チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第60・最終章


こんにちは・さようなら・こんにちは

「ただ在る」ことと「ただ在る」と見ること


今回の第60・最終章では、ガイドから伝えられたことと関連する、

私のこれまでの体験などを書きながら、進めて行くことになりました。

そこで、ブログページに関連記事を書いてリンクすることにしました。kodama 


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

 

さて、あなたは光のゲートをくぐりぬけ、

私たち「導きの声が聞こえる貝」も、

おいとまする時がそろそろやってきました。

 

ここからは、私たちがこれまでお伝えして来たことを、

あなたの「源」で十分に吟味し、実際に使って試し、

あなたのフィーリングが「あなたの真実」と伝え、感じることだけをガイドに、

あなた一人で、扉の向こう側を歩み続ける時がやって来たのです。

 

それは喜びの内に歩む、あなただけの「冒険の旅」です。

 

私たちは決して離れてゆくわけでも、居なくなってしまうわけでもないのですが、

あなたがその「冒険の旅」を進みゆくために、

「導きの声が聞こえる貝」・・・チャネリングのガイドという、

ゲーム上のアイテムとしての立ち位置を変容させて、

 

今度はあなたに、私たちを、

同じ源の、体験する「光イシキ」の兄弟姉妹としてだけ、

見ていただきたいと思っています。

 

そして私たちは、あなたという兄弟姉妹に、

あともう少しだけお伝えしてから、おいとましましょう。

 


 

あなたのまわりの世界に存在するもの、その全ては、

あなたが見るためだけに置かれています。

 

これは、これまでも何度か触れてきたことではあるのですが、ここで改めてお伝えするのは、

あなたの「ただ在る」こと・・・と、

あなたのまわりの世界に存在するもの、その全てを

「ただ在る」と見ること・・・には、大変深い関係性があるからです。

 


★「ただ在る」こと・「ただ在る」と見ること

 

あなたが全てを「ただ在る」と見る時、

あなたの「ただ在る」ことが、現れてくる、

 

あなたが全てを「ただ在る」と見る時、

あなたの「ただ在る」ことは、深まって行く、

 

それは、相乗効果と成り、

あなたの「ただ在る」ことを加速させ続けるだろう、

 

それは、あなたが、源・・・全体・・・神として

全てを見始めた・・・ということだから、

 

源・全体・神「ただ在る」

 

そして、あなたが「ただ在る」自己を見い出し、

全てを「ただ在る」と見るように成ったとき、

あなたはやがて、その源・全体・神と成り行くだろう、

 

マル「○」と言わず、バツ「✕」と言わず、アル「在る」と言う、

 

「ただ在る」とは・・・「認めること」でもある

すると、あなたにも無限の「認めること」がやってくる、

しましまジャケットの幽霊君・ブログに関連記事

 

「ただ在る」とは・・・・・・「自由」を与えることでもある、

すると、あなたにも無限の「自由」がやって来る、

 

「ただ在る」とは・・・「愛すること」でもある

すると、あなたにも無限の「愛すること」がやってくる、

 

人間の体験とは、それぞれの「光イシキ」

その体験を通して、様々な感情を収穫しようとしているにすぎない、

 

そこには成功も失敗も、善も悪も、高尚も低俗も、存在しない、

何故なら、全ては永遠に続く「光イシキ」の拡大成長の道のりなのだから、

 

だから、その存在が、どんな体験・経験を選んでいようとも、

勇気ある「光イシキ」としてみる・・・「ただ在る」と見ること、

 

それはあなたのために、皆が生きて見せてくれる

人生の見本市のようなものだ、

人生の見本市・ブログに関連記事

 

あるいは、あなたに挑戦する体験なのかもしれない、

それは、あなたが「ただ在る」と見られるようになるための挑戦、

 

しかし、どんなことも、あなたが注目することは、それを望んでいること、

だから、これまで手放すことで変わってきたことをどうか忘れないでほしい、

 

あなたはパワーある神なのだから、

それらに力を与えないこと、

それら全てを「ただ在る」と見ること、

 

さて、あなたには、自己の「ただ在る」ことが、

いまはまだ、見えてはいないかもしれない、

 

それでも「ただ在る」は、ずっとあなたの内に・・・ただ在る、

あなたが、苦しい時も、悲しい時も、

あなたが、喜ぶ時も、愛する時も、

 

