チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第59章


0に成る

★光のゲートをくぐるワーク


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

さて、第41章・すでにかけていたメガネ・・・で、以下のようなことをお伝えしました。

 

・・・「扉の前まで行くには、私たちのお伝えしたきたような知識、

あるいは、様々なスピリチュアル情報など)が必要だったかもしれませんが、

その扉の向こうに行くには、それらすべてを置いて行かなければならないことも、

今回から少しずつお伝えし、準備をしてゆきたいと思います。

(このことを、まず彼女(kodama)にわかってもらう為に、

今回チャネリングを少しの間お休みして、様々な方法で伝えました)・・・」

 

そこで今回は、その時に・・・「彼女(kodama)に様々な方法で伝えた」、

・・・そのことから、まずお話を始めましょう。

 


私の体験・kodama

 

もうだいぶ前だったので、細かいことは忘れてしまったのですが、

「チャネリング」の、ヒラメキやインスピレーションが来る感じが突然止まったので、

始めは不安になりながらも、「まあ、いいや・・・他のことをやろう」・・・と切り替えました。

 

そして、普段出来なかったことをやっておこうとして、

突然、「そうだ、以前書いたノート類を整理して捨てよう!」と思いつきました。

 

それはもう何年も前のもので、本を読んで気になったコトバやフレーズ、

文章などを書き写しておいたもので、まだ「引き寄せの法則」などの

コトバも世に出ていないころのものでした。

しかし、ぜんぜん読み返すこともなかったので、もう必要ないと思ったのです。

 

そして、棚から一冊出してページを開き読んでみると、

「あっ、これだ!」というヒラメキが来ました。

 

それは、誰の何という題名の本なのかわからないのですが、こんな一文でした。


静かにし、自分や神が何者であるかという「思考」を横に置きなさい。

 

世界について学んだあらゆる概念も

自分に対する自己イメージも

何にもしがみつくことなしに。

 

過去が教えた「考え」は、一つとして持ってこないように。

 

そして以前に学んだどんな信念も、この世界も、この講義も忘れ、

自分の内なる神のところに、両手を完全に空にして行きなさい。

 

ただ、そうするだけでいいのです。

 


読んだ途端に、「これは私の真実だ!」というセンセーションを感じました。

 

しかし、その時はまだ、そのことが「やがて、すべてを置いて行かなければならないことを、

伝えるための準備」・・・であることもわかっていなかったのです。

 

それでも、棚から一番始めに手に取って、

一番始めにぱらっとめくったページがこれだったのですから、

「なんかある様な気がする」・・・という予感のようなものがあり、

同時に「どういうことなのか、もっと知りたい」・・・と感じました。

 

しかし、どこを捜していいのかも良くわからなかったので、

とりあえず、読んでなかった情報を読み進めようと思いました。

 

それは、私がこのチャネリングの波動調整の方法として、

いつもリスニング形式で聞いていた、

イエスが再び語った・・・「心身の神癒」という本の、


 心身の神癒―主、再び語り給う


チャネリングをした著者、M・マクドナルド・ベイン氏が、

イエスとのチャネリング交霊界をするに至るまでの、

 

ヒマラヤ入りと、冒険あり、恋愛ありのチベットの旅の行程、

そして多くの大使たち(ヒマラヤ山系で活動する不思議な存在たち)との、

教え・講和などをまとめた本でした。


解脱の真理

 


キリストのヨーガ

 


そして実はこれらの本も、欲しいと思っていた他の、

全ての本(ヒマラヤ聖者の教え全5巻など・・・)の全ページを、

書いて配信しているサイトに導かれ、

皆さんにその内シェアするためにリンクをかける予定だったのが、

ある日見たら全削除されていた・・・、そのサイトの中にあったのでした。


 

さて、本題に戻ります・・・、

こうして、とりあえずは読んでなかった情報を読み進めようと思い、

これらの本を録音しながら読み進めました。

 

始めの一冊「解脱の真理」は、まるで冒険活劇のようで、

著者が様々な困難に遭いながらもチベットの山越えをしたり、

山賊に襲われそうになったりと面白く、

 

