チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第43章


投影宇宙A

あなただけの投影宇宙


※投影宇宙・・・自己のイシキの内に在る「情報」が投影されて、

現実世界の見えるカタチの体験や経験となって現れる、個々のオリジナル認識宇宙のこと。


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

あなた自身が創造し続けてきた、永きにわたる堂々巡り(負の連鎖)を、

いま・ここからすぐに変えてしまうこと、

あるいは、それら全てをまったく楽しんでしまうこと、

 

この仕組み・・・投影宇宙を使って、内に在る観念・囚われ・執着を全て手放し、

あなた自身の再統合・アセンション(すでに在る統合の実感)のために

役立たせること・・・について、もう少しお伝えしてゆきましょう。

 


あなただけの投影宇宙

 

内に想うもの(イメージ・想像)を、

創造(クリエーション・創作)し、

見える形(体験・経験)にする

 

・・・この投影宇宙は、これまで「」などとも表現されて来ました。

鏡=自分(の内側)が映し出され、見ること(体験・経験)が出来る・・・というわけですね。

 

そして、この投影宇宙は、たとえ人類や国や地域、あるいは誰かと

共有しているかのように見えたとしても、実際にはあなただけの投影宇宙なのです。

ですからそれは、あなたのオリジナル認識投影宇宙・・・と言えるでしょう。

 

まずは、この・・・あなただけの投影宇宙・・・であることを徹底して自覚することが、

負の連鎖(堂々巡り)を止める・・・、全てを楽しむ・・・、

投影宇宙を使って再統合(すでに在る統合の実感)に役立たせる・・・、

基礎の基礎となるのです。

 


さて、これまでのお話で「投影宇宙を理解する」・・・ことは出来てきたことと思いますが、

ただ、そうやって常に、あなたのために働いている投影宇宙を、

あなたの再統合(すでに在る統合の実感)に役立てるには、一体どうしたらいいのか・・・?


シンプルな方法

 

・・・それは、起こることをただ判断せず、ただ罪悪感を持たず、

記憶によって付け足してきたこと(様々な観念・囚われ・執着など)全てを・・・、

ただ手放し続けるだけ・・・です。

 

これをもっと短く言うならば、

シンプルな方法=判断も罪悪感も記憶も手放し続ける

となります。

 

もっともっと短くいうならば、シンプルな方法=手放し続ける となります。


いかがでしょうか?シンプルな方法でしょう・・・、(笑)

 

さて、私たちがこう言っただけで、もしもあなたがそれをやり続けてゆくならば、

必ず扉の前までの道は開かれ、もうあなた一人で、

その扉を開けて進んでゆくことも出来ることでしょう。

 

何故ならば、もしもあなたがそこまで(扉の前まで)手放し続けることが出来たのならば、

扉の向こうに進む為に、これまでの全て、そこまで来る為に使った全ての概念をも手放す

・・・こともきっと出来るはずだからです。

 

だとすると、いま、この時点で、このチャネリングは「おしまい」となり、

私たちは「おはらいばこ」となるのですが、(・・・それは実に素晴らしいことです!)

 

あなたが何故 判断するのか、何故 罪悪感を持つのか、

何故 記憶によって付け足してきたこと(様々な観念・囚われ・執着など)全てを・・・、

ただ手放し続けること・・・を、ずっとずっとずっとしようとしてこなかったのか・・・、

そして、いまもなお、こんなにシンプルな方法が何故、使えなくなってしまうのか・・・、

 

そのことを詳しくお伝えすることにより、

あなたが、あなたの再統合(すでに在る統合の実感)に、あなたの投影宇宙を役立て、

楽しく喜んで手放し続けられるように成っていただきたいと思います。

 

そしてまた、あなたは決して疑っている・・・というわけではないかもしれないけれど、

「何故そうなったのか、自分は誰で、どこから来て、どこに行くのか・・・」を、

もっともっと深く知りたがっている・・・と、私たちには感じられるからです。

(ゆえに、もう少し首がつながる・・・「おはらいばこ」にならずにすむ・・・ようです・笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、上記の答をまずは書いておきましょう。

