チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第58章


迷想の森


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

さて今回は、「迷想の森」というお話で、

アセンション・再統合(すでに在る統合の体感)をお伝えしてみましょう。

どうぞ、ビジョンとしてイメージしながらお読み下さい。

 


「迷想の森」

 

宇宙の無限空間に、全体の神・・・「源イシキ」から生まれた

個の神・・・「光イシキ」がいました。

 

「光イシキ」は、イシキの焦点をほんの少し動かすことで、

自分が個の神で在り、同時に全体の神・・・「源イシキ」でも在ることを

自己体感として知っていました。(※1)

 

そして、すでに、常に、永遠に在る、

個の神全体の神統合を、感じ続けていました。

 

個と全体の神は、まったく同じ性質の、

像を持たない「ただ在る」存在で、

永遠・久遠・悠久・無限成る・・・「ひとつなるもの」でした。

 

「光イシキ」は、自分が感じること・イメージすることに、

「源イシキ」が成り行くことによって、全てが創造される

・・・という「創造の原理」を知っていました。

 

「光イシキ」は、この「創造の原理」を使って、

あらゆることや、もの、体験などを、イシキ的に創造しては、

「源イシキ」と同じ、無限の状態を味わいながら、

宇宙の隅々まで冒険し、楽しくアソんでいました。

 

「光イシキ」は、全てに於いて常に満たされていましたが、

ある時、様々なことを実際に体験して感じ、知ってみたいと思いました。

 

それは、例えば・・・もしも始まりの時から「暖かさ」の中にずっといて、

「寒い」も「暑い」も体験したことが無ければ、

「暖かい」とは、一体どの位の感覚なのかを、

自己の実体験として感じ、知ることが出来ないようなものでした。

 

同じように、「愛」とは?・・・「喜び」とは?・・・「自由」とは?・・・

「光イシキ」は、常にそれらの内にいて、それそのものであったために、

それが一体どんなものなのか、どの位の感覚なのかを、

実体験として感じ、知ることがなかったのでした。

 

そこで「光イシキ」は、「自己」と「全体の神」のあらゆる側面

・・・その全てを、実際に体験して感じ、知る為に、

「源イシキ」の「創造の原理」を使って、

とても優れた人間のカラダを創って、それに自らのイシキを移し、

 

また、幻想世界の「迷想の森ゲームを創って、

「暑さ」と「寒さ」というものを、人間のカラダを通して実際に体験することにより、

「暖かさ」というものを、単なる概念としてではなく、

実体験として、感情として、「知る」ことができるようになりました。(※2)

 

また、それぞれの「光イシキ」

体験に対するオリジナルな感じ方によって、

「源イシキ」は拡大し続けてゆきました。

 

この、人間のカラダにイシキを移し、幻想世界の「迷想の森ゲームで、

全体と自己のあらゆる側面」の様々な概念を

実体験として、感情として、「知る」・・・

 

また、それによって「源イシキ」が拡大し続ける・・・

という新しいゲームは、

「光イシキ」とって、とても素晴らしい体験でした。

 

「光イシキ」は、この迷想の森ゲームの中で、

二極性の幻想によって、極から極までの体験を創造し、

 

全体と自己のあらゆる側面」の、様々な「概念としての理解」を、

実体験として、感情として、「知る」ことができ、

それと同時に、この幻想世界での体験に、

だんだんと夢中になってゆきました。

 

それでも迷想の森ゲームはとても魅力的だったので、

「光イシキ」は、もしも迷ったときのために、

大切なことをちゃんと思い出せるようにと、

たくさんのクリスタルを道中に置いておいたり、

 

入り口と出口がわからなくならないように、

パンくずを撒いたり、木に印をつけたり、カラダに紐を巻いたりしてから、

迷想の森」の奥深くへと分け入ってゆきました。

 

また、様々な概念・・・「全体と自己のあらゆる側面」を収穫し、

やがて満足できた時には、

幻想世界から目覚める」・・・というプランを、

サブプログラムとして用意しておきました。

 

