの知覚する全てが・・・「すでに奇跡で在る」

・・・「いま奇跡に在る」・・・と知ってください。

 

本当は、あなたの「呼吸」ひとつでさえ・・・奇跡そのものなのです。

「人生を十全に生きる」・・・こと・・・いま・ここにいて、全てを味わい尽くすこと・・・

イシキ的になって、自分にとって役立つ選択・決定をし続けることによって・・・

それらを自分にとって更に良いものにし続けて行くこと・・・

 

あなたは無限愛の中に在り、無限愛に囲まれているのです。

その無限愛の中で、これまでは、愛ではないかのような

「限定愛」の体験をし続けてきただけなのです。

しかし、それさえも・・・全ては・・・「愛成る体験」でも在ったのです。

 

どうぞ、この無限愛の中で、あなた自身が愛と感じる体験を

選択・決定し、表現し続けてください。

しなければ成らないことも、しては成らないことも本来在りません・・・

ただ、その指針は・・・いつの時も、あなたの内成る源のヒビキなのです。

 


呼んでいる源


 


いつも何度でも・・・「千と千尋の神隠し」の挿入歌・・・覚和歌子さんの詞

 

「呼んでいる胸のどこか奥で・・・」

いつの時も、あなたの胸の奥で呼んでいるもの、

それは・・・あなたの内成る源・・・全体で在る「源」です。

 

その源は、胸の奥からあなたを呼んで・・・、

やがてあなたが再統合の体感を得たとき、何を顕わさんとしているのでしょうか?

 

それは・・・、人類が、これまで遠くにあると憧れ、あるいは恐れてきた「天国」や「地獄」が,

・・・その全てが、本当は、いま・ここ の、己が内にあることに気付き、

その己が内に天国を創るコトによって、その天国を外にも現す

・・・この現実世界(第一イシキ層)に天国を現す(顕す)・・・こと、

 

源は、その無限愛を「見える領域」に顕さんとして、

あなたの胸の奥で、あなたを呼び続け・・・、

そして私たちも、あなたの兄弟姉妹として・・・同じカラダの右足左足として・・・、

この再統合と、現実世界(第一イシキ層)の天国の実現のために、

これまでずっと、あらゆる次元に於いて動き続けてきたのです。

 

再統合・アセンションとは・・・、

この現実世界・・・第一イシキ層にイシキを移行しているあなたが、

この世界の幻想を超え、「死」をも超えて

自らが第七イシキ層の存在であることを知り、そうと決め、やがてそう成り行き、

 

これまでは奇跡と言われ思われてきたものも、普通に行うモノとして、

無限愛・無限自由・無限歓喜の「源」の表現の天の国(第七イシキ層)を、

この「見える領域」・・・現実世界(第一イシキ層)に現さんとすることです。

 

それは一人一人から・・・、あなたたった一人から・・・、

自らの内を天国にしてゆくことによって、

外に見えるもの全てを、天国に創り変えてゆくことが出来る・・・、

あなたたった一人から第七イシキ層の存在と再び成り行き、

その存在として、第一イシキ層を生きることを選択・決定出来る・・・、

 

それこそが、再統合・アセンションの目的であり、

この「チャネリングメッセージ・こだまなくらし」を通して、私たちがお伝えしたいことなのです。


 

いま、この現実世界(第一イシキ層)にいる人々は、

かつてのどの時期、どの時代よりも・・・例えば2〜3000年前よりも・・・、

100年前、10年前、一年前よりもずっと・・・、

「愛の表現」による「イシキの在り方」を拡大成長させてきました。

故に、全体の波動も日々上昇し続けているのです。

 

かつて人類は、自分の生存だけのイシキ・・・生殖・物欲・生き残ること、

あるいは、物質と支配・成功と権力・理論と観念・囚われと閉塞

・・・などにイシキを集中し、その為に全体の波動は低く、

地球と人類全体が、混乱と迷妄に囚われていた時期も長くありました。

(部分としてはいまもまだ続いているようにも見えますが・・・)