 

何故そうなったのか?・・・イシキの囚われ・記憶・観念・執着によって、

自分は誰?・・・あなたは神で永遠・無限の存在、あなたという個であり全てでもある、

どこから来て、どこに行くのか?・・・空間は幻想、故にどこからも来ていない、どこにも行かない

全てがあなたの宇宙であって、本来のあなたに行かれない場もない、

 

そして、先にお伝えした「シンプルな方法」について、もう少し詳しく見てゆきましょう。


★判断

 

シンプルな方法・・・起こることをただ判断せず、ただ罪悪感を持たず、

記憶によって付け足してきたこと(様々な観念・囚われ・執着など)全てを、ただ手放し続ける

 

まずは上記の、「ただ判断せず」について詳しくお伝えしましょう。

 

鏡、あるいは投影宇宙と言ったとしても、あなたは二極性の世界を見ているので、

何かが起こると、そのことが自分にとって良いか・悪いか、役立つか・立たないかなど・・・、

社会イシキや人間としての様々な記憶による二元論で判断し、二極に振り分けてゆきます。

 

これは、上記の何故そうなったのか・・・の原因のひとつとも言えるでしょう。

あなたがこの領域と幽界との輪廻の輪にはまったのも、(第一第二〜第五)

一番初めはこの判断(評価)というものからでした。

 

あなたは自分の創造物を、他と比較、価値判断・評価することで、

純粋イシキから徐々に離れてゆきました。

始まりの小さな判断が、やがて大きな判断となり、

あなたは比較、価値判断・評価などの「判断」から離れられなくなったのです。

 

そして、起こる出来事全てを判断し続けてきたのです。

しかし実際、物事はどう転ぶかはわからない・・・、

このことは人間万事塞翁が馬「じんかんばんじさいおうがうま」・・・イミはこちら

という故事にも出てきます

 

あなたは、この世界をうまく渡ってゆくためには、

判断が不可欠だとずっと信じ込んで来たかもしれません。

しかし、あなたの決定した判断が、せっかくの拡大成長を踏みとどまらせてしまい、

また次の創造にも影響し、再統合(すでに在る統合の実感)をも遠くし続けてきました。

 

上記の故事でも語られているように、良いか悪いかはまったくわからないのです。

しかし、この故事でさえも、幸福・不幸という二極性の二元論(この世ごと)から出て語ること・・・、

あなた自身の永遠の拡大成長のために、幸も不幸もそれら全てをあなた自身が起こしている

・・・ことを俯瞰することは、到底出来ないでしょう。

 

あなたは、この世で幸福になりたいかもしれませんが、

幸福や安定は、なんとも皮肉なことに、追い求める限りもたらされることは決してなく、

たとえ小さな幸福や安定であろうとも、いま・ここで、それを感じ感謝することによって、

それらが拡大して、幻の未来に(時間は幻想)もたらされる・・・ことを、

どうか常に忘れず、そう在り続けて頂きたいと思っています。

 

そしてまた、この世の幸福を追い求める為ではなく、自分が永遠の存在であることを知り、

全てはそう成る(すでに在る統合の実感)ために、

自分自身が起こしているのだと気づいた時に始めて、

 

この世の幸福は、追い求めずとも、すでに、いま・ここ に 全てが在ることが見え、

またこの先も何もかもが、永遠に、不断なく、もたらされ続けることがわかるのです。

 

あなたは、おとぎ話の終わりのような幸せや安定をずっと夢見てきたのかもしれませんが、

シンデレラのように「永遠に幸せに暮らしましたとさ・・・」となるには、

この世界でゲームを上がってしまうしかないのです。(知ること・すでに在る統合の実感)

 

あなたは冒険ゲームをやりに来ているのに、

「冒険(問題)がない」こと・・・幸せや安定・・・を目指し続けて来たのですが、

シンデレラだってイジワルなお姉さんやお母さんがいてくれたからこそ、

大きく拡大成長し、永遠に幸せに暮らせたのではないでしょうか?