同時に、記憶を取り戻して「神成る自己」を再起動させる為の、

「ガイドソフト」もプログラムしておきました。

 

・・・それは、同じ全体の神・・・「源イシキ」の、

それぞれの個の神・・・「光イシキ」である、

兄弟姉妹たち・・・ガイド・守護霊・ハイヤーセルフ・守護天使などに、

 

自分が見えなくしてきたことを、本・インターネット・チャネリングなどの

あらゆる情報や、日々の体験・経験を通して、

伝えてくれるように約束しておいたもので、

 

その「ガイドソフト」が起動することによって、

それまで迷想の森ゲームの中の記憶によって付け加えた、

人間イシキの囚われ情報を削除し、

デフラグ(最適化)し、初期化し、神成る自己」を再起動し、

 

それによって、「ただ在る」存在の個と全体の神が現れ、

幻想世界から目覚めるようにしておいたものでした。

 

さて、そうやって幾重にも準備をしておき、

「光イシキ」が、実際に「迷想の森」の奥深くへと分け入ってみると

そこには「全てを忘れる」という通過儀礼があったため、

 

「光イシキ」は、全体と自己のあらゆる側面」を

収穫し続ける内に、幾重もの幻想に囚われ、

自己の本質を思い出せないままに、

体験・経験と、それによる感情、カラダなどにイシキが埋没し、

 

何千・何万回もの輪廻転生を繰り返してもなお、

幻想世界から目覚める」というサブプログラムは、

なかなか起動しないままでした。

 

やがて長い長い時を経て、「光イシキ」は、

迷想の森ゲームの中で、「全体と自己のあらゆる側面」を

実体験として、感情として、「知ること」ができ、

 

それと同時に、全体の波動が上昇し、

自己の内に用意してあった、「幻想世界から目覚める」という、

サブプログラムが起動する時が、いよいよやってきました。

 

そこで、「光イシキ」は、自分自身で道中に置いたクリスタルを使って、

自己のイシキに付け加えた様々な抵抗を手放したり、

受け容れたりしながら進みましたが、

中々出口には辿り着けないままでした。

 

そして長い長い旅の内に、入り口と出口への道しるべとして撒いたパンくずは、

小鳥や動物に食べられてしまったり、

印をつけた木も風化して、どれが印なのかも判別出来なくなり、

 

またカラダに巻いた紐も切れたり、こんがらがったりして、

「光イシキ」は、入り口も出口もわからなくなって、

迷想の森」の中で途方にくれてしまいました。

 

しかし、約束しておいた「ガイドソフト」が起動したので、

「光イシキ」は、本・インターネット・チャネリングなどの

あらゆる情報や、日々の体験・経験を通して、

「ガイドソフト」が伝えたことを、試して進み、

 

ただ判断せず、ただ罪悪感を持たず、

自分に合う様々な方法を使って、ただ手放す内に、

 

人間イシキの囚われ情報は削除され、

デフラグ(最適化)され、初期化され、神成る自己」が再起動し、

 

それによって、個と全体の神の「ただ在る」ことが現れだし、

幻想世界から目覚め始めました

 

すると、それまでは理解出来なかった「ガイドソフト」から伝わってきた、

すでに居る場所に辿り着く」・・・、

すでにかけていたメガネに気付く」・・・、

などのイミも見え始め、

 

すでに、常に、永遠に在る統合」が、

自己体感として見えてきました。

 

そして、捜し求めていた入り口と出口は、

自分のいまいる場所だったこと・・・、

それは、自分の内にも在ったこと・・・、

それは、自分そのものでも在ったこと・・・、に気付き始めました。

 

そして、パンくずも、印を付けた木も、

カラダに巻いた紐も必要なかったこと・・・、に気付いて、

あんなに途方にくれたことさえ、「面白かったな」と感じられるようになりました。

 

