いろんな人が言葉の重要性を書いていて、「ありがとう」は口癖にするように心がけています。
いろんなものに「あいしてる」「ありがとう」と言っています。
4歳児の心になれば抵抗はありません。
それに人がいるところでは聞こえないように言いますし・・・(ここでばらしてますが)
感情を込めなくてただ言うだけでいいそうです。
料理する時ずっと言っていると、食べ物は確実においしくなります。
冬になって天然酵母が起こしにくくなったのでイーストパンを焼いていますが、
イーストにありがとうと沢山言ってからは味が変わりました。
イースト臭さがまったく抜けて、天然酵母かと思うほどです。
ペットボトルには「ありがとう」と書いてありますし、
汲んだときにも「あいしてる」「ありがとう」と沢山声をかけています。
食べ物はなるべく良いものを心がけ、
からだのために添加物は入れないようにしていますが、
入っている物を口にするときはいつもより沢山「ありがとう・あいしてる」と言います。
(なんだかこう書くと感謝というよりは自分本位ですねぇ・・・笑)
ホ・オポノポノの本を読んでからは「ごめんなさい」と「許してください」も付け加えることがあります。
本を読んで頂かないと本当のところは伝わらないかもしれませんが、
「ごめんなさい・許してください」と言うのは外に謝ったり他に許しを請うのではなく、
ネガティブに見えてしまう現実を自分の中のものと捉えて
自分自身の中を癒して、外の状況を本当のスガタに還す為のコトバと私自身は捉えています。
他にも「感謝します」「ついてる」などいい言葉が沢山ありますね。
小林正観さんの書かれた「そ・わ・かの法則」だったと思うのですが
「ありがとう」を何万回も言うというお話が出てきて、
「ありがとう」だけでがん細胞を消したという方がいました。
その人はもっと沢山言ったらしいですが、普通でも大体2〜3万回位言うと
何か感じたりするそうで、たとえば家の中の物たちがありがとうと言っているのが
わかる様になったとか、突然涙があふれてきたとかです。
でも始め、回数を見て「えーっそんなにぃ?」と思いましたが、
ちょっと計算してみると、1秒間に一回として(2回くらい言えますが、少なめに見積もって)
60秒(1分)で60回、1時間で3600回、一日3時間言えば1万回は軽く越えるので
3日も言えば3万回以上になります。(もちろん感情は込めずただ言うだけでいいそうです)
やる気にさえなれば、食べてる時と誰かと話をしている時以外はずっと言っていられます。
そして、もちろん言霊のすごさもあるでしょうが、「下手な考え休むに似たり」と言うように
いつもあれやこれや考えている思考をちょっとお休みさせて、
「ありがとう」と言っていることで、自然に意識が状況ではなくコトバに集中して、
一種瞑想状態に近い感覚になり、滞っていた現実が良い方向へ動き始めるのかもしれません。
ボーっとして何も考えていないような時でも人は常に何か考えており、
一日に何万もの考えを浮かべては次々と移るそうです。
それが自分にとって良いことなら良いのですが、目に入ってくるもの、耳に入ってくるもの、
人や場所や物から受ける波長、テレビのニュース、新聞・雑誌、誰かの会話、
あらゆることすべてから気づかないうちに無意識に連想し、
それによって、膨大な潜在意識の中の記憶が立ち上がってしまうそうで、
その中にはネガティブなものもあり、気づかないうちにそれに囚われてしまうそうです。
たとえば病気を治したかったら病気のことは考えないのが一番早く治る方法なのだそうですが、
現実問題として今、目の前で、自分自身に起こっていることにどうしても思考が行きます。
「いやな現実」・・・それに頭がのっとられてしまう感じでしょうか。
「問題は解決するためにある」のですが、「解決」にではなく「問題」に意識の焦点を当ててしまう、
「いやな現実、問題」にがっつりフォーカスしてしまっているのです。