 

実際には、冒険(たとえば問題・トラブル)の原因を創り続けてきた・・・

トラブルメーカー・・・はあなた自身であって、

宇宙は、分かれて(分離して)見える他人(イジワルなお姉さんやお母さん)や

あらゆる経験・体験(災厄と感じる試練)を使って、

ただ、あなたの内側を見せ続けてくれているだけ・・・にすぎなかったのです。

 

あなたに起こることの全ては、どんな時も常に、

あなたが内に持っている観念や囚われや執着をあなたに見せ続けてくれている、

・・・それは、たとえ全体とあるいは誰かと共有しているように見えたとしても、

実際には、あなただけの投影宇宙でしかないのです。

 

ここは、そういう働きをするゲームの場・・・で、

あなたは冒険をしにここへ来たのであって、その冒険さえもあなたが計画して来たのです。

 

何も事件が起こらない映画やドラマを一体誰が見るのでしょうか?

主人公は平和で満たされていて、毎日楽しいことが色々起こり続け、

それは永遠に続きます、それを人はずっと見続けるでしょうか?

 

果たして、何も起こらないゲームをやる人がいるのでしょうか?

ゲームである以上は、何かが起こることは必然だとはお思いになりませんか?

そしてまた、ゲームなのですから危険もまったくない・・・のです。

(・・・だから私たちは、あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない・・・と言うのです)

 

あなたは冒険ゲームをしたくてしたくて、長蛇の列に並んで、

体験させてくれるカラダに自分のイシキを移行し、いま・ここにいるというのに、

体験や経験や人や自分を判断しては文句を言い続けてきたのです。

 

ではこのゲームに負ける・・・ということがあるのでしょうか。

実はこのゲームは「勝ちゲーム」でしかありえません。

(正確に言えば、本来は極性がないため勝つことも負けることもない)

 

それは何万年もかかるイシキ存在もいるかもしれませんが、

誰もがやがては必ず、再統合(すでに在る統合の実感)へと誘われることでしょう。

だから「失敗」は、永遠の中では存在しない概念であり、

誰もがそこからある「感情」を収穫して次へと拡大成長し続けている・・・と言えるでしょう。

 

(どんな存在もやがては必ずそうなる・・・、故にスピリチュアルなことで

左足より進んでいる右足はありえないし、実際は無時間・無分離なので、

他の存在や世界の遅れを判断することさえも無意味です、

そして、いまはまだ冒険ゲームに無我夢中になりたい存在もいるのです)

 

あなたはいま、それ(すでに在る統合の実感)をやりに来ているので、

こういった情報を引き寄せている訳ですが、

やがていつかは必ず、この遊び場のブランコを、他の存在に譲り渡して

幻想ゲームから卒業することでしょう。

 

(・・・みんなブランコに乗りたくて待っているのですから・・・、

小さい頃お母さんに「ほら、みんな待ってるよ、順番だよ」って言われませんでしたか?

だからもう次の存在に明け渡して再統合しませんか?・・・笑)

 

そして、再統合(すでに在る統合の実感)を果たして、

この遊園地を他の存在のために明け渡したあなたは、

その存在たちが、楽しく遊ぶはずのこの遊園地で、迷い、憂い、嘆き、悲しみ、恐れ、

ののしったり、傷つけ合ったりしているのを見て、何とかしたいと

私たちのように、ガイドとして今の人生経験を活かして伝えようとするかもしれません。

 

ちょっと長いスパンで語ってみましたが・・・、まあ、そこまで話を広げなくとも(笑)

あなたに起こること、経験や体験は、ひとつたりとも無駄はないのです。

それが腑に落ちて自分自身で見える時は、いつか必ずやって来るでしょう。

 