そして、あなたが自らの抵抗を手放し続けるとき、

それはまるで薄紙をはがすかのように、

あなたは再び「ただ在る」存在へと成り行くだろう、

 

だから、罪悪感や焦燥感や劣等感も、手放そう、

優越感や超越感も、手放そう、

 

「幼子と成って ただ花のように在れ」

 

・・・それは、あなた本来の、無垢で純粋な、

幼子と成った、「光イシキ」として、

けなされても、褒められても、

花のように、ただ在る」こと

 

花は、たとえけなされたとしても、罪悪感や焦燥感や劣等感を持つことはない、

花は、たとえ褒められたとしても、優越感や超越感を持つこともない、

 

花は、「ただ在る」

・・・そして花は、そのことを決して忘れない、

 

どうかあなたも、「ただ在る」こと・・・と、

あなたのまわりの世界に存在するもの、その全てを

「ただ在る」と見ること・・・を決して忘れないでほしい。

(花のように・ブログに関連記事)

 


★「ただ在る」ままのイシキ的創造

★フィーリング★センセーション★ラブ

 

もしも始めから覚醒していたら、あなたのこれまでの体験はあり得なかっただろう、

もしも始めからコントローラーを手にしていたら、あなたは様々な経験が出来なかっただろう、

 

あなたは、人間の体験・経験のためのゲームのスケジュールを組んだ、

それは、確固たる不動のモノではなかったかもしれないが、

味わってみたい感情のための体験・経験・・・というイミでの大まかな設計ではあっただろう、

 

あなたはそれに乗っかった、・・・乗っからなければ体験・経験は出来なかったから、

だから言ってみれば、それは「潜在的スケジュール」に乗っかった

「自動操縦」だったということになるだろう、

(自動操縦だった・・・ブログに関連記事)

 

極から極までのデータ収集のためには、どうしてもこの「自動操縦」が必要だった、

しかし、「潜在的スケジュール」に乗っかった「自動操縦」である限り、

ゲーム上での創造のコントロールはまったく不可能だった、あなたは人生に翻弄され、

・・・けれど、そのおかげで様々な体験・経験と、それに伴う感情が収穫出来た、

 

やがて、あなたは実現法則・成功法則を知る、

それは波動上昇と共に多くの場でもたらされ、

自分の人生の舵(かじ)取りをしようと、あなたはそれを使ってみた、

 

あるいは、それまでは社会イシキの中に埋もれて生きてきたのが、

ある時点から「そんなのかんけいね〜」と自分教の教祖を創りあげてきた、

それらはいずれも、自分自身でゲームの「コントローラーを持つ」と決めたこととなった、

 

ゲームの「コントローラーを持つ」のは、「自動操縦」に比べれば良いかもしれない、

だがワクはまだあった、そしてゲームの世界をアソブに過ぎないことを、やがては知るだろう、

コントローラーを手放さない限り、無限(全体・神・源)が現れないことを、やがては知るだろう、

 

あなたは手放し続け、ゼロになる・・・、すべての情報を置いて光のゲートをくぐる、

そして、やがては「ただ在る」ことを体感する

 

・・・だが、これら全てはあなたの選択と決断にかかっている、

誰もあなたの代わりにそれをやることは出来ない・・・、

 

さて、「ただ在る」ままのイシキ的創造・・・それは、どういうイミなのだろうか?

実は、創造は誰からも教わることは出来ない、

あなたは教わらなくても、すでに、いつでも、それをやってきた、そしてそれをやっている、

 

あなたは創造を止めることは出来ない、あなたが何かを感じる限り、創造は続いてゆく、

そして、あなたはイシキだから、感じることを止めることも出来ない、

 

「ただ在る」とは、感じないことではない、創造をしないことではない、

それは、「囚われ」というワクのまったくない純粋な状態と、その創造・・・「純粋創造」である、

そして実は創造は、とてもシンプルだ、

あなたは教わらなくても、すでにそれを知っている、

 

ただ、自分が創った「囚われ」という全てのワクを自分自身で取り去る、

ただ、0に成り、全ての情報を置き、「ただ在る」

その時あなたは、純粋状態での純粋創造が出来るように成り行くだろう、

 

