kodama便り・・・・第12便
2000.11.29.
前略
小さな頃、私は毎日 地面にロウセキで
お目目きらきらのお姫様を描いていました。
ある日、通りがかりのおばさんが
「そんなとこで 絵描いてると車にひかれるよ」と言いました。
私は、「ひかれてもいい」と言っておばさんを怒らせてしまいました。
生意気な子供だと思われたのでしょう。
まだとても小さかったので、言葉が選べずそんな表現になってしまいましたが、
今でもはっきり覚えているのは、言い足りない思いがあったからでしょうか。
親切に言ってくれたおばさんに無礼な応答をしてしまった私ですが
少し言い訳をさせてもらえば、そのころの東京は(裏通りでした)車もあまり通らず、
たまに通ったとしても、まだ のんびりとした時代で、
地面にロウセキでお絵描きしている子供は他にもいましたし、
(石蹴りや陣取りも毎日していました)
車の運転手さんも、声をかけてくれたし
そんな1時間に1台通るかどうかわからない車のことを心配して、
せっかくの楽しいお絵描きをやめたくないと思ったのでした。
そんな風に、自分の考えに真っ正直な幼い私でしたが
やがて大人になるにつれ、人の評価を気にし、
失いたくない物もたくさん作ってしまいました。
そして、あの頃のあるがままの幼い私をどこか奥深い場所にしまいこみ、
取り返しのつくはずもない過去を悔やみ、来てもいない未来を憂い、
自分自身を見失った大人になってしまいました。
ある時、あるきっかけで、それまでの生活を全部捨て、
田舎に移り住んだ頃から自分自身を見つめ、
奥深くにしまい込んだ『私』を捜しつづけました。
断崖絶壁に見えたものをいくつも飛び降りて
ようやく辿り着いたのは、あのときの喜びに満ちてお姫様を描いていた幼い私です。
断崖絶壁はただそう見えただけで、勇気を出して飛び降りてみたら
段差さえもなかった、かえってずっと楽になれた自分がいました。
それまでの私は何と多くの外側のものに揺り動かされていたのでしょう。
外側からやってくる色々なことで、振り子のように揺れ続けていたら
ずうっとそうして揺られて生きてゆくことになってしまう。
喜びも悲しみも、どんな感情感覚もこの私があればこそのものです。
ならば、この私の振り子をしっかりと固定させ、揺るぎない自分になりたい・・・。
決して、感情を押し殺したり、我慢したり、無感情になるのではなく、
あのころの無垢な心の私のままで生きられないだろうか、
そうして、常に輝きや喜びの心の位置に居られないだろうか。
そんな想いを抱いて絵を描いていたら、描いている内にどんどん変化してきて、
それこそ自分では思わぬ方向に進んできました。
一応、「こんな絵が見たい」という頭の中の想像図に近づける作業だったのですが、
描きすぎを改めてゆき、その人やモノの持つ輝きを出そうとすると
どうしても淡い仕立ての絵になってきました。
また、何が描きたいかを初めからわかっていたわけではなく
描いている内にその人やモノの芯からの輝きを描かなければ
頭の中の想像図には近づかないことがわかってきました。
その絵を見て、これは今までにない新しいジャンルにするべきだと
力説して下さる方があり、その方の命名でこの絵は「みずえ」となりました。
こうして、いつの間にか道は「みずえ」につながってきたのです。
回り道をしてしまった私は、誰もが子供の頃のような、
あるがままの輝きであり続けて欲しいと思います。
そんなメッセージをこめて、これからも1枚1枚の絵を描き続けたいと思っています。
絵をクリックすると大きくなります
皆さん、12通の手紙で私のひとり言につきあって下さってありがとうございました。
今回を持ってkodama便りは一旦終わらせていただきます。
でもこのページだけは始めてこのサイトに訪ねてこられた方に
見ていただけるかもしれないので、このままアップしておきます。
どうぞ皆様もお体に気をつけて明るく楽しく 今ここを生きて下さい。
あなたが、自身のあるがままの輝きであり続けることを願っています。
(kodama便りは、ずっと以前にこのサイトを始めたころ 2000.11.29.の文章です。
「みずえ」 の原点をご理解いただけるかと思い、その中の12便のみ残しました。)
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