(kodama・私もちょっと長いスパンですが、

前回の42・投影宇宙@の「犬のおまわりさん」の話から

思い出した幼い頃の迷子体験は、まさしくイミが腑に落ちた瞬間でした、

「ブログ・こだまなくらし・犬のおまわりさん」

いくら時間は幻想と言っても「どんだけ〜」と思いましたが、

もうガイドの手を引かんばかりにして進む時が来た・・・と言うため、

もうひとつは、このこと(全て無駄なし)を書くため・・・、

もっと他にもあるのかもしれませんが・・・)

 

ですから何が起ころうとも、まずは「良いか・悪いか」判断しないことです。

判断しようとする考え・・・そのものを手放し続けることです。

そして評価も手放すことです。

 

また、分離して見せてくれた「イジワルなお姉さんやお母さん」の存在があればこそ、

シンデレラが大きく拡大成長し、永遠に幸せに暮らしたように、

 

たとえどのような暗闇の中に在ろうとも、起こること全てに感謝してしまうことは、

あなたを大きく飛翔させてくれ、判断からも遠ざけてくれることでしょう。

(感謝も手放すための素晴らしい方法のひとつです)

 

たとえ何が起きても、大丈夫、ありがとう、さすけねぇ、良かった、・・・などと、

まずはコトバにして言ってしまうことです。(・・・これは、たとえそうは思えなくともです)

(さすけねぇ・・・会津弁で大丈夫、問題ない、万事OK、というようなイミ)

 

すると、問題を判断しようとしていたあなたの波動は変化し、

その変化したあなたの波動によって、解決の糸口や、

問題を問題視しない、俯瞰した立ち位置がもたらされるのです。

 

損か?得か?・・・という判断

足りないイシキを手放す

 

ひと口に判断と言っても、様々なことがありますが、この「損か?得か?」・・・という判断は、

人々のイシキの中に、大きく、深く、強く、浸透しているように感じます。

 

それは分離の幻想からもたらされた、「足りない」というイシキの囚われから来る感覚で、

人類は、人々は、あなたは、長い間このイシキ感覚を、硬く握りしめ続けて来ました。

戦争、兄弟姉妹、恋人、親子、夫婦間の争い、・・・それらすべては、

この「足りない」イシキの囚われから起きていると言っても過言ではないかもしれません。

 

しかし、実際には、全てのモノはすでにあなたのモノであり、

その全てから、想像・イメージによって引き寄せるモノを選択し続けているだけなのです。

 

しかし、そうは見えない、思えないので、あなたがそう見て、そう思わない限りは、

投影宇宙はあなたの内にある足りないイシキを映し出し、故に、不足は実現し続けます。

 

(「宇宙はYesしか言わない」・・・と言われていることと同じ、

○○が欲しい」・・・と言えば、それはそのままコピーされて、

Yes、○○が欲しい・・・」と答がやって来て、「○○が欲しい」状態がずっと続くのです)

 

人は何かが起こると、「良いか、悪いか」と考え、

「損か?得か?」と、そろばんをはじいて計算を始めるのです。

何も起こっていないときでさえ、損か?得か?常にそろばんをはじいて行動しています。

 

それがいけない・・・と私たちは言っているわけではありません。

それは「足りない」・・・という、あなたのイシキの囚われを、

なお一層、強固にしているに過ぎない・・・ということを自覚することです。

道徳としてではなく、法則として捉えてください。

 

ですから何かが起こった時であれ、これから起こす時であれ、

この損得勘定(感情)がムクムクと頭をもたげてきたのなら、

自分の中に「足りない」・・・というイシキの囚われがあることを、

ただ教えてくれているのですから、ただ罪悪感を持たずに、

それ(足りないイシキ)を手放し続けることです。

 

私たちが何億回、「全てのモノはすでにあなたのモノ」・・・と言ったとしても、

あなた自らが、その足りないイシキ自覚して手放し続けない限り、

そのことを実感することは、決して出来ないでしょう。

 

何故なら、あなたが手放さない限りは、内に在るその足りないイシキが、

投影された体験しか、やってこない、出来ないことになるからです。

 