その時あなたは自分自身でそうと知るだろう・・・、

それは「ただ感じるだけで良い」ということを・・・、

そしてあなたの源(全体・神)は「その全てに成り行く」ということを・・・。

 

それは、コトバにすれば、★フィーリング★センセーション★ラブ・・・、

しかし、これは単なるコトバによる説明にしか過ぎない・・・、

その体感・実感はあなた自身で掴んでゆくしかない、

 

ただ、夏休みの宿題やテスト勉強を助言する兄弟姉妹のような気持ちで、

あなたに参考にしてみてほしい・・・ただ、それだけのことだ、

そして私たちは、実はこれまでもずっとそういうスタンスであった、

(夏休みの宿題・テスト勉強・・・ブログに関連記事)

 

さて、あなたは何でも創造出来る・・・そして、何でも創造してかまわない、

ただ出来れば、あなたに喜びをもたらすものを創造した方が良い・・・

私たちももちろんそうだが、きっとあなたもそう感じるに違いない・・・、

 

「ただ在る」ままのイシキ的創造・・・とは、ただ「感じること


あなたの欲しいモノ、欲しい状況についての・・・

 

@結果・結論を感じる

すでに在るそれをイメージとして見て、フィーリングを感じる

A良き感情を感じる

それがすでにもたらされた時の良き感情としての、★センセーションを感じる

B感謝を感じる

それをもたらしてくれた内なる源・神・全体への感謝としての、★ラブ(源への愛)を感じる


 

さあ、あなたもフィーリング★センセーション★ラブ」を感じて

「ただ在る」ままのイシキ的創造を、あなたの感覚として掴んでみてほしい。

 


★「ただ在る」神として生きる

 

全ては愛で出来ている

愛で創られた世界

愛しかない世界

 

その愛の真っ只中で遊び続けている存在、それがあなただ、

あなたは、悠久に存在し続けてきた、

あなたは、久遠に存在し続けてゆく、

 

いまは人間としてのカラダをまとったスガタで、

そして、いつかは、神そのものとして、

 

だからこそ、たったいま、人間の体験の中に在って、

「ただ在る」神として生きることだ、

だからこそ、たったいま、人間の経験を味わい尽くす、

「ただ在る」神として生きることだ、

 

それは、魔術を封印された、魔術師としてではなく、

魔法を取り上げられた、魔法使いとしてではなく、

 

自ら選んで人間を体験している

「ただ在る」神そのもの・・・と、感じながら生きることだ、

そして、まさにそれはその通りなのだから・・・、

 

あなたは人間の体験・経験からあらゆる感情を収穫したかった、

そして、神としてのアイデンティティーを忘れ去り、長い長い時を過ごした、

 

だが時間は幻想にしか過ぎない、

あなたは、かつても、いまも、これからも、

永遠に、神であることに変わりはない、

 

それは、「神に戻る」・・・のとも、「神に成る」・・・のとも、

「神だと思い出す」・・・のとも、少し違うかもしれない、

 

それは、「神と知る」・・・と近いが、

自分を「神だと決める」・・・ことと言えるかもしれない、

 

「神だと決める」・・・決意・・・決イ

それはイシキが決めること・・・イシキが決まること・・・、

「決イ」が、その後の体験を運んでくる、

 

あなたのイシキが決める・決まる・・・とき、

体験があなたの宇宙に投影される、

 

だからこそ、神と知り、神と決め、

たったいまから、「ただ在る」神として生きることだ、

 

そして、神として自分を愛することだ、

全体(源・神)が、これまでも、これからも、あなたを愛し続けるように、

あなたが、あなた自身をまず愛することだ、

 

自己への熱愛・・・それは、無条件・無償の愛だ、

親が子に、子が親に、恋人に、家族に、小さきもの達に、

あなたがこれまでも一瞬感じてきた、その無条件・無償の愛を、

あなた自身への贈り物にしよう、

 

そして神としての、その無条件・無償の自らへの愛を

永遠へ、無限へと、広げて行こう、

 

そして、神として喜びで生きることだ、

神成るイシキ存在達は、どんな場と経験に在ろうとも、

必ずそこから喜びを見い出す、

 