 

しかし長い長い時を経て、全体とあなたの「イシキの在り方」、

「愛の表現」による「波動選択・波動決定」は拡大成長・変容して来たのです。

 

あなたは、今世の体験と経験だけで、

今のイシキや理解・認識に成った・至ったのでは、決してありません。

様々な要因と何回もの転生を繰り返して、かつてのどの時よりも

「イシキの在り方」は拡大成長し、あなたは、いま・ここ に在るのです。

 

前述したように、特にいま、地球と人類の再統合・アセンション

・・・その全体の波動上昇の流れを受け、生まれ変わりを選択せず

長く第五イシキ層にいた存在や、宇宙の別の惑星で体験を重ねてきた存在が、

 

・・・それぞれは、この時期の地球で全体の波動を上げようと、

また、自らも全体への再統合・アセンションを目指して、

この現実世界(第一イシキ層)にイシキを移行してきているのです。

 

彼らは内成る「源」が発動すると、その後の気付きは早い・・・、

けれど、前述したように「重さ」「遅さ」に囚われている部分があり、

それを抜けるのに時間がかかっています。

 

ここで言う「重さ」「遅さ」・・・といったコトバは、

「フィーリング」として感じていただくための表現です。

 

それは、この地球と人類のあらゆる波動、それらが混ざり合った混沌・カオス状態、

そして重力、空気、肉体、感情感覚、時間と空間の幻想・・・などで、

地球での暮らし全体が、とても重く、なじめない・・・と深層部分で感じています。

 

彼らは、もともとの「愛の表現」による「イシキの在り方」・・・「波動選択・波動決定」が高くても、

現実世界(第一イシキ層)に移行するときに、「全てを忘れてきた」ために、

かつて自由闊達な存在として生きてきたことも、まったく見えなくなっていて・・・、

 

この世界のあまりの粗雑さと混沌状態に、なじめないままに引きこもってきて、

どうも世間とうまく付き合えない・・・ひとりでいたほうがラク・・・などとも感じ、

かつて現していた愛を、表現していない存在も多くいます。

 

また、この世界でそれを表現し始めるまでに、様々なスケジュールを用意し、

それらをこなす為に見えなくしてきている・・・とも前述しましたが、

幻想に埋没し、感情感覚に「同化」することで

「濃い・深い」幻想に「故意」にハマッて「不快」を体感しよう

・・・と、かつて選択・決定してきているのかもしれません。

 

中には、この最終レベルでの体験を「目いっぱいのてんこもり」に

してきた存在もいるかもしれません。

 

もちろん、あなたが「どう決めていた」のかは、あなたが「感じてみる」ことです。

しかし、それも新たな「自分のイミ付け・決め」によって、

常に「いま・ここ」のあなたが、新たに選択・決定し続けてゆくことであり、

 

かつて決めたことはもちろん、一瞬前までのことにさえ縛られずに、

常に、いま・いま・いま・の自分にとって、より良き選択と決定をし、

イシキを拡大成長し続けることです。

 

そして、再統合・アセンションに向けて、あらゆる状況が起こりつつあるいま、

彼らの「源」が、それらの状況によっても発動し始めるのです。


 

この時期、たくさんの人が肉体を去り、イシキを移行する

・・・ということをかつてお伝えしてきました。

それは昨年、日本で起きたコト(311・・・東日本大震災)にも関連するでしょう。

では何故そういったことが起きるのか・・・、起きたのか・・・、

 

それは「見えない領域」からの波動の調整役として、

全体の再統合・アセンションに向けて「見えない領域」に移行し波動を高めるため、

また、これから起こる変化の発動のため、

また、第五イシキや別惑星から移行してきた存在の愛の発動のため・・・などなど、

 

・・・その他にも、いくつもの側面があるのですが、

それら全ては、「これから起こすことのために起きる」・・・ということになるでしょう。

 


「これから起こすことの為に起きる」

 

