チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第9章

ハートを感じる・ハートで感じるA


YouTube録音動画

  


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

人々は、常に様々な事を「感じて」生きています。

しかし多くの人は、その「感じたこと」を、

「ただ感じるまま」・・・にしておくのが難しいようです。

 

それは、コトバという媒体によってコミュニケーションをとる必要のあるこの世界では、

全てはコトバなどに変換しないと伝わらない・・という要素があるからであり、

それ故に、人は自分ひとりで感じたことも、

それがどんな感じなのかを、色々と考えたり、コトバにしようとしたりします。

 

それは良くも悪くもありませんが、あなたの本質を求める旅に於いては、

そのことがしばしば、その本質を見えなくさせることがあるのです。

 

そこで、この「感じること」と「考えること」について、もう少し詳しく見てみましょう。

 


考えるから感じるへ

 

あなたは、自分がどんなことも、まず「感じて」から、

それを「考え」にしているのだ・・・ということを知っているでしょうか?

 

何故なら、本当のこととは、見えるもの・見えないもの・その全ては「波動」であり、

あなたは常に、その波動を「感じて」、それを「考え」に変換し続けているからです。

 

あなたは情報の海の中にいるのであり、

その海の中で、あらゆる情報を「波動」として受け取り、それらを一旦「感じて」は、

自分の「考え」として採用し続けているのです。

 

ですから、あなたが「これは私が考えた」・・・と言うとき、

それを純粋に、あなた一人だけで考えたかどうかは実際にはわからないのです。

 

さて、ここで私たちは、考えるから感じるへ移行すること

・・・「考えないで感じることを提案したいと思っています。

 

しかし、私たちはこう言いながらも少し細かいのですが、

「考えないで感じる」・・・というとき、その微妙なイミ合い、言い方の間違いを「感じ」ます(笑)。

 

それは、実際には「感じることを考えにしないで、ただ感じるままにしておく」・・・ということだから。

 

では、私たちが提案するように「ただ感じるまま」にしておくのには、どうしたら良いのでしょう。

そしてその為には、何を手放してゆけば良いのでしょう。

 

まず、「ただ感じるまま」にしておく方法とは、

コトバにしようとしなくてもいい・・・

分析しない・・・、判断しない、・・・ということです。

そして、「ただ感じる」ことを自分自身に許す・・・ということです。

 

次に、その為に手放すものとは、

「考えなければ対処できないのではないか」

「ちゃんと考えないとまとまらない」

「考えてから行動しよう」

などという、「考える」ことで現実に対処してゆこうとする

考えそのもの」です。

 

そして、これら全ての、「考え」自体を手放してはいけない・・・という

おそれ」や「不安」や、これまでの習慣や癖です。

 

そして、私たちからあなたに贈るコトバは、

「感じ続けても大丈夫」・・・、

「感じていても行動は出来る」・・・というものです。

 

ただ「感じ」続け、何かヒラメキが来たら動く

・・・それは、あれをやってみようとか、こうしたい・・・などということかもしれない、

・・・これが私たちの言うところの「考える」から「感じる」というイミです。

 

そして、ここで大切な事は、

あなたが「ただ感じる」ことを続けるとき、

全てを自分にとって居心地の良いものにしてゆく・・・、ということです。

 

居心地が良いか・・・、良くないか・・・、

あなたの中には、それを「感じる」ことの出来る指針が必ずあるのです。

そしてそれが、あなたの源(神・全体)であり、その表現としてのハートなのです。

 

そのあなたの内にある指針を使って、

居心地の良くない「感じ」は、前述した方法などを使って手放し、

自分にとって心地よい波動と共鳴することだけを選択し続け、

常に自分で波動を調整してゆきましょう。

 

(・・・実際には、波動調整とはあなた自身でやるしかないのです)

 

何故こんな考えが・・・などと探ったり、判断したりすることにもあまりイミはありません。

あなたにとって居心地の良くないその「感じ」と共鳴するのを、

ただ判断もせず、それらを選択しないと決めるだけのこと・・・、

 