あなたも、神成るイシキ存在として、

幻想の中で、幻想を超えて見始めてほしい、

たとえ暗闇に見えるときも、自分は永遠だと知り、

そこから立ち上がってきてほしい、

 

私たちは、あなたと同じ神成るイシキ存在として、

いつでもあなたのそばにいて、いつでもあなたに呼びかけている、

だが、あなた自身が暗闇から立ち上がって、

耳を傾けようとしなければ、その声は決して聞こえないのだから・・・。

 

神と知り

ただ在るがまま 源で

かんじる ひびく こだまなくらし

 


※・・・以前お伝えした、七つのイシキ層(天界)の中でも、

第一〜第五のイシキ存在と、第六〜七イシキ存在の大きな違いは、この「神という自覚」です。

ですから、あなた自身がまず「神と自覚する」こと・・・神と知り、神と決める・・・ことが

そこを超えるための始まりと成り行くのです。

 

あなたはこれまで、人間として様々な役割を演じてきました。

女性ならば、妻であったり母であったり娘であったり、会社の勤め人であったり、お客であったり、

それらは無意識・無自覚の内に、それこそ自動操縦で、あらゆる役に成ってきました。

 

しかし、その中ですっぽりと抜け落ちていたのは、

「神」というアイデンティティーだったのではないでしょうか。

しかし、それが抜け落ちていたからこそ、体験・経験が出来たこともまた然りです・・・。

 

そして、もうあなたの時は来た・・・神と知り、神と決める、

それは、他の誰にも代わってもらえない、

あなたが知って、あなたが決める、しかないのです。

 


波動の変換期の調整

 

以前に書いたものに追記しました。2・もうひとつの呼吸法

 


こんにちは・さようなら・こんにちは

 

別れと出会い・・・、卒業と入学・・・、それは常に重なってゆくことでしょう。

運命に翻弄される人間から、コントローラーを持つ存在(自分教の教祖)へと・・・、

そしてゲームを超え、扉の向こうへと進み、「ただ在る」神へと・・・、

常に、「さようなら」が「こんにちは」・・・次成る出会いへと成り続けてゆきます。

 

私たちは「源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。」と言い、

いま、あなたに「さようなら」と言いますが、

それは、あなたが全体へと成り行く・・・「こんにちは」へと繋がってゆくことでしょう。

 

それは、どこまでも続く冒険であり、そこには無限が待っているのです。

0=∞

ゼロは無限を開いてゆきます。

あなたがゼロに成り続ける時、あなたは「全て」と成り行くのです。

 

「素晴らしい」の上には もっと「素晴らしい」がある、

「最高」の上には もっと「最高」がある、

それが無限・・・「限りない」ということ・・・、

だからこそ、淀んだ水とならず流れ続けることです。

 

まだまだ・もっともっと・ずっとずっと・・・・・・・・

あなたの内に感じるものを探求し続けることです。

それが、全てへと繋がる道(未知)なのですから・・・。

 

ゼロに成り続け、「全て」と成り行き、

自分自身の救世主と成って、

ただ在る・ただ生きる・ただアソブ、

 

それが、私たちのお伝えしたかった「こだまなくらし」です。

 

私たちがお伝えしてきたことは、素晴らしすぎて逆に信じられない人もいるかもしれない、

 あるいは、フシギすぎて受け容れてはもらえないかもしれない、

 

しかし、選ぶのはあなたです。

それを自分自身の真実とするかどうかは、他の誰にも決められないのです。

そして、自分が真実としたモノをあなたは体験するのです。

 

いまはまだ夢の中に生きる人々の中で、

あなたはひとり、孤独を感じることがあるかもしれない・・・、

しかし、あなたは常に全てと離れてはいないのです。

ですから本当は、夢の中に生きる人々だって、あなたと離れてはいないのです。

 

本当は決して一人ではないけれど・・・、

あなたが「たとえ、たった一人でも行くのだ」・・・と決めて進むとき、

全てとの統合、そして私たちとの一体感も感じられることでしょう。

 

そして、あなたが自分自身で、感じる孤独感やあらゆる抵抗感を手放し続け、

自分自身で決めて、自分自身で進み続けなければ、

誰もあなたの代わりに、あなたを癒したり、決めたり、進んだり、出来ないことは、

あなたにはもう、知っていただけたことと思います。

 