・・・このことは、時間幻想の時系列で考え、認識している現実世界では、

わかりにくい、奇異な感じがする・・・ゆえに受け容れがたい

・・・と感じるかもしれませんが、どうぞフィーリングで捉え感じて下さい。

 

それは例えば、ある人が病気をきっかけにして、そこから人生がまったく変わったような場合、

・・・時系列で考えれば、病気が先で変化が後ですが、

先に変化することを決めていて、その発動としての病気であった

・・・というような状況などでしょうか。

 

それは、時が過ぎ去ってみなければ見えてこないこともあるでしょう。

あるいは、「死」と言われているものによって、第二〜第五イシキ層に

移行しなければ見えない・・・俯瞰出来ないことも多いでしょう。

 

何故なら、いまこの瞬間に起きたことによって、

見える世界、見えない世界・・・全てに於いて、あらゆる変化が起こり続けてゆく

・・・そして、あなたはそれを「見えなくしている」からです。

 

人々は、この世界で「しあわせ物語」の主人公・・・「シンデレラ」のように、

永遠に平和に幸せに暮らすことを夢見ています。

この世界で何事も起こらず、平穏に暮らし、やがて穏やかな死を迎えたい・・・、

いやなこと・悲しいことが、自分の身の上に起きないように・・・と祈りもします。

 

しかし、誰もがそう想い、また願っているにもかかわらず、

この世界では一人の例外も無く、また大なり小なり、

誰もが困難や災難に遭い続けてゆきます。

 

そして、それをこれまで神仏のせいなどにもしてきました。

ある人は天を呪い、神などいないと嘆くでしょう。

ある人は、恐れと悲しみに押しつぶされそうになるでしょう。

 

しかしそれは、神の怒りでも、裁きでも、ハルマゲドンでもなく、

故に、この世が呪われた地獄だからでもなく・・・、

また、あなたや人類が悪い、劣っているからでもなく、

そしてまた、至らない者が高みを目指す為に修行をしているのでもなく・・・、

 

本当は、この現実世界(第一イシキ層)に何をしに来ているのか

・・・ということを俯瞰しなければ、理解できないことでしょう。

 

・・・それは、これまでもお伝えしてきたように、

自己と全体の全ての側面を、幻想の中で体験し、真に知りたかった、

 

そして、内に在る「本質の自己」に出会う旅・・・「源」との再統合・アセンション、

そしてそのために、「切り離し抵抗」と「しがみつき執着」の想念状態が

目に見えるカタチとなって現れ、体験と成る、オリジナル認識宇宙

そのイシキ状態を投影し、瞬間・瞬間・現実を創造し続けているのです。

 

この現実世界で何事も起こらないことなど、ありえません。

それは、色んな「めんどう」が起こるように創っているからです

・・・では、そんな風に「めんどう」に創っているのは、一体誰なのでしょうか?

それは、もちろん・・・あなたが創っているのです!!!

 

様々な体験・経験を通して、自分というイシキ存在の動揺を見る・知る・・・

自己の「心もよう」を実体感するために・・・、

動揺する場面を創って、動揺する様子を見ている・・・のです。

 

実際に・・・始まりは、あなたは色々と「動揺してみたかった」のです。

そして「波乱万丈」を「味わいたかった」のです。

・・・だとしたら本当は、「悲しみ」すら「喜び」なのです。

(これは、いまはまだ多くの人が受け容れがたく感じるかもしれませんが)

 

自分で創った「ゲーム」に、創った神自らが「ハマッた」のは、一体何故でしょう・・・?

故意か・・・、偶然か・・・、過失か・・・?

わざとか・・・たまたまか・・・うっかりなのか・・・?

 

どんな風に「イミ付け」することも出来るでしょう。

・・・そして実際にはどれも正しいのです。

 

何故なら、(ただ在る)・・・「これといったイミはない」「すべてのイミが在る」、

(無限)・・・「決まりがついていない」「全ては愛という決まりが在る」・・・その中から、

各々の存在が自己の「感じる」ことで「イミ付け」し、「自分の真実」とすれば良いのですから・・・。

 

では、私たちはどんな風に感じるでしょうか?