それは、ここが、壮大なる自由意志の冒険ゲームの場だからであり、

加えるのも(足すのも)、置くのも(引くのも)、全てがあなたの自由だからなのです。

そして、あなたが足し続けたそのイシキの囚われ具合により、

投影宇宙が働いて、様々な冒険がやってくるのです。

 

これまであなたは、様々な体験・経験や教えられた常識や観念によって、

様々なものを自由に自分の純粋イシキに加え続けてきた・・・、

(それは強制ではなかった、あなたが選び、あなたがやり続けた)

 

そして、私たちがいまお伝えしていることは、

今度はただ様々なものを自由に手放し続けて、

自分の純粋イシキに還る、純粋イシキを現す・・・、ことなのです。

(これも強制ではない、あなたが選び、あなたがやり続けるしかない)

 


★罪悪感

 

シンプルな方法・・・起こることをただ判断せず、ただ罪悪感を持たず、

記憶によって付け足してきたこと(様々な観念・囚われ・執着など)全てを、ただ手放し続ける

 

次は上記の、「ただ罪悪感を持たず」について詳しくお伝えします。

 

あなたが投影宇宙をイシキし始めたとして、何かが起きたときに、

もしもあなたがそれを判断して振り分け、起きたことを「悪いこと」と決めると、

 

次にあなたは、自分の中の悪い部分(観念や囚われや執着)が投影宇宙に映し出されていると知って、

罪悪感を持ってしまい、そのことによって、自分に役立てることが出来るかもしれない投影宇宙に、

今度は判断・罪悪感という、新たな混乱を加えてしまうことがあります。

 

あなたは、これまで教え込まされて来た社会イシキの、

常識などの観念によって罪悪感という抵抗を創り、

自分にも、人にも、罪悪感を持たせよう・・・としてきたかもしれませんが、

それはあなたの投影宇宙に新たな混乱を加えるだけだということを

まずあなただけは、ここで徹底して知ってしまうことです。

 

あなたが、自分や人に罪悪感を持たせよう・・・としてきたのは、

そのことによって、状況が良くなると誤解して来たからだと思いますが、

そんな事(状況が良くなる)はあり得ないことが、深く考えればあなたにもきっと見えるはずです。

 

人々は言うかもしれません・・・では、正義はどうなるのか?間違ったことが正される為には?

それらは、二度と起こらないようにしなければならない、

故に、自分にも、人にも、まずは罪悪感(罪と罰)を持たせて

その嫌な気分によって、自分や人に反省をさせて、二度とやらないようにさせよう・・・と。

 

しかし、本当に罪悪感(罪と罰)を持たせることで、世界は良くなってきたのでしょうか。

それはこんな図式だったのだと、あなたには感じられないでしょうか。

 

問題を起こした人に罪悪感(罪と罰)を与え嫌な気分にさせる・・・

その嫌な気分投影宇宙に映し出されて実現して次の問題が起こる・・・

次の問題を起こした人に、もっと大きな罪悪感(罪・罰)を与え、もっと嫌な気分にさせる・・・

そのもっと嫌な気分投影宇宙に映し出されて実現してもっと大きな次の問題が起こる・・・

次の問題を起こした人に、もっともっと大きな罪悪感(罪・罰)を与え、もっともっと嫌な気分にさせる・・・

そのもっともっと嫌な気分投影宇宙に映し出されて実現してもっともっと大きな次の問題が起こる・・・エンドレス・・・、

 

さて私たちは、こんな逆効果のことをすっとやり続けているのだと言って、

あなたに罪悪感を持たせようとしているわけではありません(笑)。

 

それはただ、もしも投影宇宙を本当に理解・認識すれば見えるこの図式が、

理解・認識しようとしなかったがために、ずっと見えなかったに過ぎないと言いたいのです。

 