「キリストのヨーガ」の方は、不思議な大使方の「解脱」に関するお話がたくさん出てきて、

難しかったけれど、読み進めて行く内に、

「情報を全て置いてゆく」的・・・なお話が、そこかしこにたくさん散りばめられていました。

 

たとえば、キリストのヨーガ・第8章「記憶という名の虚妄」の中では、

全てが記憶であり、これまでずっと、その「記憶」に囚われて生きてきたこと、

その記憶を持ってしては真理には到達できないこと、

 

「すでに語られたモノ」の中には真理はないこと、

故に(・・・手っ取り早く言ってしまえばですが)、自己体感するしかない・・・

ということなどが、大使方によって語られてゆきます。

 

そして、これらを読み終わったころに、第41章・すでにかけていたメガネでの、

・・・「扉の前まで行くには、私たちのお伝えしたきたような知識、

あるいは、様々なスピリチュアル情報など)が必要だったかもしれませんが、

その扉の向こうに行くには、それらすべてを置いて行かなければならないことも、

今回から少しずつお伝えし、準備をしてゆきたいと思います。

(このことを、まず彼女(kodama)にわかってもらう為に、

今回チャネリングを少しの間お休みして、様々な方法で伝えました)・・・」

 

・・・といった、メッセージがガイドからやってきて、

「いまはまだよくわからなくてもいいから、やがては全てを置いてゆくんだな」と

ただ「知っていること」・・・・と伝えられたのでした。

kodama


熱愛

 

全ては神で在り、全ては愛で在る・・・と聞かされ、

またその神の愛とは「限りのないもの」・・・だと聞かされても、

この世界のコトバというもので、それは量ることは不可能なことです。

 

何故なら「限りない」ことを、コトバという「限りある」もので表現しようとするとき、

そこには必ず限定が含まれてくるから・・・。

 

故に自己体感するしか無いのですが、

それには、一旦すべての情報(概念や教えなど)を置かなければならないことは、

これまで何度もお伝えしてきたとおりです。

 

全体(源・神)の、体験する個(神・あなたや私たち)に対する、

コトバを超えた「無限の愛」・・・、

 

それが一体どの位のものなのか、

あなたは自分の「実体験として感情として知りたかった」・・・ということを、

お話・「迷想の森」の中でもお伝えしました。

 

迷想の森」より・・・

「人間のカラダにイシキを移し、幻想世界の「迷想の森ゲームで、

全体と自己のあらゆる側面」の様々な概念を

実体験として、感情として、「知る」・・・

また、それによって「源イシキ」が拡大し続ける・・・

という新しいゲームは、

「光イシキ」とって、とても素晴らしい体験でした。」

 

・・・では、この「全体と自己のあらゆる側面」の中から、

例えば・・・上記の「愛」について取り上げてみましょう。

 

さて、それを「この世界を体験しているコトバで量ることは不可能」

・・・と書きましたが、それは、あなたはこれまでまったく体感できていない、

迷想の森ゲームは無駄だった・・と言っているわけではありません。

 

実際あなたはこれまでも、様々な場面で、それを感じていたのです。

 

それは、ほんの一瞬だったかもしれませんが、

あなたは確かに、全体(源・神)のコトバを超えた「無限の愛」を

知っていた・・・、知っている・・・、知った・・・、はずなのです。

 

それは例えば・・・、親としてその両手に幼子を抱きしめたその瞬間に・・・、

幼子であった時にひたすら親を追い求めたその瞬間に・・・、

恋をした時に、相手のことを想ったその瞬間に・・・、

小さなものたち(ペットや花など)への愛を感じたその瞬間に・・・、

自分や他に対して無限の高揚感を感じたその瞬間に・・・、

 

しかし、人間の記憶情報には様々な囚われや限定があるために、

それらは一瞬の内に「執着」や「恐れ」や「死」や「不足」などの記憶に侵入され、

純粋なものでは無くなってしまったことでしょう。

 