・・・私たちは、全てが起こり続けたと感じています。

そして「全てにイミはない」・・・そして、神々は「紆余曲折」や「右往左往」することに、

イミが在るかのようにイミ付けた」・・・と感じています。

(もちろん、何が真実かはあなたが決めるのです)

 

そして、本質は神で在るその無限なるパワーで、

生まれた」と創造し「死んだ」と創造し、「ショートカット」で戻って来る為に、

「幽界・霊界」である第二〜第五の「波動領域」を創ったのです。

 

この第二〜第五の「波動領域」は、もとから在ったのではなく、実在・実相界に「現れた」のです。

では、一体誰が創ったのか・・・と言えば、イシキ存在達がその波動で振動することにより

「創ったのだ」・・・とイミ付けすることも出来るでしょう。

 

何故なら「源イシキ」は、体験する神々の創造するものに成り続けるのであって、

創るのはいつの時も、私たち「光イシキ」だけなのです・・・。

 

そう、イシキ存在たちは、電車に乗ればすぐ「遊園地」に行かれるような所に

幽界・霊界(第二〜第五イシキ層)という「居留地」を創り、夢の「おうち」を建てたのです。

 

・・・その遊園地が、あまりにも「波乱万丈で楽しかった」ため、

・・・あるいは、あまりにも「波乱万丈で苦しかった」ために、

「光のカラダ」になって、「遊園地」に近い「居留地」の

夢の「おうち」で「ゲーム休憩」を取って・・・あるいは長〜く過ごしては、

ここ(現実世界)に還って来ては、幾度もの「波乱万丈」を味わっていたのです。

 

・・・これがすごいパワーの神自身が、「生まれる」と「死ぬ」を創造しては、

続けてきた輪廻転生物語です。

 

そして、いつの間にか、ここ(現実世界)とそこ(第二〜第五)だけが

自分達の体験の場・・・「本当のおうち」と「かんちがい(神違い)」したのです。

 

しかし、そんな居留地(第二〜第五イシキ層)と、夢の「おうち」を創らなくても、

本当は瞬時にどこにでもいられる存在・全てを創造した存在・全てを知っている存在

あなたこそが、全体で在る源で在り、体験する個の神だったのです。

 

そう・・・あなたは、「千と千尋」のお話のように

「神隠し」にあっていたのです。

「千と千尋の神隠し予告編」

 

自分の本当の名前(源・個の神)を奪われて、

自分を人間だとかん違い(神違い)し、

人間ゲーム次元(第一イシキ層)と、ゲーム休憩次元(第二〜第五イシキ層)を、

行ったり・・・・来たり・・・・し続けていたのです。

 

・・・では、一体誰が名前を奪い、誰が神を隠したのでしょうか?

あなた自身が、名前を奪い

あなた自身が、神を隠し、

あなた自身が、「神を違えて」きたのです!!!

 

そして、他でもないあなたが「神を隠し」・・・あなたが「神を違えて」きたのですから、

あなた以外、だ〜れも、「神を見つける」ことなど出来ないのです。

 

では、どうしたら「神」が見つかるのでしょうか?

・・・それは「自分は神だ」・・・と、「決める」こと・・・

そして、全ての「ゲーム情報」「ゲーム感情」を置き続け

「ゼロに成る」こと・・・です。

 

あなたが「決めない」限り・・・(第二部16章「決めること」を再読・再聴してください)

また、自己イシキの、「切り離し抵抗」と「しがみつき執着」

全て手放し・愛に還し・変容させない限り・・・、

 

この現実世界(第一イシキ層)では、あなたのために、全体のために、

その・・・イシキの変容とシフトのために、

起こるべきことが、起こるべくして、起こり続けるのです。

 

ですから全ては、あなたや人類が、「これから起こすことのために起きる」

ことになっているのです・・・そこには時系列はありません。

そしてそれは、天からの罰でも災難でも、神の試練でもありません。

実際には、神自らが自分で頭から水をかけ、「びしょぬれにされた」と言っていたのです。

 