考えまいと思えば思うほど、どうしても考えてしまうという私たちの「思考」を説明するのに
「ピンクの象」のお話がありますが、「さあ、皆さん今からピンクの象のことだけは
決して!考えてはいけませんよ」というやつです。
こう言われるとかえってピンクの象が頭から離れなくなるのです。
このように何かを考えることから離れられない状況から
「ありがとう」と言い続けることや、下に書いた「笑顔」を無理やりでも作ってみるということが
状況改善、問題解決に役に立つのではないでしょうか。
現実を見ていたら現実を変えることはできない、
もしも現実を変えたかったら、方法はたった一つしかない、それは現実を見ないこと
現実を見ないのは逃避だと人は言うかもしれないが、
それは「創造」であって「逃避」ではない、という言葉がありました。
楽しく嬉しい時は良い言葉も笑顔も作れるけれど苦しかったりつらかったりすると
「今とてもそんな気分になれない」と笑顔も言霊も忘れてしまい、
「ピンクの象」のことをひたすら考え続け、
気に入らない現実を創造し続けているのかもしれません。
苦しくつらいとき、言霊や笑顔の力を借りて自分の現実を「創造する」事が
出来るのだとしたら、素晴らしいと思いませんか。
私はそう感じるので、いつもへらへらと笑いながら「ありがとう」などと言っています。
「ビョーキ?」と思われてもいいのです。自分のいま・ここが楽しいのが一番ですから。
自分のことしか考えていないようですが、
「私が幸せでいなければ世界にとって良くない」とまで私は考えています。
なぜならば「私が幸せでいるとき世界に貢献している」という言葉があります。
それはどういう意味かといいますと、人類の波動は、そして世界の現状は
一人一人の出している波動の集合意識を反映したものだというのです。
ですから、恐怖や不安に人々が動くとき、そのとおりの世界が実現するのだそうです。
ちなみに日本人は世界の集合意識に大変貢献していて、
日本人が地球上からもし一斉に居なくなると、
世界は一挙に魑魅魍魎〈ちみもうりょう〉の場・地獄になるという話も聞いたことがあります。
波動を見る海外の方が本で書いていたか言っていた話ですが、
日本人の一人として、なんだか誇らしく嬉しい気がします。
だから、丁寧で親切でやさしい、言葉のきれいな日本人でいたいと思います。
そんなわけで、私には自分を幸せな状態にしておく責任があると考えているのです。
私が幸せでいることは、私自身の「いま・ここ」と「未来」はもちろんのこと、
世界中の飢餓や戦争やテロや悲しみを変えてゆく一番の近道ではなかろうか、
私はそう感じてノウテンキな私を生きることにしています。
飢餓や戦争やテロや悲しみは私も嫌いです。
けれどそこに意識を集中し、それを「憂う」とき、その現実を長引かせてはいないでしょうか。
現実を変えるには現実を見ないで、いい気分で居ることが大事だと私は信じます。
だから山の中に住んでいても、人ごみにまぎれた都会の片隅にいても
世界の現実を変えてゆくことが出来るのでは?
世界を憂う、日本を憂う、経済や環境を憂う、事件や災害を憂う、
そして身近なところでは、自分や誰かの状況や病気を憂う、
それはもちろん、すべて「優しさ」からでしょう。(あるいは恐れから?)
でもこれまで長い長い時代、そうやってきて結局何も変わってこなかったのですから、
やり方を変えてみる事も試してみたらいいのでは・・・・?
どんなことも、初めはたった一人から始まるのではないでしょうか。
さて、ちょっと語ってしまいましたが、今回はツール紹介の流れという事で、
表現者としてはやっぱり絵で語ることができたら嬉しいです。
「こだまなくらし」のなかに言霊を書いたカードの印刷用画像をアップしましたので
興味のある方はどうぞ行って見てください。
こだまちゃんの癒しカード また、コトダマの中でも特に「ありがとう」はパワーがあると感じるので、
その「ありがとう」で詩を書いてみました。
ありがとう
|