例えば・・・「この子を失ったらどうしよう、守らなければ」

・・・「よりどころを失いたくない」

・・・「この人と別れては生きては行けない」

・・・「自分がめんどう見てあげなくては」

・・・「そんなこと無理かな」・・・などとして、

 

それはいつもあったけれど、あなたにはそれが見えなかった・・・

それはやって来ていたけれど、あなたはそうとは気付かなかった・・・、

それは感じたことがあったけれど、あなたはそこに長くはいられなかった・・・、

 

しかし、その一瞬にあなたが確かに感じていた、

「全てをかけてもいい」・・・と感じるほどの「熱愛」ぶりは、

確かに、全体(源・神)の、体験する個(神・あなたや私たち)に対する、

コトバを超えた「無限の愛」・・・、と「似ていた」・・・、のです。

 

全体(源・神)の、体験する個(神・あなたや私たち)に対する、

コトバを超えた「無限の愛」・・・

それをもしも・・・、敢えてコトバにするならば、

まさしく「全てをかけて」・・・の「熱愛」ぶり・・・とでも言えるでしょうか。

 

(・・・もちろん、これはコトバとしての限定でしかなく、それぞれの自己体感なので

似て非なり・・・見たかぎりでは似ているが、実際は全く違う・・・かもしれないのですが・・・、)

 

全体(源・神)は、コトバを超えたその「無限の愛」で、

あなたの全ての体験と経験、体験の場とシチュエーション、

あなたの精密なカラダ、そして決して批判することも限定することもなく、

壮大なる自由意思の元、あなたの求めとイメージ・想いによって、

それそのものに成り続けてゆくのです。

 

その全体(源・神)の、「全てをかけて」・・・の「熱愛」ぶり・・・を、

ほんの一瞬だけではなく、あなたが本当に感じ続けるためには、

人間の記憶情報の様々な囚われや限定を超えて行かなければなりません。

 

そうしなければ、これまでの様に、全ては一瞬の内にそれらの記憶に侵入され、

あっという間に、純粋なものでは無くなってしまうのですから・・・。

 

そして、0に成らなければ・・・、空っぽに成らなければ・・・、

その他の・・・「全体と自己のあらゆる側面」・・・を感じるときも、

常に記憶情報に侵入され、それを純粋に感じ続けることは出来ず、

 

また、それらの記憶情報によって、あなたという「個の神」も、

「全体の神」も現れてくることは出来ないのです。

 

しかし、それ・・・0に成る、空っぽに成る・・・は、

記憶喪失になるわけでも、何かが無くなる、あるいは出来なくなるわけでもありません。

(例えば、チャネリングやヒーリングなども含めた全て)

 

ですから恐れを手放してください、・・・それに、恐れる必要などまったく無いのです、

・・・それはただ単に、空港の手荷物検査のようなものだと思って下さい。

 

手荷物検査を受けても何も失うことは無いはずですよね。

(もちろん密輸品や、武器や、麻薬類は取り上げられますが・・・

しかし、これは例えですから・・・笑)

 


光のゲート

 

さて、私たちは、彼女(kodama)との共同創造でワークを創りました。

 

すべての情報を置くことは、ほんとは「ただ置く」だけでも良いのですが、

そこを超えるひとつの「きっかけ」として、

このワークを、あなたに使ってみていただきたいと思います。

 

そしていま一度、彼女(kodama)が見つけた文章を

あなたの源で感じて読んでみてください。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

静かにし、自分や神が何者であるかという「思考」を横に置きなさい。

 

世界について学んだあらゆる概念も

自分に対する自己イメージも

何にもしがみつくことなしに。

 

過去が教えた「考え」は、一つとして持ってこないように。

 

そして以前に学んだどんな信念も、この世界も、この講義も忘れ、

自分の内なる神のところに、両手を完全に空にして行きなさい。

 

ただ、そうするだけでいいのです。


光のゲートをくぐるワーク

 

あなたはいま、現実世界でもたらされた、

たくさんの記憶や情報を手にして

道の途中までやってきました。

 

するとそこには、大きな「光のゲート」がありました。

 

それは、遠くからはまったく見えなかったのに、

近くまでやって来ると、初めて見えるようになる、

不思議な光で創られた、輝くゲートでした。

 