何も起こらない「物語」など誰も読もうとは思いません。

「シンデレラ」だって、イジワルなお姉さんやお母さんがいればこそ、「物語」が成り立つのです。

あなたは自分の「物語」をバーチャル体験したくて、

「波乱万丈」を計画して「遊園地」に来たのです。

 

しかし、あなたが「もうたくさん」「もう十分」「もう食べ飽きた」と感じるのならば、

かつて自分が決めたかもしれない「潜在的スケジュール」など、もう投げ捨てて、

いま・新たに、自分にとってのより良き、選択と決定をし続けることです。

 

それは、他の誰にも変えることなど出来ないのです。

あなたが「決め」あなたが「創る」あなたの「物語」・・・

だからこそ、「自分が主人公」という「自覚」を、いま持つ・・・と「決めて」下さい。

 


俯瞰と変容

(ふかん・トランスフォーメーション)

 

昨年の日本での大きな災害により、多くの人がイシキを「死」に移行し、

また人々の日常にも大きな変化が起き、悲しみと痛み、恐れと不安とで、

全体の波動も一旦は低く成ったかのように感じられました。

 

しかし「これから起こすことの為に起きる」・・・という視点で見るとき、

その後、多くのイシキの変容とシフトが成されても来ました。

 

「この現実世界(第一イシキ層)では、あなたのために、全体のために、

そのイシキの変容とシフトのために、起こるべきことが、起こるべくして、

起こり続ける」・・・と前述しましたが・・・、

 

それを見るためには、この・・・「俯瞰する」ことが求められます。

そこで、この「俯瞰」について・・・また「変容」についてお伝えしたいと思います。

 

※俯瞰・・・高い所から見下ろすこと、全体を上から見ること、全体性を見て理解する視点

変容・transformation・・・形態・外見・性質の変化,変質,変換,転換,

_________________

 

人は、その時は悲しみ苦しみでしかない、と思っていたことも、

時の経過と共に、やがて俯瞰出来る日がやって来るものです。

 

そのことから何年も経ってようやく、

あの時始めて自立した・・・自分の足で立って歩けるようになった・・・とか、

病気をきっかけに人生が変わった・・・カラダを大切にするようになった・・・とか、

何らかのきっかけによって人生が180度変容したことに気付くことがあるでしょう。

 

あの両親に育てられたことが・・・、あの人の意地悪が・・・、あの環境が・・・、

あの出来事が・・・、事故が、病気が、喪失が、困難・苦難に見えたことが、

あるいはあの愛が、大変だった経験が、環境の変化が、

実はこの道を来る為の曲がり角、きっかけであった・・・と、

俯瞰できる時が、やがて誰にも訪れるのです。

 

かつて人々は、痛みや悲しみの後、長い年月を経て、

ようやく、そんな風に俯瞰できるようになったものです。

 

例えば、イシキを「死」へと移行する直前になり俯瞰出来るようになった存在、

あるいは「死」という体験を通過し、幻想のベールが消えてイシキと視野が拡大し、

先に移行していた人々とも再会して、「幻想だ、体験である、手放して」

・・・などと伝えられ、始めて俯瞰できるようになった存在も多くいました。

 

しかし、いま、人々の気付きは格段に早くなっています。

それは、全体の波動上昇により、時間が加速していることを始めとし、

あらゆる領域の、あらゆることが、再統合に向かって動き出しているからです。

 

また前述したように、もともと「愛の表現」「イシキの在り方」が高いイシキ存在も、

いま、多く地球体験に来ている為に、「こういうことが起こったことで

私たちは何をしたらいいか、何が出来るか、どうあるべきか」・・・と考え始める回路、

行為、行動、そして俯瞰も変容も・・・早くなってきているのです。

 

内なる愛は在りながら、これまでは表現してこなかった人々も、

愛を発動し、愛を表現して生きる・・・、ということも起こり始めました。

 

かつては日々の生活を維持してゆくことに集中していた、そのイシキが・・・、

他の存在の苦難を目の当たりにすることによって、

自分にも何か出来ないだろうか・・・?

