チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第11章

源で感じる@

感じることの純粋性


YouTube録音動画

  

録音後書き換えもしています


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの、「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

再統合」「アセンション」と言われているもの・・・それは、

自らの内なる源(神・全体)との統合を、あなた自身で体感してゆく過程であり、

 

そのためには、分離・極性・時間・空間といった、この世界の幻想を超越し、

それらの幻想によって、あなたが自己の純粋イシキに付け加えてきた、

あらゆる情報や記憶を手放し、変容させ、解放し、

 

あなた自身で、内なる源(神・全体)の「ただ在る」ことを体感し、

あなたの「感じる」ことから、「知っている」状態へと、

自分自身を開いてゆくことが必要となってきます。

 

しかし、この次元には上記したような幾つもの幻想がある上に、

「コトバ」という媒体を使ってそれらを伝えるために、

そこには、限定や矛盾ができてしまう場合が多いのです。

 

「コトバ」でしか伝えられない次元で、

「コトバ」では決して現すことができないものを伝えるのですから、

わかりにくい、理解しにくい上に、

そこには、チャネリングやスピリチュアルの落とし穴・・・と言えるものもあります。

 

例えば、「再統合」や「アセンション」が何なのかを、

文字やコトバや文章でいくら語ったとしても、

あるいは本などで情報をたくさん読んで、知ったつもりになっていても、

 

実際に自分自身の体感や実感・・・あるいは、経験や体験が伴わないものであれば、

それは「絵に描いた餅」でしかないでしょう。

 

また、「再統合」や「アセンション」の方法を伝えている情報だったとしても、

伝えられたモノを、もしもあなたが試してみなければ、

実際に自分自身の体感や実感・・・あるいは、経験や体験が伴わないのですから、

それもやはり「絵に描いた餅」でしかないでしょう。

 

私たちは、あなたが実際に、私たちのお伝えするこれらの情報を試して、使い、

あなた自身で体感や実感・・・あるいは、経験や体験をして、

それを食べることの出来る「本物の餅」にしていっていただきたいと思っています。

 

そして、そのためには、情報を「コトバ」や「頭」や「考え」や「常識」で理解しようとせずに、

あなたの「感じること」を大切にして、

あなた自身のフィーリングやセンセーションを通して、

 

私たちのお伝えする全てを、あなたの内なる源で感じ、精査しながら、

アソビの感覚で、試し、使い、進んでいっていただきたいと思っています。

 


感じることの純粋性

 

さて、あなたが自らの内なる源(神・全体)を感じ、そこにイシキの焦点を当て続け、

ただ感じる」ことを続け、またその「ただ感じる」ことを居心地の良いものにする為に、

自らの内なる源(神・全体)との不協和音をもたらすものを、手放し続けてゆくと、

 

あなたのイシキは少しずつ分離や極性を離れ、

あなた本来の「ただ在る」・・・「知っている」といった純粋性へと移行してゆきます。

 

一方、「ただ感じる」ことをあなたが「コトバ」や「考え」にする時、

それは、この世界の分離や極性の影響を受けることになり、

そこにはどうしても判断・評価などが内在するために、

それらを単に、この次元の「コトバ」や「考え」に落としこんで、落ち着かせてしまうことになります。

 

これは決して、判断や評価が良くない・悪い・・・と言っているのではありません。

ただあなたが感じたフィーリング(波動)を両極に振り分けることで、

高波動を低波動へと変換しているということ・・・、

そしてもちろん、高波動が優れていて、低波動が劣っているのでもなく、

ただ、そのことを知っておく・・・ということです。

 

それは・・・、「ただ感じる」ことでもたらされた、純粋な高い波動を両極に分断し、

現実(幻実)世界の、「社会イシキ」という低い波動へと変換することによって、

その度ごとに・・・、あなたが立ち返ろうとしている、あなたの内なる源(神・全体)から、

自らを、この現実(幻実)世界に引き戻していることになる・・・のです。

 

ですからどんなことも判断・評価しないことです。

そして、「ただ感じる」ことを自分自身に許すことです。

 

実際、感じないようにしている人は多いものです・・・、

その場合、感じてもいいのだとまずは自分自身を解放することです。

方法は同じ、・・・その「考え」を呼吸と共に手放し続けることです。

また感じたことを、コトバにしようとする習慣や癖も手放し続けることです。

 

現実(幻実)を超えてゆく・・・というのは、

この世界の「コトバ」という媒体では表現できない、

「ただ在る」ことを「知っている」という状態に「成りゆく」旅・・・です。

 

そしてそれは、決して外を捜したり、出かけたりする必要もなく、

あなたの日常の小さなひとコマ・ひとコマを使って、

あなた自身の「ただ感じる」ことから入ってゆくことが出来る・・・、

しかし、壮大で深遠な旅なのです。

 

その壮大で深遠な旅では・・・、あなたの日常の小さなひとコマ・ひとコマの、その全てを、

あなたにとって「いい感じ」「居心地の良い感じ」にしてゆくこと・・・、

そのために、あなた自身で「嫌な感じ」「居心地の悪い感じ」にちゃんと気付いて、

・・・自分の感じているものにイシキ的に成って・・・、

手放し、変容させ、解放し続けることが大切です。

 