では何故、投影宇宙を理解・認識しようとしてこなかったのか、

そこには分離や時間という幻想のベールがあったから・・・、

そしてまた、もしも投影宇宙を理解・認識し、受け容れてしまうと

自分自身が世界の悪を背負わなくてはならない・・・という恐れがあったからではないでしょうか。

 

戦争や飢餓、殺人や暴力、災害や事故・・・、見える現象は全て自分が起こしているなどと、

人は認めたくはないものです、故に神や悪魔を外に創り、全ては他のせいにし続けてきたのですが、

全ての存在は神であって、偉大なパワーの持ち主である、あなたという神自身が、

自由意志のこの惑星地球で、そう理解・認識している限り、

その無限のパワーゆえに、ただ、それらが実現し続けてきただけにすぎないのです。

 

しかし、あなたがそのことに関わりあっていようと、いまいと、

罪悪感(罪・罰)を持つこと、感じることは、それらをなお一層増やすことになることを

あなたは、まず知ってしまうこと、そして罪悪感(罪・罰)を手放すことです。

 

では、悪いことをしたとする人にそれをさせないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。

それは分離の幻想を超えること、

(分離はない、故に人が人にすることは、右足が左足にすること、

左足を蹴飛ばす右足、左手をつねる右手、になってはいないか?

それは道徳ではなく法則である、あなたがしたことが全てあなたに還ってくる・・・

故にイエスは「汝の隣人を汝のごとく愛せ」と言った・・・隣人とはあなたが出合う全ての人)

 

またその人たちと自分は分離していないのだと、あなたが知ったならば、

そして、もしもあなたがその人に変わってもらいたいと思うのならば、

その人の持ち続けている様々な抵抗・・・記憶によって付け足してきたこと

(様々な観念・囚われ・執着など)全てを、あなたが彼らの代わりに、

ただ手放し続けることも出来るのです。(だって、分離は幻想なのですから)

 

(kodama・ガイドによるとこれは、ホ・オポノポノのヒューレン博士が

やったことと同じだそうですヨガナンダさんのサイト・・・ホオポノポノ

もしも身近な人、問題のある人、受け持っている生徒、患者さんなどに変化を求めるならば、

彼らに対して持っている自分自身の抵抗と彼らの抵抗を手放し続けることで、変化する・・・ガイド)

 

そして、あなただけはまず、世界を憂うのは止めましょう・・・、

憂う気持ちは、憂いを増幅させるだけなのですから・・・。

あなたは、あなたの投影宇宙に何を加えているかに、いつでもイシキ的でいることです。

 

投影宇宙は、湖に映る風景のようなものです。水が波立てば映される風景は歪むのです。

雨にも、風にも、小石が投げ込まれても、あなたという水は、

手放し続けて自ら波を鎮め、美しい風景を映し出し続けてください。

やがて鏡のような湖面は永遠のものとなるでしょう。


 

さて、この罪悪感(罪・罰)にもまた、様々なことがありますが、

多くの人が、傷ついたり、がっかりすると、その原因を外に求め、

外に責めを負わせることで、問題を解決しようとしてきました。

 

確かにあなたは、悪いことは一切していないのに、

「何故こんなことが」・・・というようなことが起こることもあるでしょう。(個人、又は全体経験としても)

しかしそんな時も判断を一旦置いて、それが何を自分に見せようとしているのかがわかるまで、

バックバーナーにかけて、思考の向こう側に置き、嫌な気分は全て手放して

あなたは常に穏やかな波動領域に居て、そこから決して出ないようにすることです。

(投影宇宙に何を加えているかに、いつでもイシキ的でいる)

 

やがて、そのことにより自分が大きく飛躍しようとしていることが必ず見えるでしょう。

苦難こそが飛躍のきっかけになることが多いが故に、

あなた自身がそれを置いたのですから・・・。

 

他の誰があなたにそんなことをすることが出来るというのでしょう。(分離は幻想)

神が、世界が、他人が、知り合いが、恋人が、あなたにしたように見えることも全ては、

あなたが自分のために置き、ただあなたには、それが幻想ゆえに見えなかっただけなのです。

 