あなたは(本当はどこにも行っていなかったけれど)

自分自身を知るための冒険に出かけました。

 

あなたは無自覚の(神という自覚の無い)まま、自動操縦で潜在的スケジュールや

自己のイシキに加えてきた情報(記憶・感情)で体験・経験を呼び込み、

その情報の上に更なる情報を加え続けて、様々な、あらゆる体験・経験を創り出してきました。

 

しかし、中々望みを叶えてくれない神は自分自身だった・・・、

あらゆる試練を与えてきた神は自分自身だった、・・・ということに、

いまはもう、あなたは気付き始めたかもしれません。

 

守らなければならないものなど何もなかったのです。

あなたはすでに、常に、永遠に、守られているのですから・・・。

「不足」や「失う」という恐れ・抵抗・囚われ・の方を手放し続けることです。

 

永きに渡ってあなたは、恐れを、抵抗を、囚われを生きてきました。

われ」という文字は、四角のワクの中にいます。

しかし、そのワクの壁を創ってきたのは、あなた自身だったのです。

 

だから今度は、あなた自身でその壁を、外す、壊す、消し去る、扉を創って開ける、のです。

それは、内側からしか壊せない壁・・・なのです。

 

そして、われの外に出たは、

一人で立って自分教の教祖としてコントローラーを手にしたとなり

・・・四角の中にい情報を持ったとなります。

の文字の左は、右はワクの中にいと書く)

 

そしてはやがて、すべてのい情報を手放してゼロと成り、

三界(三千大千世界)を貫く、全体としての「ただ在る」と成り行くのです。

の文字の右側は三界を貫くと書く、左はすという字の変化したモノ、

とは、全ての界を貫き()、そしてす・・・「ただ在る」もの)

 

(※三界(三千世界・三千大千世界)・・・仏教の世界観による広大無辺の世界。

須弥山(しゅみせん)を中心に日・月・四大州・六欲天・梵天などを含む世界を一世界として、

これが千集まったものを小千世界、それが千集まったものを中千世界、

さらにそれが千集まったものを大千世界といい、これらを総括していう、)

 

チャネリングメッセージ「こだまなくらし」は、

これを読んでくださったあなたと、彼女と、私たちの、美しき共同創造でした。

私たちは、あなたのことを知っています、そして深く敬愛しています。

 

どうぞ私たち、・・・同じ光イシキの兄弟姉妹が、これまでお伝えしてきたことを・・・、

そしてまた、その他のあらゆる全ての、どんなことに於いても・・・、

あなたの「源」で感じ、あなたの真実とするかどうかを、あなたが決め続けて下さい。

 

ゼロと成れ

ただ在る生きる ただアソブ

美しき神の こだまなくらし

 

おわり

あなたの兄弟姉妹より・・・


おわりにあたって・・・kodama

 

2011年1月1日から始まった、チャネリングメッセージ「こだまなくらし」が、

思いもかけず長引いて、第60章まで続き、ようやく終わりとなりました。

まるまる10ヶ月間かかったわけです。

 

読んでくださった皆さん、長らくお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。

皆さんのおかげで、ここまで進んでくることが出来ました。

 

さて、卒業に当たって、私自身は、表面的には何も寂しさや悲しさを感じていないつもりでした。

だって「チャネリング」とは、無意識であったとはいえ、常にいつもやってきたことでもあり、

これからもヒラメキとして常にやってくるだろうと感じるし、

離れているものなど何も無いと教えられてきているから・・・

それにガイドとの一体感も感じ始めてきたから・・・。

 

しかし、表面的には孤独感など全く無い・・・と思っていたのが、

潜在意識には、まだまだあらゆる感情が残っているらしく、

最近よく、感情放出の為の夢を見ていたような気がします。

 

夢の内容はよく覚えてはいないのですが、

起きてすぐにその感情を手放す(※)ように教えられていますので、

目が覚めた途端に「ふ〜っふ〜っふ〜っ」なんてやっているわけで、

それと共に夢も抵抗感も忘れてしまいます。

 

そして、最終章の最終文を書くにあたって、今朝はその為の放出作業がやってきました。

夢の中で孤独感を感じ、涙まで溢れて目覚め、

起きたと同時に、様々なことが繋がって見えてきました。

 