誰も「嫌な感じ」「居心地の悪い感じ」にいるのが好きな人はいないはずなのですが、

実際には、とても多くの人が自分の好まない感情感覚をしっかりと握りしめ続け、

決してそこから出てこようとはしません。

 

悲しみ・苦しみ・後悔・不安・・・たくさんの感情感覚を現すコトバが、この世界にはあります。

それらは本来、その人がそうしようと決めさえすれば、

手放すことが出来る、変容出来る、解放出来るのにもかかわらず、

また、その方法も、チャンスも目の前にあるのにもかかわらず、

 

多くの存在が、様々な感情感覚を握りしめ、抱きしめ・・・、

あるいはその感情感覚自体に同化し、埋没し・・・、

そして、その感情感覚に翻弄されて・・・、

この世界での極から極への体験・経験を繰り返してきました。

 

実に、その感情感覚への同化や埋没や翻弄こそが、

あなた自身の人生の・・・、多くの存在の・・・、そして世界の・・・、

混乱の原因となっている・・・と言えるのです。

 

そして、あなたもまた、無イシキの内にそういった感情感覚に、

居続けることを選んでいる事も多いのではないでしょうか。

 

そんな時は、呼吸と共に手放し続けて、

あなたの内なる源との不協和音を和音に変え続けてゆくことです。

これは、第6章の手放し方や、あなたが知っているどんな方法でもかまいません。

そして常に、あなたの内なる源との和音を感じられるように、自分自身で波動調整してゆくことです。

 

実際に波動調整は、あなたというイシキ存在が、

自分自身で選択しない限りは、出来ないのですから・・・。

(一時的に共鳴などによって影響を受けることはあります、

しかしどの波動に留まるかは、常にあなた自身の選択なのです)

 

そして、あなたの内なる源との、その和音の感覚を、ただ感じ続けてください。

「コトバ」にもせずに、ただ「感じること」を、自分自身に許し続けてください。

 

ではちょっと、食事の時にこんな実験をしてみてください。

あなたが、おいしいと感じる食べ物を口にして、「おいしい!」と言ってみる・・・、

次にもう一度同じ物を口にして、先ほどコトバで表現したのを今度は

あなたの源から、自己全体のフィーリングやセンセーション(感覚・知覚・感動・氣など)として

ただ感じて」みる・・・、

 

さて、どちらがどうだったと判断や評価・分析などはしないことです。

もしも違っていたなら、「ただ違う」ことを体感してゆくことです。

これは、他の様々なスチュエーションに於いても、・・・例えば自然を使って・・・などで、

実験することができますので、どうぞ試してみてください。

 

・・・「感じること」は純粋です。

それはあなたを高く精妙な波動へと少しずつ誘い、

あなたの「再統合」・「アセンション」を加速してくれることでしょう。

 

またそれは、あなたの使われていなかった脳を少しずつ開き、

もっともっと「感じること」を加速させながら、もっともっと脳は開放され、

それらがお互いに影響し合いながら続いてゆくでしょう。

 

あなたが本当に良い気分でいる時、あなたは実際に内なる源と共鳴し、

その高い波動や波長を感じることで、和音を味わっているのです。

 

どうぞ、その共鳴和音を、感じて、味わい、

その共鳴振動を、また感じて、味わってください。

 

すると、あなたがそれを味わうほどに、

あなたが感じたその高い波動は、やがてあなたの体験や経験としてやって来るようになり、

あなたは実感として、それを体感してゆくことが出来るようになるでしょう。

 

ですから、源に居続けること、源で感じ続けること、

判断・考えを手放してゆく事を続けるほどに、

それはあなたの内から、あなたの全体へとやってくるのです。

 

もちろん、それは一歩ずつ進むことです。

焦ること(焦燥感)、慌てること、責めること(罪悪感)、不安、などは

あなたの内なる源と共鳴し、和音を味わうことにはならない・・・ということが

あなたにはもう、感じることができるでしょうか?

 

あなたが自己の純粋イシキに、

これまで付け加えてきたものを手放し続ける道のりでは、

どの位の感情感覚の放出・変容・解放が必要かも・・・、また自己の進み具合も・・・、

 

自分の背が伸びるのを自分では見られないように、

あなた自身では、見ることはできないものなのです。

 

・・・しかし安心してください。

あなたが、あなた自身の日常の、自分の「感じること」を通して、

自らの源と波動共鳴し続けることをコツコツと続けることで、

 

あなたは、自分自身を純粋なイシキ状態へと・・・、

源へと・・・、神へと・・・、必ずや連れて行っているのです。

 

やがてあなたは、「ただ在る」存在に・・・、

全てを「知っている」存在に・・・、「成りゆく」のです。

 

すべてはあなたの想像(創造)です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・


追記・・・人との関わりの中に於いては、私たちが、いま、しているように

「コトバ」という媒体を使うこともあり、ただ素直に「コトバ」にしたいと思うこともあるでしょう。

そんな時はどうぞそうしてください。

私たちは表現するのを止めなさいと言っているわけではありません。

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