そして、選択しないと決めたのですから、手放す方法などを使って、

自分自身で波動調整をすることです。

あなたにとって居心地の良いその「感じ」を、ただ「感じる」ことを自分に許し、

ハートに集中し、ハートを感じること、ハートで感じることを続けてみてください。

 


感じて味わう

 

さて、あなたにとって、居心地の良いその「感じ」を、

「コトバ」や「考え」にせずに、「ただ味わう」ことが、あなたは出来るでしょうか。

 

それは・・・、あなたにとって居心地の良いその「感じ」・・・、その「フィーリング」を通じて、

ある「センセーション」を、「ただ味わう」・・・といった感覚です。

 

実際には、ハートに集中し、ハートを感じ、ハートで感じるとき、

あなたはすでに、それらを「ただ味わって」いるのかもしれません。

 

ですから、もうすでに、そうしていたのでしたら、それをちょっとイシキしてみましょう。

また、そうしていなかったのでしたら、居心地の良いその「感じ」を、「ただ味わって」みましょう。

 

あなたがそうするとき、それは、あなたの内なる源(神・全体)との波動共鳴を生み出し、

あなたは、少しずつ自らの内なる源(神・全体)と波動の合った存在へと還り始めるのです。

 


オリジナルな神

 

それは実際にはどんな言い方でもいいのですが・・・、

覚醒を目指す・・・、悟りを開く・・・、神に成る・・・神に出会う・・・神に近付く・・・

あるいは、再統合やアセンション、神で在ることに気付く・・・などといった、

あなたという自己の本質への道を求めるとき、

あなたは誰にそれを教わろうとするでしょうか。

 

宗教や様々な教え、悟りを開いた人、あるいはグルやスピリチュアルリーダー、

セミナーや本や私たちのようなガイドの情報、

その語られたコトバという媒体によって、まずは知ろうとするでしょうか。

 

それは、決して悪いわけではなく、

あなたが本当はどんな存在であるかを、きっと教え、伝えてくれることでしょう。

そして実際に私たちもいま、そうしています・・・、

 

しかし、自分が本当は誰であるのか、どんな存在であるのかを、

誰かや何かから伝えられ語られた、「考え」や「コトバ」の中から見つけようとする時、

それは、もうすでに知られていること・・・すでに在るもの・・・、

その中から見つけようとしていることになるでしょう。

 

それが「考え」や「コトバ」・・・というものの限界であり、限定でもあることでしょう。

 

これまで、あなたは人間として生きる為に、人類全体の「社会イシキ」という、

あるひとつの限定、あるひとつの囚われ、あるいは数多くの常識や決まりなど、

すでに知られ、誰かや何かから教えられたことの中で生きてきました。

 

そして、これまでは・・・、あるいは、あなたの内に「自己を知りたい」という発動が始まるまでは、

あなたはその社会イシキに、何とか頑張って、

自分自身を合わせようとしてきたのではないでしょうか。

 

しかしそれらは、全てがあなたにしっくり・・・、ぴったり来ることは決してなかったはずです。

どこかや何かが違う・・・とあなたはずっと感じてきたはずです。

 

やがてあなたは、人類の「社会イシキ」を超え、自分自身にしっくり来る何かを捜し始めるでしょう。

そして、あなたが自己の本質・・・内なる源(神・全体)の、その「純粋イシキ」を知ろうとするとき、

あなたは、まずは情報として様々なものを集めることでしょう。

 

しかし、誰かの見つけた神、誰かの伝える神、誰かが教える神、に自分を合わせようとしても、

それは、これまであなたが人間を生きるために、

人類の「社会イシキ」に自分を合わせようとしてきたのと同じように、

 

どんなに頑張っても、どこかが、あるいは何かが、しっくり・・・、ぴったり来ることはないのです。

そして、あなたには「自分という神」が見えないままなのです。

 

似たようなところはあるかもしれないけれど、

あなたの感じ方に全てがぴったり来るようなものなど、あなたの外には存在しないのです。

あなたはオリジナルな神で在って、他の誰の神とも違うのです。

 

さて、あなたは「自分が神である」ということに、今はまだ目覚めていないかもしれません。

しかし、「自分がオリジナルな存在だ」・・・ということは感じるでしょうか・・・?

