チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」

Q&A


質問4

どう伝えたらいいですか


はじめまして。こちらのサイトに出会えて、とても感動しています。

やっと、見つけた…という気持ちです。

私は仕事で、薬屋なのですが自然療法を伝えています。

水と塩の重要性、ビタミンとミネラルは自然から、光の重要性、骨盤の重要性など…。

ただ、今は西洋医学が中心なのでなかなか伝わらず、

もし自然の法則を理解してくださったら助かるかもしれないのにな…と感じつつ、

薬屋という立場から相手の方のペースに合わせてしまい、

なかなか多くの人に伝えることが出来ていません。

伝えたいのに伝えられない…今の状況をどのようにして

行けばいいですか?私は何をすればいいですか?

私は子供の頃から、「私はどうして生まれてきたんだろう」

と考える子供で、いろいろな経験を通して、

今は「物事の基本を伝えること」「ギリギリのところで助けられる運命」を感じています。

他に、私の役目はありますか?


解答


ご質問いただき、ありがとうございます。

 


あなたはお仕事で、自然療法を伝えている・・・とのこと、

水と塩の重要性、ビタミンとミネラルは自然から、光の重要性、骨盤の重要性など…。


 

私たちはあなたがなさっているこれらのことを、とても大切なことだと思います。

どれも体がある以上、この世界での暮らしにとっては、重要な要素です。

 

しかし、私たちはそうと知り、それを踏まえた上で、以下のお話をします。

あなたも、このことを踏まえた上で、読んでいただき、

あなたのための一つの指針としていただきたいと思います。

 


あなたは、「今は西洋医学が中心なのでなかなか伝わらず、

もし自然の法則を理解してくださったら助かるかもしれないのにな」

・・・と感じているとのこと、


 

しかし、はっきり言ってしまえば、助かるかどうかは「どうでもいい」のです。

 

まず、とびっきり乱暴な言い方をしてみましたが・・・、これは

「問題がある」という視点から、問題は何もない」という視点へと、

あなたに、変容(トランスフォーメーション)していただきたいと思うからです。

 

あなたは、「死んだら大変」「死んだら困る」と思っているでしょうか。

確かにあなたのところに来る人は、はっきり言ってしまえば

「死にたくないから」来ているのであって、「死んだら困る」と思っているかもしれない・・・、

 

しかし、もしかしたら、その人の助けになれるかもしれないあなたは・・・、

あなただけは・・・、たとえ世界中が、人類が、人々が、なんと言おうと・・・、

死などない、死は幻、死んでも死なない・・・、そして問題はない・・・、ということを

いま・ここで 知ってしまわなければなりません。

 

何故なら、あなたがそう成ってしまわなければ、

「盲人が盲人を導いている」ことになるからです。

 

あなただけはまず、「死を超える」ことです。

そして、たとえ、問題があるように見えたとしても、

それは・・・、「問題は解決される為にある」と知ることです。

 

しかし、ここで注意したいのは、自分がたとえ「死を超えた」からと言って、

いまはまだ問題があると思っている人に向かって、「どうでもいい」とは言えないということです。

もちろん言ってもいいのですが、そうすると誰も来なくなってお仕事が成立しなくなるでしょう。

そこで次のお話に続きます。・・・

 


「薬屋という立場から相手の方のペースに合わせてしまい、

なかなか多くの人に伝えることが出来ていません」

・・・と、ご質問の中であなたは言いました。

また、・・・伝えたいのに伝えられない…今の状況をどのようにして行けばいいですか?

ということについてですが・・・、


 

前述したような、「どうでもいい」などという乱暴な言い方は控えて(私たちは言いましたが・・・笑)

あなたがすでにされているように、相手のペースに合わせる事は大切なことです。

 

誰でも初対面の人に抱きつく人はいないでしょうし(逮捕されますよね)、

選ぶ話題なども、この世界の常識的なところから入ってゆくものです。(例えばお天気とか)

 

特に、あなたのところに来る人は、大なり小なり問題を抱えているわけですし、

「何か良い方法があったら知りたい」・・・とも思っているはずです。

中には、「溺れる者は藁をも掴む」気持ちの人もいることでしょう。

不安と恐れ、心配などの波動に共鳴している状態の人も多くいることでしょう。

 