憂うことも、がっかりすることも、落ち込むことも、傷つくこともあるでしょう。

私たちだってもちろん知っています・・・それでも・・・、どんな時も・・・、

その気分が変化するまでただ手放し続けることです、

それは必ず変わるのですから・・・。

 

そしてまた、仕返しする為、文句を言う為に嫌な気分でいなくては・・・、

などというようなオカシナ考えも手放してください。

(そういう人は実際に多いものです・・・それは投影宇宙に何を加えているか?・・・)

 

この「出来事に傷つく心」・・・とでもいうような感覚

こんなことが自分や周りに起こるなんて・・・とがっかりして自分や周りを責める感覚、

自分の投影宇宙に映し出される観念や囚われや執着を

自分自身が持ってしまったことを責めて、一歩も進めなくなる感覚、

 

そのことについて、次のことをお伝えしますが、

あなたが、これまでどんな世界でどんな体験を続けてきた存在だ・・・と教え、

決めることは私たちには出来ないし、そうすることも目的ではありません。

 

これは、このお話の中からあなた自身が自分がどういう存在なのかを感じる為の、

単なるひとつの指針としていただきたいと思います。

 


長く天国にいたイシキ

 

上記のような感覚を持ちやすい存在には、幼い頃の生い立ちなどの影響とともに、

今回の全体の波動上昇に乗っかった再統合(すでに在る統合の実感)を目指して、

何千、何万年かぶりに、「いま・ここ」にイシキを投影している存在が多くいます。

 

彼らは、こんな風に感じていることが多いようです。

・・・これまでもずっと、自分が何者か、どこから来たのかを知りたかった、

何故?どうして、ここに(あるいはこんな場所に)自分がいるのかよくわからない、

あるいは、何故かわからないが、こういった情報(スピリチュアルなど)に引かれる、

 

あるいは、この世界のあまりの煩雑さ、混乱ぶり、愛に見えない状況に、

びっくりしたり、がっかりしたり、うんざりしてしまう、

そしてたとえ自分が関わっていてもいなくても、起こることに幻滅してしまう、

 

また、長く肉体を持たずにいた為、この次元のあらゆる重さと遅さに戸惑っている、

あるいは、人と関わりあうよりは一人でいたほうが心地よい、

愛を表現して傷つくよりは、表現せずに引きこもっていた方が穏やかでいられる、などなど・・・.

 

そういった感覚を持つ存在の中には、長く第五イシキ層(天界)にいた存在、

(それは千年万年単位のスパンでずっとそこにイシキを投影していた)

あるいは天使や守護霊などをやっていた存在、

他の惑星から来た存在、などが多くいるようです。

 

第五イシキ層(天界)については、34・死を超えるA七つのイシキ層(次元)でお伝えしましたが、

そこは、天国と言われているような場所で、彼らは、そういった場所に長くイシキがあったため、

また、もともと愛に溢れているために(たとえいまは表現できずにいても)、

分離・時間・空間・二極といった幻想のある、この世界にどうも馴染めないでいるようです。

(第五にも分離や極性は残っているが、ここよりゆるい・・・時間・空間は無い、

故に何万年もいたという自覚はあまり持てない・・・)

 

この第五イシキ層(天界)では愛に溢れた存在たちが、苦もなくモノやことを創造し続けています。

もちろん彼らは今回、自ら選択してここにいるのですが、(その存在の選択以外ない)

自分がどこから来たのか忘れていることや(ここに来るには全てを忘れる)、

 

この次元の幻想の大きさと、長く肉体を持たず精妙なレベルのカラダでいたこと、

また、かつて居た場所といま居る場所の、そのギャップゆえに、

ここには「自分の居場所がない」ように感じていたり、

いつも「ここではないどこか」を捜し求めていたりします。

 

あなたにも想像し、推理していただきたいのですが、

もしもそんな所に何千何万年もいた存在が、自ら選択してここ(地球の第一)に居るというのは、

ただここで、久しぶりの体験・経験を楽しんで(・・・肉体を持って遊んで)、

もう一度、第五イシキ層(天界)や宇宙などに戻る為だと思うでしょうか?