それはつい最近感じたちょっとした感覚だったのですが、

引きずるほどではなかったので、そのままにしておいたものが、

全て私の孤独感や疎外感や焦燥感などの現れであったと気付いたのでした。

 

今朝は普段よりちょっと長く、ボールに丸めては「ふ〜っふ〜っふ〜っ」と手放し続け、

そのおかげで、ようやくこの最終文に取り掛かることが出来ました。

それは、私の感情の放出を待っていたかのようでした。

 

「左足より一歩早く前に出たと威張っている右足」ではないつもりだけれど、

周りを見渡せば、「死なないと決める」ことも、「神だと決める」ことも、

そして、「チャネリング」をしているということさえも、

全くの非常識、頭のオカシナ、いっちゃってる人でしょう。

 

そんな中で、たとえ、たった一人でも行くのだ」・・・と決めて進み続けることに、

「果たして良いのだろうか・・・???」と孤独感や寂しさや疑問を感じることが、

私にも、しょっちゅうありました。

 

全て自分に起きてきたことは良かったと思え、ここへ誘う道、体験・経験ではあったけれど、

後戻りして、あの頃の自分に戻りたいと思うような自分自身も過去にはもういないのも確かです。

そして、スピリットたちが言うように、今の自分を熱愛して、この先の道(未知)を知りたい、

見たい、体験したい、・・・そう感じる自分自身がいるのも確かです。

 

そんな試行錯誤で進んできたけれど、

自分自身の「ただ在る」ことが見える・・・という確かな実感も掴むことが出来ました。

 

そして、私がこのチャネリングメッセージ「こだまなくらし」を始めたころには、

自分は関係ない・・・というような立ちイチにいた、やまびこくん(同居人)が、

私がチャネリングで得た情報を採用して、私よりも一歩早く「ただ在る」体感を得て、

「後ろ盾」に成り続けてくれたことは、いま思えば、本当に素晴らしい贈り物でした。

 

夕べ温泉の帰りに、2011年1月1日に始まったので、

「2011年11月11日に卒業パーティーをやろう」と話しました。

(確か2011.11.11.はエネルギーがまた変化するそうです・・・)

 

自分で料理して、自分で祝う、たった二人だけのパーティーになるのかもしれませんが、

きっと多くのスピリットたちに囲まれていることでしょう。

もう寂しさでなく、永遠や無限を感じ続けたいと思います。

 

そうして、これまでチャネリングに集中しすぎて、途中から描かなくなってしまった絵を、

今度はその集中力を使って、描いてゆきたいと思います。

(・・・最近ようやく力が抜けてきて、描き始めたところで、

始めからこうしていれば良かったなと思いつつ、楽しむことが出来るようになりました)

 

チャネリングも、どんな風になるのかはまだ全く見えないのですが、

書いたほうが良いというメッセージが来た時には、

何か違うカタチになるかもしれませんが、ここでまた発表して行くつもりでいます。

 

どうか、これからも見に来て下さい。

そして、この「一つの終わり」にあったって(・・・それは同時に始まりだけれど)

読んでくださったあなたに、もしもお声をかけていただけたら嬉しく思います。

 

kodamaのBBS・掲示板

kodamaのMailbox

などにて、あなたの感じたことをどうぞお伝えください。

いずれも、なるべくお返事いたします。

 

それではまた、お会いしましょう。

美しき共同創造に参加して下さって、本当にありがとうございました。

 

kodama 2011.10.25.記

 

(※)感情放出の為の夢・・・このことは以前のページで書きましたが、

夢で感じた様々な感情を、目が覚めた途端に手放しておくと良いそうです。

夢の内容や感情の分析もせず、「ただ手放すこと」・・・と伝わってきています。

 


追記・・・

これまでここに書いてきたことに関連し、書き残していた体験などをブログに書いてゆきます。

そして、これまでの体験は、結局は全てが繋がるのですが、その中でも、

特に印象深かったこと、あまり他の人(身内や知り合い)に影響のないこと、

わかりやすいこと、(説明が込み入ることなどはパス)・・・などを書きました。

 

 2011.10.26.聖書と私

2011.10.28.ベトベトなんですけど〜その1

2011.10.30.ベトベトなんですけど〜その2

2011.10.31.ベトベトなんですけど〜その3

 

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