だからこそあなたは、「問題はない」「死んでも死なない」

「すべてはうまくいっている」といった、安らから境地から出入りすることなく、

自分の波動領域に居るようにしなければ、彼らの助けに成ることなど出来ないのです。

 

それには、母が子を見守リ育むような心が参考になるでしょう。

あなたが賢き母のように在る時、赤ちゃんに数学の話はしないでしょう。

また3歳の子・小学生・中学生・高校生との話題を選ぶことでしょう。

 

またあなたが寛大なる母のように在る時、

反抗期の子供にはそれなりの対応をするでしょう。

(自然療法など見向きもしない人も中にはいるのです・・・

しかし、それも彼らのいまの在り方なのです)

 

それは、子ども扱いし、バカにし、低く見るというイミではありません。

私たちが例えを使って言いたいのは、

いついかなる時も「臨機応変」であれ・・・ということです。

 

また、あなたには、自分自身も混迷と不安の中で人間をやってきたデータもあるはずです。

知らないところから知り得てきた体験もあるはずです。

それを、いまこそ使うのです、あなたの人生経験が人々との対応を教えてくれるのです。

そのコツは、「自分がして欲しいように人にする」・・・ということです。

 

そして、相手を説得しようとしなくていい・・・のです。

私たちが「どうでもいい」・・・と言ったのは、ノープロブレム【no problem】(問題なしのイミ)

・・・「すべてはうまくいっている」というイシキに居て下さい・・・というイミでもあります。

 

もしもあなたの中に問題イシキが存在すれば、その相手との会話の中に、

「なんとかしなくちゃ」という焦リや、「これを選ばなきゃ大変なことになる」といった脅し(恐れ)などが、

どうしても、どうしても、どうしても忍び込んで来てしまうからなのです。

 

そして、あなたが自分の安らかな波動領域を出ることなく、リラックスし、

「永遠のいま」にいて、焦ることも恐れることもなく、すべてはノープロブレムなのだと知るとき、

相手が何にヒットするか俯瞰しながら話すことが出来るのです。

 

そして、あなたが俯瞰出来るようになって、その人との会話が弾んだとき、

後から振り返ってみると、母が子を育むがごとくに接していたその人から、

逆に自分自身が学んでいた・・・、ということが見え始めてくるのです。

 

あなた自身が痛みや紆余曲折を直接体験しなくても、彼らのお話が

そこに至れる気付きとイシキの変容・イシキの拡大、

そしてこれから役立つであろうデータをもたらしてくれるのです。

 

こうしてあなたの前に現れる人は、あなた(母)の子と成り、師(母)とも成るのです。

 


私は何をすればいいですか?

私は子供の頃から、「私はどうして生まれてきたんだろう」

と考える子供で、いろいろな経験を通して、

今は「物事の基本を伝えること」「ギリギリのところで助けられる運命」を感じています。

他に、私の役目はありますか?・・・について


 

さて、あなたはちょっと拍子抜けするかもしれないけれど、

あなたの役目は、ま〜ったく、な〜んにも、ありません

もしもどうしても、どうしても役目が欲しいのであれば、

それは「ただ生きること」・・・と言いたいと思います。

 

38・死を超えるEひとつのイノチ・ひとつのイシキ・ひとつのカラダより抜粋・・・

可視世界とも言われる、この第一イシキ層(現実世界)は、

「カラダ」という非常に優れた乗り物に乗って、「あじわう」ために創られたのでした。

そして、そのことだけが目的の全てと言えるでしょう。

だからこそ、あなたは、全ては、ただ「在る」だけで、いいのです)

 

私たちは、「幼子と成って、ただ花のように在れ」 と言いたいと思います。

 

幼子のように、日々を活き活きとワクワクして、すべてを十全に味わい、ただ生きるとき、

そして花のように在る時、あなたの在り方だけで人に伝播できてしまうのです。

 

花は、ただ「在り」、ただ「生き」、ただ咲いているだけなのだけれど、

人は花を見て、美しいとか、良い香りとか、癒される・・・などと感じるのです。

 