あなたは、ここで記憶や情報といった全ての荷物を置くことになります。

そうしなければ、「光のゲート」をくぐって

道の向こうへと進むことは出来ないからです。

 

「全ての荷物を置く」・・・ことを知って、あなたは少し不安になりますが、

良く見るとゲートの脇にはベルトコンベアーのようなものがあって、

 

あなたが置いた荷物は自動的にゲートの向こう側に運ばれ、

無くなってしまうことも、取り上げられることもなく、

いつでも自由に使うことが出来るようです。

 

ただ自分自身だけは、一旦は、ゼロに、空っぽに、手ぶらに、成ることが、

そこを通り抜けるために、どうしても必要なことのようです。

 

ちょっと迷ったあなたは、これまで来た道をもう一度振り返ってみます。

すると、いまのあなたは、かつては感じなかったような解放感や至福感を、

少しずつ感じることが出来るように成っていて、

 

この道を来たことは正しかったと思えるし、

後戻りして今の自分を手放してしまうのは、

やはり望まないことだ・・・ということもわかります。

 

あるいは、このゲートをくぐらずに、

いまから違う道を捜すことも出来るかもしれないけれど、

それも違っているような気がしています。

 

そして再び、「光のゲート」を見上げると、

もしもこのゲートをくぐってその先を行けば、

きっとさらに素晴らしいことが

訪れるような予感さえ感じられてきます。

 

そこにはあなたと「光のゲート」だけで、他には誰もいません。

そこで、あなたは自分のそのフィーリングだけをガイドに決心をします。

 

あなたがそう決心をすると、

あなたの目の前には荷物を容れるための箱が現れます。

 

あなたは、これまでずっと自分を助け、

また自分をこのゲートにまで誘い、導き、連れてきてくれた

これまでのあらゆる記憶、全ての情報を、

そこに次々と容れて、置いてゆくことにします。

 

自分や神が何者であるかという思考

世界について学んだあらゆる概念

 

自分に対する自己イメージ

・・・人間としてのゲーム上のキャラ

パーソナリティーやアイデンティティー

 

また、人に対するキャラ・パーソナリティー設定

 

過去が教えた考え

学んだ信念

 

・・・人間としてのゲーム上のアイテム

導きの声が聞こえる貝(私たちガイドが伝えたこと)

自分教の教祖

 

この世界のこと

・・・人間としてのゲームのコントローラー

 

それらすべての記憶や情報を

あなたは箱に次々と容れてゆきます。

 

そして、あなたは

自分の内なる神のところに、両手を完全に空にして

「光のゲート」に足を踏み入れてゆきます。

 

その一瞬、あなたの全身には、

光のシャワーが、あふれるように降り注ぎます。

 

ゼロに、空っぽに、手ぶらに、成ったあなたは、

全てを光で満たされてゆきます。

 

そして、あなたはいまゲートをくぐり抜けました。

 


※補足・・・記憶、情報などを、次々と容れて置いてゆく・・・とき、

手放す時にしたような動作をつけた方が良い・・・と感じられる場合はそうしてください。

 

それは、例えば、ボールやおにぎりや玉のように丸めたりまとめたり、

あるいは思いついたものから次々と容れてゆく動作など、

また一気に全てをまとめて容れるなど、

あなたがイメージしやすく、やりやすい方法を創って行ってください。

 

また、容れる箱もあなたの好きなイメージで創ってください。

それは海賊の宝箱のようなものでも、大きな袋でも、木の箱でも、

あなたがイメージしやすく、容れやすいモノを創って行ってください。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、これはひとつの「きっかけ」であり、このワークをしたからといって、

あなたが自分の投影宇宙に映し出されるものに、

まったく抵抗感を感じなくなくなるかどうかは、人それぞれでしょう。

 

さらに、イシキの深いところまでの浄化が始まる、

あるいは促進されることもあるかもしれませんが、

どうか、落とし穴に落ちないで手放し続け、進んでいただきたいと思います。

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共にただ手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・


YouTubeに録音してアップしました。

 


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