また、どこにも出かけていなかったこと・・・、

どこへも還る必要のなかったこと・・・、

そして、全てが神の国であったこと・・・、が見えてきました。

 

すると、いままで「迷想の森」だとばかり思い込んでいた、

自分のいまいる場所さえもが、神の国であったこと・・・、

 

迷想の森ゲーム自体が、天国そのものであったこと・・・、

溢れる光に満たされていたこと・・・、

全てが光で創られていたこと・・・、が感じられてきました。

 

そして、全てが神であったこと・・・、

全てが愛であったこと・・・、

 

自分という個の神・・・「光イシキ」の求めによって、

全体の神・・・「源イシキ」が、

幻想世界の「迷想の森ゲームの、全ての体験の場と、

体験そのものに成り続けてくれていたこと・・・、が見えてきました。

 

こうして、「光イシキ」は、

すでに、常に、永遠に、いま・ここに在った、

個の神・・・「光イシキ」と、全体の神・・・「源イシキ」の統合・・・

「個と全体の統合」・・・に目覚め行き、

 

人々はそれを「アセンション」「再統合」と呼びました。

 

そこで「ガイドソフト」は、「光イシキ」はどこにも行っていなかったけれど、

やっぱり・・・「おかえりなさい」・・・と言いました。

 

そして「光イシキ」は、自分はどこにも出かけていなかったけれど、

やっぱり・・・「ただいま」・・・と言いました。

 

おしまい


 

(※1)の補足

「光イシキ」は、イシキの焦点をほんの少し動かすことで、

自分が個の神で在り、同時に全体の神・・・「源イシキ」でも在ることを

自己体感として知っていました。(※1)

 

・・・これは、何度かお伝えした、「海」と「一滴の海水」の例えを思い出してください。

自分が「一滴の海水」だと感じる時、あなたは「個」を感じ・・・、

自分が「海」だと感じる時、あなたは「全体」を感じるのではないでしょうか?

どうぞ実体験として感じて試してみてください。

 

(※2)の補足

「暑さ」と「寒さ」というものを、人間のカラダを通して実際に体験することにより、

「暖かさ」というものを、単なる概念としてではなく、

実体験として、感情として、「知る」ことができました。(※2)

 

・・・これは、以前使った例え・・・、

雨は雨を、風は風を感じたかった・・・、ことと同じですね。

 

雨は雨と別々にならなければ、雨を感じることは出来ない、

風は風と別々にならなければ、風を感じることは出来ない、

人は人と別々にならなければ、人間としての経験と体験が出来ない、

 

・・・しかし、実際には別々になっていたわけではなかった・・・のです。

ですから、コトバのアヤを訂正して、出来る限り正確に言わんとするならば、

「別々にならなければ、」・・・ではなく、「別々になったふりをしなければ、」

・・・ということになるでしょうか。

 

あらゆるものと「別々になったふりをしなければ、」・・・

自分自身を体験して知る・・・ことは出来なかったのです。

 

しかし、全ては、すでに、常に、永遠に、

全体の神・・・「源イシキ」として、ひとつで在り続けていたのです。

 

では、「別々になったふり」のあらゆる体験・・・、

それは一体、何のためだったのでしょうか・・・?

 

そこには、目的や役目など無いのです。

しなければならないことも、してはいけないことも無いのです。

そして、良いモノも、悪いモノも無いのです。

失敗も、成功も無いのです。

 

それは、幻想を使って、ただアソブこと・・・。

そして、あなたは、自己の実体験として、感情として、ただ「知りたかった」のです。

 

ですから、もしも目的というならば・・・それは、「知ること」・・・、

それも、あなたという個の神のオリジナルな感じ方で・・・。

そして、それを真に「知る」ことがまた、全体の神の拡大へと成ったのです。

 

そしてきっともう、あなたはあらゆることを「知った」のではないのでしょうか?

何故なら、こういった情報を自らに手渡し始めているからです。

 

さて・・・あなたは、どんな風に感じるのでしょうか?

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共にただ手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・



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