実際にそれは、誰とも・・・、誰のモノとも違っています。

 

では、あなたのその独自性、その個性、その感じ方、モノの捉え方・・・、

などは、一体どこから来るのでしょうか・・・?

また、あなたのそのオリジナル性は、

何のためのオリジナル性なのだと、あなたは感じるでしょうか・・・?

 

・・・それは全て、あなたの内からやって来るのです。

実際に、あなたという存在は、あなた独自のオリジナル性を持ったイシキ存在であり、

故にあなたは、あなた独自の「オリジナルな神」で在るのです。

 

そしてまた、そのオリジナル性は、あなたという体験する「個」の神の

オリジナルな自己表現と、その感覚を通して、

あなたの内なる源(神・全体〉が、無限に拡大し続けるために与えられた性質なのです。

 

ですから、すでに在るものや、知られているモノの中に、

あなたという「オリジナルな神」を見い出そうとしても、

それは彼らの神であって、あなたの神ではないのです。

 

みんな、自分の神についてしか、教えたり伝えたり出来ないのです。

だからこそ、もう、違っていていいのだ・・・と認めることです。

違っていて当然なのだ・・・と受け容れることです。

 

あなたは、「あなたという神で在る」・・・と気付くのであって、

誰かが教える、誰かが語る神には決して成れない・・・、

また成ろうとしても無理だったのです。

 

何故なら実際は、あなたは一瞬たりとも「神」でなかったことはなく、

あなたは、もう、すでに、ずっと、「あなた」という「オリジナルな神」で在って、

その「神」であるあなたが、人間の体験を通して、

自分自身の全ての側面をただ知ろうとしてきただけなのです。

 

ですから、もうすでに成っているものに、「成ろう」・・・とすることで、

あるいは、誰かや何かの教える神に、「成ろう」・・・とすることで

それをかえって見えなくさせてしまう・・・ということが、あなたにも感じられるでしょうか?

 

覚醒・・・、悟り・・・、神に成る・・・神に出会う・・・神に近付く・・・

再統合やアセンション、神で在ることに気付く・・・などと言われているものは、

すでに、常に、永遠に、そうで在ったこと」・・・に、ただ目覚めてゆくのであって、

 

自分が本当は誰であるのか、どんな存在であるのかは、

誰かや何かから伝えられ語られた、「考え」や「コトバ」の中には決してないのです。

 

それは、あなたが自分の全ての感覚を使って、

あなたのオリジナルな実感・体感を通して

あなた自身が、「感じること」であり、

 

自分が神だと知っている」・・・というその「感じ」でしかなく、

それは、まさにあなたの内にしか見つけられないのだ・・・ということを、

あなたは感じられるでしょうか・・・。

 

だからこそ、あなたという神に目覚める為・・・、あなたという神に還る為・・・、

すでに、常に、永遠に、あなたという神で在ったことに気付く為・・・、

 

まずは、あなた自身の内に集中する・・・その「感じ」を練習して、あなた自身で掴み、

そして、考えやコトバにしないで感じ続けること・・・、ただ味わうこと・・・、

を試していただきたいと思います。

 


補足・・・

この世界では、コトバにしなければ、様々なことが人に伝えられないことは確かです。

たとえば、人に聞かれたならば、自分の「感じ」をコトバにして話をしなければならないでしょう。

 

また自分が感じた感動や感謝を、相手に伝えたいと思うのであれば、

コトバにしなければ伝わらないでしょう。

 

また、私たちがいまやっているように、コトバにしなければ、

メッセージなどを伝えることも出来ないでしょう。

それらはコミュニケーションとして、とても大切です。

 

ですから、ただ、必要に応じてコトバにする選択をする・・・ということであり、

その必要がない時には、「ただ感じること」を自分に許す、受け容れてゆく・・・ということです。

 


 

すべてはあなたの想像(創造)です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・

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