ですからどうか、本来のあなたには、ただ「在る」こと以外の役目はないと知ってください。

肩の力を抜き、リラックスして、すべてはただ「在る」だけで良いのだ・・・と知るのです。

 

そしてあなたが全てを、ただ「在る」モノとして見ることが出来るように成ったとき、、

何をしても、何をしなくても良い、「無条件の愛」「無条件の自由」が見えて来るでしょう。

 

誰かを救う「救世主」には、誰もなれないのです。

ただあなたは、自分の在り方」で伝える・・・だけであり、

それを受け取るかどうかは、常に相手次第なのです。

 

あの釈迦やイエスでさえもが、全ての人には伝えられなかった

(もしも伝わっていたら、現実世界はこうはなっていない・・・でしょう)

 

それは、決して彼らに力がなかったからではなく、

人は誰もが偉大なる神であって、そこには壮大なる自由意志があり、

その人自身が、目覚めたいと、本当に、真剣に、徹底的に思い、感じるまでは、

波乱万丈の冒険の旅を続ける自由があるから・・・、なのです。

 

そこには常に、壮大なる自由意志が立ちはだかる、・・・のです。

しかしまた、その壮大なる自由意志がなければ、すべての体験は在りえない・・・のです。

 

壮大なる自由意志が在り、またその人その人の決めてきたスケジュールが在る・・・、

故に、常に、どんな時でも、その人のスケジュール優先であって、

偉大なる時の聖者であろうとも、それは誰にも手出しのしようがない、

かの釈迦やイエスでさえも全ての人には伝わらなかった・・・、

そして伝わったとしても、その人の捉え方で曲がってしまうこともある・・・のです。

 

だからこそ、全て人は自分の救世主となることしか出来ません。

しかし、別の言い方をするならば誰もが自分自身の救世主に成れるのです。

そして、それが出来ると、あなたの世界は変わる、・・・まったく変わってしまうのです。


 

あなたの、人のために何かをしたいと感じるお気持ちは、真に尊く、美しいものです。

どうやったら伝わるのか、それには様々な手法もあることでしょう。

 

しかし、本当に大切なことは・・・、「そこに愛が在るか」・・・なのです。

そこに愛が在れば、伝え方などは自然と沸き出てくるのです。

それには、あなたが自分自身を真っ先に、無条件に愛することです。

22・自分を無条件に愛するをお読み下さい)

 

そして、自分を無条件に愛し、また「分離」はすべて幻想であることが見え始めてくると、

すべての人は、他者を演じている自分自身だということが感じられてきて、

彼らを自分の宇宙にアソビに来た、他の人のスガタをした別バージョンの自分だと知り、

彼らを無条件に愛して、その時伝えられる事を伝えられるようになるでしょう。

 

そして、あなたのしたことは全てあなたに還ってくる・・・、

良いことも悪いことも何倍にもなってあなたに還って来るのです。

しかしだからといって、良い人であろうとしなくても良いのです。

それは、ただ「法則」であって「道徳」ではないのです。

 

それは、全体は一つで、本当は全てが自分自身を映した、別なスガタの自分であって、

あなたの宇宙には、本当はあなたしかいない・・・、

故に人にすることは全て、ただ「法則」として自分にしていることになるのです。

 

ですから、誰かを救っているのではなく、実は自分を救っている

(誰もが自分を救う救世主に成ろうとしている)・・・のだと知ることです。

あなたが日々体験している全ては、自分の在り方と気付きを見せてくれている

投影された宇宙鏡なのだと知ることです。

(投影宇宙については今後詳しくお話しする予定です)

 

あなたはただ、常に自分自身であり、全て(他の姿をした自分)と真剣に向き合い、

その時ひらめいたこと、出来ることを、ただ純粋にやり続けることです。

 


急がなくてもいいのです、いつもリラックスして、「永遠のいま」を感じてみましょう。

何故なら全てには、「その人」の「その時」というものがあるからなのです。

 

「ギリギリのところで助けられる運命」・・・とあなたは書きました。

それはもしかしたら、相手とあなたの約束(スケジュール)だったのかもしれない・・・、

 

