チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」

Q&A


質問6

こんなに頑張ってるのに…


いつもありがとうございます。

せっかく、今までkodamaさんに素敵なお返事をいただいて喜んでいたの

ですが…先週、とてもひどいことがありました。

うちのお店に泥棒が入ったのです…。

心も体もキレイになろうと、こんなに頑張っているのに

これは私にとってどんな意味があるのでしょうか?

でも、不思議とそんなに腹がたっていなくて、命があってよかったとか、

主人が私たちを起こさずに全て一人で対処してくれたことに感謝したり、

泥棒にも愛を送るのか?困っている人を助けたと思えばいいのか…何も

問題はないのだろうか…などと考えたりしていますが…

何か間違いがあれば教えてください。

とにかく、悪い出来事を全てなくして、幸せになりたいです。


解答

 

ご質問ありがとうございます。

 

まず一番初めに、「全ては自分が創っている」ということを、認めるところから始まります。

それはたとえ多くの人々と一緒に体験していることでも(地震や津波や原発のように)、

また誰かと一緒に体験したことであっても(今回の体験のように、ご主人となど)、

全てはあなたがあなたのオリジナル認識宇宙に置いた、

あなた自身の体験と目覚めの為のシチュエーションなのです。

 

それは、どんなことであろうと、たとえ認めたくないようなことであっても・・・です。

何故なら、もしも「全ては自分が創っている」のでなければ、

誰かや何かが、あなたの人生を操っていることになってしまうからです。

その時あなたは、自分の権威を外側のモノに譲り渡してしまうことになるのです。

 

もちろん、どう決めるかはあなた次第なのですから、

@・・・「全ては自分が創っている」

A・・・「自分が創ったり、周りや運命が創ったりしている」

(良いことは自分、嫌なことは周りや運命が創っている・・・あるいは逆や、偶然でも)

B・・・「全ては周りや運命が創っている」

の、どれを選択するかはあなたの自由です。

(誰もあなたの考え方や感じ方を決めることは出来ないのですから・・・)

 

さて、もしもあなたが、「全ては自分が創っている」・・・という私たちのコトバを受け容れたとしても、

幻想を超えてそれを見るのは、難しいように感じられるかもしれません。

(実はそれにも挑戦しているのですが・・・)

 

では、どうしたらそれが見えるのでしょうか?

それには、「死ぬ」、「知るか」、しかありません。(究極の選択です・・・)

そして、私たちは、その「知る」方法をお伝えしているわけですが(再統合・アセンション)、

あなたもその為(再統合・アセンション)に、ここに焦点を当てていて、

 

その幻想のバーチャルゲームの中で、あなたのイシキが、

「わたし」というキャラを演じながら、他にも、

泥棒、親切な人、苦手な人、好きな人、という様々なキャラが居て、

 

そのゲームを進む為に手に入れた、様々なアイテム(たとえば、ガイドの声が聞こえる)を使いながら、

自分の内にある、囚われや抵抗を、全て手放さんとして、

様々な困難や苦境に見える出来事(シチュエーション)を置いているのです。

 

それは、あなたが自分で始めた、あなたの冒険の旅(冒険ゲーム)です。

そして、冒険ゲームの中では常に、そのゲームから上がらない限り安定はないのですから、

死んで上がりとするか・・・「死ぬ、再統合して上がりとするか・・・「知るか」は、

あなた自身が選ばなければなりません。


 

私たちは、イエスのお話の中で、「十字架の道の選択」・・・その目的のひとつは、

愛と許しを身を持って示す」ため・・・とお伝えしました。

 

酷いことが起こる・・・しかし、これは違うだろう?・・・許すなんて、愛するなんて無理だろう、

・・・と、人々は思うかもしれない・・・それでも、・・・

 

どんなことも、手放せるか・・・、許せるか・・・、愛としてしまえるか・・・、

全ての人類が彼の体験を見て、やがて使えるようにと、イエスは先達として道を示したのです。

(こうして、多くの聖人によってあなたの冒険の道は舗装さえされている・・・)

そして、あなたに起こる「ひどいこと」とは、

あなたがあなたに送った「十字架の道」なのかもしれない・・・、

 

「父よ彼らをお赦しください、彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」

と、十字架にかけられてもなお、イエスは言いました。

それは、分離は幻想で、全ては右足が左足にしていることだと、知っていたからです。

39・死を超えるF人生の十字架 を御再読下さい、よりあなたの腑に落ちると思います)

 

しかし、許そう、愛そう・・・、として頑張る必要はない・・・、

許せるか・・・、愛としてしまえるか・・・、はまず、あなたが手放すかどうかにかかっているのです。

 

これまでずっと人々は、許そうとし、愛そうとし、抵抗を生んできたからこそ、

まず「手放しなさい」と、あなたの冒険ゲームのアイテム(私たちのメッセージ)は言い続けるのです。


 

そして、ひどいことと決めるのか・・・、

命があってよかったと決めるのか・・・、

ご主人に感謝すると決めるのか・・・、

泥棒にも愛を送ると決めるのか・・・、

困っている人を助けたと思おうと決めるのか・・・、

何も問題はないと決めるのか・・・、

 

そんな風に、色んな想いが行ったり来たりして混乱していることも、全て、

まず手放してから、バックバーナーにかけておくことです。

 

そして、起こったことのイミはあなたが自分で決める、(あなたの真実と同じように)

そしてどんな答が出ようと、その「答に間違いはない」・・・、のです。

(しかし、あなたの持つ感じ方によって、次なるあなたの体験への布石が成される、

・・・故に、あなたの為になる真実、イミを選択してください)

 

いつでも、自分の感じ方は自分で決めることです(・・・別にすぐにわからなくても良いのです)。

そこに間違いなどない、どう思えばいいのかは誰にも教えられない、「こう思え」とは言えない、

 