自分も被災していたとしても、少しでも人を・・・他を、皆を、慰めるコトをしたい

・・・ということにイシキが移行し始め、その愛の発動とともに行動し始め・・・、

 

それによって自分もまた愛を受け取り・感じ、自分自身が逆に慰められ、

いままで閉ざされていた胸の内が、癒されてゆくことに気付き始めたのです。

何故なら・・・何であれ、人にすることは自分にすることだから・・・

愛(シェアリング)は、4乗と成って自分に還って来るのです。

 

また、当たり前と思っていた日常は、

なんと奇跡に溢れた賜物だったのか・・・ということに目を覚まし始める、

水が、電気が、ガスが出ることが・・・太陽が、大地が、空気があることが・・・、

 

ただ生きるということが・・・、大切な人や家族と些細なことですれ違いながらも、

共にいられる・・・という、ただそれだけのことが・・・、

自分の家があり、その家にいられて、普通にご飯を食べられることが・・・、

 

それらが、どんなにかけがえのないものか・・・、

そして、本当に大切なものは何か・・・、

それが見え始め、気付き始め、解りはじめる・・・、

 

それこそが、まさに、違う視点で見始めた・・・

俯瞰できるように成った・・ということ、

そしてイシキが変容した・・ということなのです。

 

こうして、人々が立ちあがり、愛を表現し始めたり、

感謝を持って生活するようになったり・・・といった愛の発動の連鎖によって、

始まりの小さな変化が、やがて大きな「流れ」や「ウェーブ」となり、

一旦は「恐れ」や「悲しみ」によって低く振動した波動も、

人々のイシキの変容によって上昇してきました。

 

また、変化は過ぎ去ってしまえば忘れられ、日常に戻る・・・と思えたとしても、

もう以前とは波動が変わり、見えない部分で変容しシフトしていて、

全体も自分も人も違うバージョンに成っているのです。

 

こういった、あらゆることが、あらゆる所で、

連続同時に起こって来た・・・そして、いまも、これからも、起こってゆく・・・、

全体が・・・、個が・・・、変容し、シフトし続ける・・・、

見える領域、見えない領域、その全てで、起こり続けてゆくのです。

 

今回のことでは、たくさんの存在が、イシキを「見えない領域」に移行しましたが、

彼らのイシキと視野は拡大・変容し、俯瞰も出来るようになり、

それにより、本来・無分離である、人類の俯瞰と変容も加速されたのです。

 

これが、多くの存在がこの時を選び、イシキを「死」へと移行した目的の一部でもありました。

そして、全ての存在は「いつ生まれ・いつ死ぬか」・・・全て・・・自ら選択・決定しています。

 

彼らは、見える領域(第一イシキ層)にいたときは気付いてはいませんでしたが、

今は気付いていて、自分がこのことを生まれる前に選択していたことも、

変化のために・・・、「これから起こすことのために起こした」ことも、

人類の先達と成ってイシキを「死」へと移行したことも解っています。

 

そう、日本と多くの日本人は

全体の先達と成ることを選択・決定していたのです

(このことをあなたの真実とするかどうかはあなたが決めることですが・・・)

 

そして、「見えない領域」に移行した彼らは、

人々に、皆に、あなたに、こういったことを伝えたいと思っています。

 

彼らは決して死んでなどいない、居なくなってなどいない、眠ってなどいない、

あなたの手足よりも、息よりも近く、活き活きと、

いまもなお、そして永遠に生きて、いま・ここ に在るのです。

 

どうかそのことを感じてみて欲しい、どうかそう伝えて欲しい・・・、

私たちはたくさんの存在に頼まれています。

そして、次のようにもお伝えするようにも頼まれています。

永遠に愛している、いつか必ず会える、あなたが感じればいまもここにいる・・・と。

そして、どうか恐れ・悲しみ・苦悩に囚われないで・・・と。

 