でも本当に大切なことは、「助かること」「死なないこと」ではない・・・、

本当に大切なこととは・・・、誰もが自分の内にすべてがあることに気付くこと、

誰もが自分で自分を癒せることに気付くこと、

そして、自分こそが神であることに目覚めること・・・、ではないでしょうか。

 

そして実は、そのためにすべては起こっているのです。

病気や不幸はそのためにその人自身が用意したシチュエーション(スケジュール)かもしれない、

ですから助からない、死ぬ選択さえもあるのです。(あるいは、ギリギリのところで助かる・・・)

どんな状況であろうとも、あなたは自分の在り方でしか伝えることが出来ない・・・、しかしそれで十分なのです。

 

あなたは素晴らしい冒険の場を選んでいるのでしょう。(あなたのスケジュールかもしれませんね)

そしてあなたの目の前に現れてくるすべての人々は、

あなたの冒険を助けてくれる愛する兄弟姉妹なのです。

あなたがそうやって人のために動くとき、

人々が、全てのことが、自分を育ててくれたと、やがてわかるようになるでしょう。

 

どうぞ肩の力を抜いて、壮大なるあなたの冒険を楽しみ、

彼らに愛を伝え、また愛を受け取りながら

あなた自身が神であることに目覚めていってください。

 

ご質問いただき真にありがとうございました。

ガイドより・・・


質問者

初めて、私の人生の中で本当に納得のできる答えを

いただくことができたと、本当に感謝しています!

ただ、お返事を初めて読んだとき思わず笑ってしまいました。

度々、主人が発する言葉が「どうでもいいよ」「人は関係ないよ」という言葉なのです。

まさに、私の近くに神様がいたのですね!

そして、全てのことが私のためにいろいろ教えてくれているのですね。

そして、確かに仕事を通して自然というものを見つめていて最近感じたことは

「人は生きるために生きている」…のではないのかなぁ…ということです。

それが「ただ在るだけでいい」と言うことなのでしょうか。

かつての私は物事を難しく複雑に考えすぎていましたが、

本当は自然の花や鳥や虫たちのようにもっともっとシンプルでもいいのでしょうね。

そして、私の役目はな〜んにもないなんて…すっきりしました。

自分が今できることを楽しんでやればいいのですね。

確かに私は偉い人でも何でもないし、逆に自分が偉いと言っている人でさえ、そう思わないので…

私はまず大好きな自分を作りながら、人には臨機応変を心がけ、人に対する好き嫌いをなくし、

すべての人に愛を持って、心の広い海のような母のような存在に一歩でも近づけるような素敵な自分を目指します!

まだまだ未熟で程遠いですが…本当に、ありがとうございました。感謝しています。


美しき神よ・・・

 

「人は生きるために生きている」・・・というあなたのお気付きになったフレーズ、

まさに的を得て素晴らしいものですね。

このことを見ても、もうすでに、あなたは自分だけで、自分の観察や体験から、

見て、気付いてゆく事の出来る、美しき「神」そのものなのです。

 

そして、あなたが「大好きな自分を作りながら、人には臨機応変を心がけ、人に対する好き嫌いをなくし、

すべての人に愛を持って、心の広い海のような母のような存在に一歩でも近づけるような素敵な自分を目指す」

と感じた・・・、もうその時点で・・・、それは「未熟で程遠い」ことなどでは決してなく、

いま・ここに於いて、すでにそう成っているのだ・・・と知ることです。

 

「成ろうとするな、すでに・そうで在る・と知れ」

 

後はただ、それを現して(表現して・あらわにして・現実世界に現す)日々を生き、

また、あなたがすでに気付かれたように、

「自然の花や鳥や虫たちのようにもっともっとシンプル」に在ることです。

 

美しき神成るあなたと、こうして分かち合えたことを、

私たちはとても嬉しく思っています。

ガイドより・・・


質問者

またまた…私の人生で、初めて私のことをこんなに理解して下さり、ありがとうございます。

これからも、何があっても心を美しく保ち、風が吹いても雨が降っても、

自分が進む道を真っ直ぐに進んで行きます!

少し弱気になっていましたが、とても勇気が湧いてきました。



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