それは何故でしょうか・・・もしも、誰かや私たちが「こう思いなさい」と言って、

もしもあなたがそうしたら、あなたがあなたの内なる神を見出すことは

到底出来なくなるのですから・・・。(外に偶像を創って、その言う通りにすることになる)

 

そして、「こんなに頑張っているのに・・・」と、あなたはがっかりしてしまったかもしれないけれど、

それでも、もしかしたら頑張ったからこそ、一番良い形であなたの内の囚われや執着や恐れが

手放されようとしているのかもしれないのです。

あるいは頑張ったからこそ、体験が変化し、守られ、大難が小難になったかもしれないのです。

 

しかし、また私たちは「頑張る必要はない」こともお伝えしたいと思います。

頑張るとき・・・、そこには、どうしても「抵抗」が生まれてしまうからです。

あなたは、自分に足りないものを、何かしらくっつけよう、何か手に入れよう、としてはいないでしょうか。

心も体も、足し続け、加えてきたモノをただ置き続けるだけなのです。

(足し算・置き算・・・として、41・すでにかけていたメガネにてお伝えしました)


 

そして、「悪い出来事を全てなくして、幸せになりたい」と、あなたは思っている・・・、

それはもちろん、そういったことがあれば誰もが感じる感情かもしれませんが、

それでも私たちは、あなたの冒険アイテムとして、伝えなければなりません。

 

悪い出来事って、一体何だろう・・・

それ(良い・悪い)は、二極性の中の二元論で、幻想でしかない、

本当は何も問題はない・・・のです。

 

そして、体験をしながらに(生きていて)、もしも本当に、全てそういったことをなくしたいのであれば、

徹底して手放し、あなたの内なる神を現すしかないでしょう。(死ぬか知るか・・・の知る)

 

しかし、それは何も起こらなくなるということではありません。

やがては、起こらなくなるかもしれないが、起こる時は起こるかもしれません。

 

ただ、あなたの内なる神を現したとき、全ての問題は問題と見えなくなり、たとえ何かが起きても、

「問題はない」「どうでもいい」「何でもいい」となってゆくだけ・・・、に過ぎません。

 

それは、決して投げやりなのではなく、この世は幻想だとわかり、

全ては単なるゲームだとわかるから、感情がまったく巻き込まれなくなる、

そして、感情が巻き込まれなくなると、やがて何も問題に思えなくなる、・・・にすぎません。

(冒険ゲームである限り、問題自体はなくならない、

ただ個人的な問題はほとんどなくなることはある、)


 

そしてまた、「悪い出来事を全てなくして、幸せになりたい」・・・と言う時、

それは、あなたを「いま」に居なくさせ、幸せを幻想の未来に持って行ってしまいます。

 

幸せはいつでも「いま」見い出し、「いま」感じるもので、

「悪い出来事などない」、「問題ない」と決めるのも、「いま」なのです。

 

夢や希望は、未来に持って行き、未来に置くのではなく、

「いま」想い、「いま」に見つけることで、それが拡大して幻想の未来にもたらされるのです。

時間は幻想で、本当は「いま」しかないのですから・・・。

 

あなたはシンデレラのように永遠に幸せに暮らしたいと思うかもしれませんが、

安心したいと願い、請うのは、内に心配や不安という混乱があるからなのです。

(ですから、まず「手放しなさい」・・・

 

もしもあなたの内の混乱が全て消え去り、あなたがまっさらになってしまえば、

すでに安心で、安全で、シンデレラのように永遠に幸せだったのだ、と気付き、

どんなキャラ(シンデレラ)にでもなれ、日々の美しい冒険を楽しめるようになることでしょう。


 

さて、もしも私たちであれば、こんな風に俯瞰してみることでしょう。

泥棒が教えてくれたことは何か・・・、

右足は左足のために何を見せてくれたか・・・

泥棒がきれいにしてくれたものはあるか・・・、

 

あなたの宇宙は、あなたに手放す為の動機を、次々に与えてきているのかもしれない、

そして、それを読み解くのはあなた自身です。

さあ、あなたは、冒険ゲームの主人公として、自分自身で、何をどんな風に決めるのでしょうか。

 

まず「手放しなさい」・・・あなたのゲームのアイテムであるガイドより

 


質問者

 

ありがとうございます。

私なりに、自分の答えを考えてみました。

 

・泥棒が教えてくれたことは何か・・・、主人が私たちを愛して守ってくれていること。

・右足は左足のために何を見せてくれたか・・・私にはもう、お金やモノがどうでもいいこと。

・泥棒がきれいにしてくれたものはあるか・・・、人を恨む心、過去へのこだわりを捨てること。

 

そして、私は「全ては自分が創っている」「知る」「手放す」ことを選んでみます。

お返事をいただいて気づいたのは私の人生はずっとずっと幸せなのに、

不満を持って生きてきてそれが今少しずつなくなってきて、

そして今、私は本当に幸せなんだなということがわかってきたところです。

 

クリアになるにつれて、何も問題はないというゴールに近づいているのだろうと何となく思います。

本当に引き算が苦手だった私が、人生の引き算に苦労している途中だと思います。

足し算ばかりしてきたので、これからは引き算をして0になります。



ガイド
 

・泥棒が教えてくれたことは何か・・・、主人が私たちを愛して守ってくれていること。

・右足は左足のために何を見せてくれたか・・・私にはもう、お金やモノがどうでもいいこと。

・泥棒がきれいにしてくれたものはあるか・・・、人を恨む心、過去へのこだわりを捨てること。

 

美しい答を見せてくださりありがとうございます。

あなたの内に、私たちの愛がヒビキますように・・・。

 



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