こうして、多くの人々の「死」によるイシキの移行、残された人々の様々な体験と、

それに伴うイシキの変容によって、今後もあらゆる変化が起こり続けてゆくでしょう。

 

また、「生まれ変わり」はこれまで時間がかかるものでしたが、

新しいカラダで超特急で戻ってくる存在も多くいることでしょう。

人類全体の波動が高くなったいま・・・、高い波動のままに誕生し、

新たなスケジュールと新たなカラダと新たな場で、

次の体験・経験へと移行するため、この「死」を選択する存在も多いのです。

 

そして彼らはきっと、再統合・アセンションを目指すことでしょう・・・その多くは、

前世は全く眼中になかったスピリチュアルに目覚めた存在として還って来るからです。

(遺跡のような観念を持っていた存在が、次は愛の存在として「カエル」るのです)

 

私たちのお話は(そしてこの動画も)、多くの人が「見える領域」を離れ、

「見えない領域」にイシキを移行することによって俯瞰し、

人類のイシキの変容と全体のシフを目指し・・・、

 

彼らが「これから起こすことのために起こした」・・・ことによって起き続けている、

その数え切れないトランスフォーメーションの、ほんのひとコマなのです。


 


さて、このように大きな変化で、波動の急激な変化が起こり、

やがて全体の変容とシフトは成されて来ました。

 

しかし、見える状況によってあなたが心配・不安・恐れを感じ、

それを感情増幅させて、他に伝播(でんぱ)することが始まると、

あなた自身がそういった波動領域から抜けられなくなってきます。

 

そして、シフトし続けて行く「流れ」を選択せず、

他の創造・・・たとえば「地獄状態創造」を選択することにもなってゆきます。

 

もしも、あなたが波動上昇の「流れ」に乗りたいのであれば、

身近なことから全体のことまで・・・全てに於いて

あなたにとっての「愛・喜び・自由」を感じることだけを、常に選択することです。

 

何も選ばないで待っていても、好みの状況はやっては来ない

・・・そう「棚ぼた」はないのです・・・だからこそ、「自動選択」ではなく、

「物語」の主人公と成って、常に「イシキ的」選択・決定を続けることです。

 

何故なら、これら全ては、たとえ地球全体や人類全体と

共有体験しているように見えていても、

実際には、あなただけの「オリジナル認識宇宙」=「投影宇宙」で起きているのです。

 

これは、幻想の中ではわかりにくい概念で、コトバによる説明も完全にはできません。

・・・しかし、ただ「そういう風にできている」・・・と受け容れ、

フィーリングで捉えていただきたいのです。

 

この次元・・・「見える領域」とは・・・あなたが自らのイシキの内に

持っているもの(付け加えたもの)が、見えるカタチと成って現れる世界です。

 

そしてそれぞれの体験は、あなたのオリジナル性で

認識している宇宙・・・「オリジナル認識宇宙」・・・で起きていて、

あなたが手放し変容させ乗り超えるため・・・あるいは単に感情体験するために、

自ら瞬間・瞬間・創造し、「幻想映像」を映し出している「投影宇宙」なのです。

ですから共有体験も、あなたの選択と決定によって瞬間毎に変化するのです。

 

あなたの選択した「宇宙」があなたの「体験」と成って現れる・・・

だからこそ、外の状況がどうかではなく、

自分の気分(感じ・フィーリング・イシキ状態)が、

いま・どのようなものであるかを、常に観察し俯瞰することです。

 

この「見える領域」では、多くの存在は「見える」ことを「いじろう」と奮闘します。

しかし、「見える」ことを「いじる」のをやめ、あなたの内面に働きかけることで、

あなたの好みの「宇宙・地球・日常体験」が現れるのです。

 

そして「これから起こすことの為に起きる」ことは、

時間幻想で見えないために、いま「起きたこと」に感情同化しやすいのですが、

それを「見えなくしている」のも、やはり「あなた自身」なのです。

 