 

そういった存在たちは、今回の地球と全体の波動上昇に乗っかって、

今度こそ再統合・アセンション(すでに在る統合の実感・・・第六・第七に還る)を目指して、

この地球次元(第一イシキ層・天界)に来ているのだとは感じられないでしょうか?

 

しかし、もしもそれが目的だとしたら、

ここに自分の居場所がない」と感じること・・・、

いつも「ここではないどこか」を求めること・・・、を

まずは、手放し(あるいはどんな方法でも)、変化させてしまわなければなりません。

 

あなたがそうかどうかを私たちには決められませんが、

もしもあなたが、自分で「そんな気がする」・・・と感じるならば、

もう自分自身で選択したのだと決め、その目的のためには、

「ここではないどこか」を求める・・・ことを止め、自分の居場所はここ・・・と決め、

「いま・ここ」をしっかりと生きることが、始まりとなることを知ることです。

 

分離・時間・空間・二極といった幻想は、見える領域の物質創造のために創られたのであり、

本当のこととは、全ては、あなた彼ら)がただ味わう為であり、

あなた彼ら)に試練を与える為でも、こらしめる為でもなく、また悟る為ですらありません。

 

あなた彼ら)はもうすでに悟っている存在で、すでにメガネをかけているのですし、

すでに居る場所にたどり着こうとしているだけであって、

幻想によって、あなた彼ら)自身が付け加え続けた様々な混乱が、

再び幻想によって、そのことをあなた彼ら)に見えなくさせていただけなのですから・・・。

 

また彼ら(第五や宇宙や天使・守護霊)には、良い人であろう、愛でいよう、とするクセもあります。

良い人であろうとしなくていい、愛に成ろうとしなくていい、

どうか、すでにそうで在ることを知って安心し、ただそれが現れてくるように

手放し続けて(他のどんな方法でも)、置き(引き)続けることです。

 

あなた(彼ら)の負の連鎖を手放させよう、変化させよう・・・、としてやってくる問題たちは、

その為の、またとない飛躍のチャンスなのです。

投影宇宙を役立てる・・・とは、そんな風に、全てをチャンスと捉える、

俯瞰したあなた(彼ら)の立ち位置なのです。

 

また、あなた(彼ら)には、地球の波動上昇を加速させる目的もありました。

もうすでに、愛に溢れた存在として、「個は全体の為に、全体は個の為に・・・」、

様々な状況に於いて、先達となることで・・・、苦境の慰め役となることで・・・、勇気を示すことで・・・、

愛で居続けることで・・・、全体のために役立とうとしていたのです。

 

しかし、もしもそうなのだとしたら、たとえ、どんなに苦境に見える状況に在ろうとも、

自分本来の穏やかな波長で在り続けなければ、

個は全体の為に、全体は個の為に・・・」にならないことが、

あなたにもきっと御理解いただけることでしょう。

 

あなた(彼ら)は卒業試験を受けに来ている・・・と言えるかもしれません。

それは、修士課程ほどの難易度かもしれません。

全ての判断を手放すこと・・・、それは極悪非道、あるいは言語道断、世の中の支離滅裂さ、

人類や人々の残虐さや、起こることの悲惨さと、見えることの無慈悲さ、

たとえどんなことであろうとも、一切の判断を差し挟さまず、罪悪感を持たず、

 

そんな無情にも見える世界の中に居ながらにして、

果たして自分は、真の自分に見合った波動を選択し続けられるだろうか・・・、

そして、もしもそう成ってしまわなければ、真の自分が現れようが無いことが、

あなたにはもう感じられないでしょうか?

 

これは、あなた自身が自分で、そうかどうかを感じることであり、

わかってゆくことであり、選択し続けることやり続けることなのです。

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共にただ手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・

HOME


inserted by FC2 system