あなたは、この「見える次元」で、「見える」ことに翻弄されず、

見えない」自己の内を感じ・俯瞰し・変容することを、

自分は選択出来るか、・・・チャレンジしている側面もあるのです。

 

何故なら、もしも見えていたら、出来るに決まっているから・・・

結末が見えていないからこそ、難しいゲームに成るから・・・です。

 

だとしたら、それを、こうして伝えている私たちは、

映画を見ようとしている人に、その映画の結末を教える「悪い奴」・・・

推理小説を読もうとしている人に、その犯人を教える「イヤな奴」なのかもしれません。


 

さて、この世界には様々なカタチの「恐れ」が在るかのように見えます。

しかし、人が感じる全ての「恐れ」の正体を見極めようと、

どんどんと掘り下げて行くとき・・・それは必ずといっていいほど、この・・・「死」に辿り着きます。

 

そう・・・全ての恐れは「死んだら困る」というところから始まっている・・・と言えるでしょう。

人類にとって、この「死」は、DNAレベルまで染み込んでいるかのようです。

しかし、それは実体のない「幻想」なのです。

 

あなたがもしも、恐れや不安、心配や囚われ、悲しみや苦しみ、

に囚われそうになった時、・・・どうか自問して下さい。

・・・わたしはカラダだけの存在なのだろうか?

・・・わたしの人生はこれきりだと思うのだろうか?

・・・わたしは永遠の存在ではないのだろうか?

 

あなたは、自分が永遠だとは思っていないのでしょうか?

もしもあなたが永遠の存在なのだと思っているのならば、一体何が恐いのでしょうか?

「死ぬ」ことでしょうか・・・?・・・あるいは「生きる」ことでしょうか・・・?

 

そう、神々は自分を「人間」と決めて、「生きる」ことを恐れ、「死ぬ」ことを恐れ、

実際に「死」んでみて、「死」が無いこと、イシキ存在であること、を思いだしては、

また「幻想」の中に来て、「人間」と決めて、「生きる」ことを恐れ、「死」を恐れてきたのです。

 

しかし、前述したように、あなたは生まれたことも死んだこともないのです。

全ては幻想であり、あなたというイシキが見ている夢なのです。

 

さあ、あなたが繰り返してきた「輪廻転生物語」のように、

私たちも同じことを繰り返して何度でも言いましょう。

・・・もしもあなたが、もう繰り返すことを選ばないと思うのであれば、

どうか「決めて」下さい・・・「私は永遠の存在である」・・・と。

 

「死」がない・・・という、私たちの話を何万章読んで聞いても、

あなたが決めなければ、あなたの体感は決してやってはこないのです。

 

もしもあなたが更なる冒険と体験を選ぶのであれば、「選びたい」・・・と思うのではなく、

どうか「決めて」下さい・・・「私は永遠の存在、常に拡大成長し続ける完全な存在、

「源」であり「体験する神」である」・・・と。

 

そして、たとえ、この世界が惨状にあろうとも、

人類滅亡といった恐怖が流布されようとも、

また、喪失の深い悲しみに囚われようとも、

 

「それさえも手放してごらん」「さあ飛んでごらん」・・・という、

あなたの内に永遠に・・・「ただ在る」、

無限愛・無限歓喜・無限自由なる源の「呼ぶ声」を・・・どうぞ、感じ続けて下さい。

 

そしてこの時、多くの人々が「見えない領域」にイシキを移行した、

彼らのその選択の目的・・・全体の波動を上げ、人類のイシキのシフトと変容を目指し、

 

これから起こすことのために起こした」、

彼らからの・・・「どうか恐れ・悲しみ・苦悩に囚われないで」

・・・というメッセージを・・・・どうぞ、感じ続けてください。

 

そして、瞬間毎にあなたが創る、あなたの「宇宙」を、

ひとりの「神」として立ち、・・清々として・・・凛として・・・歩み続けてください。

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・「こだまなくらしサークル」のヒビキ

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