チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」

Q&A


質問5

苦手を克服する方法


「もう私はどこに行っても、何があっても大丈夫!」

…と思って、幸せになるためにここに来たのですが

幸せな反面、私の苦手な人や物に囲まれるという環境でした。

そして、今現在までの私は苦手な人や物を避けるという方法でしか自分を守ることができません。

そうしているうちに、苦手なものや人から去っていくという形になって、

だんだん身の回りが綺麗にはなってきたのですが、

どうしてももう一つ…もう一人克服したいと思っています。

大好きな主人のお母さんがとっても苦手なのですが、

距離をあけるという現状に疑問を感じていて、何か他に方法があれば教えてください。

それとも、これでいいのですか?メッセージをお願いします。


解答


ご質問いただき、ありがとうございます。

 

さて、行ったり来たりしながらも徐々にクリアに成り続けている・・・、と知ること、

そして一気には波動を変えられないのだから、それで良いのだ・・・と知ることです。

 

そして、たとえ一瞬であっても「もう私はどこに行っても、何があっても大丈夫!」と

あなたが思えたこと・・・、その瞬間のあなたのその「内なる感動」こそが、

まさに大切なのであって、・・・それこそが、あなたの源が発動した瞬間・・・、

心が震える、琴線に触れる、などとも表現されますが・・・であるのです。

 

その後、様々なことで戻ってしまったと感じたり、

「苦手な人や物を避けるという方法でしか自分を守ることができない」という様に、

自分をもどかしく思ったりすることもあるでしょうが、それはそれで「全てはうまくいっている」のであって、

自分が徐々に変化していることが、いまはまだ見えないだけなのです。

 

しかし、もうすでに、あなたの変容シフトは始まっていて、

「そうしているうちに、苦手なものや人から去っていくという形になって、

だんだん身の回りが綺麗にはなってきた・・・」

というように、あなたのオリジナルな認識宇宙は変化し続けているのです。


さて、前置きが長くなりましたが、本文も長くなりそうです。

(注意深くお伝えしていますが、今後の書き直し、言い足しもあるかもしれません)

 

さて、「苦手な人やモノに距離をあける」という在り方、

それは個々の選択(自由意志)であり、実はそれでも構わないのですが、

あなたは、いま、その現状に疑問を感じていて、何か他に方法があれば・・・」と思っていることから、

あなた自身がもう一歩進む時が来て、またもう十歩も百歩も変容シフトしよう・・・としているのでしょう。

(また、あなたのその、知りたい、進みたい、わかりたい、ということが、

全体のさらなる変容シフトへと繋がり、質問によって答が存在できるのです)

 

それは、全体の波動上昇と、あなた自身のこれまでの変容シフトによって、

あなたのまとう波動は、すでに以前よりも高くなって来ていて、

精密と成ったそのチップにとっては、ほんの小さなホコリでさえもが大問題と成って、

パソコン全体をフリーズさせてしまうからなのです。

 

ですから、あなたの投影宇宙がその小さなホコリの全てを、

「苦手な人との関わり」という状況を使って、

それらを、まさに、いま、手放させんとして役立とうとしてくれているのです。

(※投影宇宙・・・自分の内なる囚われや観念が映し出される、今後詳しくお伝えする予定です)

 

さて、このこと(・・・小さなホコリの全てを手放させようとする)は、これからどんどん加速してゆきます。

故に、あなたにはもうイヤな気分でいる自由(笑)・・・は無いのだと御承知おき下さい。

 

これまでは、「苦手な人や物を避ける、距離をあける」・・・といった方法をとることで

あなたの気もすんで、問題も解決してきていたのが、

徐々に疑問に感じ、何か他に方法がないか・・・、と思い始めたのも、

いまのあなたには、たとえ小さなことであっても、そのことは以前よりもっとあなたをイヤな気分にさせ、

ちょっと思い出すだけでも、大問題に感じられるように成ってきているからではないでしょうか。

 

あなたにとってはもう、いつでも自分にとって良いことだけに焦点を合わせ続けるか、

あるいは手放し続けることで、すべてをただ「在る」ものとして見るようにならない限り、

全体がフリーズするほどの大問題を引き起こすのです。

 

こんな小さなことが何故こんな大問題に感じられるのだろうと驚くことさえあると思います。

それは、あなたはもう精密チップに成ったからなのです、ホコリは一切まとえないのです。

 

しかし、大丈夫です、ただ手放し続けるだけです、朝も昼も夜もただ手放し続けることです。

 

さて、結論はもう書きました、あなたはこれで解ってくださったでしょうか?

この先は全てその為の理由の説明となりますが、

あなたが楽しく喜んで、「手放し続ける」覚悟を決めていただく為の、

そして、無限なる源が現れんとして呼んでいることに気付いていただく為の、

指針としてお受け取り頂きたいと思います。

 


イエスのパーソナリティー


39・死を超えるF人生の十字架 でイエスのお話をしました。

イエスが十字架の道を選択したのは、様々な効果を考えてのことでした。

そして、ページでは触れませんでしたが、その一つには、

イエス自身の「パーソナリティーを手放してもらうため・・・、という理由がありました。

 

イエスは身近な人や弟子達(弟子とはいってもみな偉大な聖者と成っています)が、

彼ら自身の恐れと疑いを超え、死を超え、また愛と許しを知り、

そしてまた、イエスのパーソナリティー(幻影・イメージ)を手放すことによって、

彼らが再統合・アセンションすることを目指し、「十字架の道」を選択しました。

 

そしてそれは実際にそう成って、彼らは様々なことを超えて、

イエスのパーソナリティーを手放し、後に再統合することが出来ました。

 

さて「パーソナリティーを手放す」というのは、「自立する」というのとも少しニュアンスが違います。

イエスは、このままでは弟子達の誰ひとりとして再統合が出来ないことを悟り、

その理由の一つには、彼らが持つ「イエスというパーソナリティー」に対する

限定と囚われ、イメージの固定化、が原因であることが見えました。

 

イエスは、ずっと側に居たいけれど、イエスが側に居る限り、その「イエス」という存在ゆえに、

彼らが限定と囚われ、イメージの固定化から解放されないことが見えたので、

一旦カラダを離れて(十字架にかかって死んで)から、復活してみせ(蘇って)、

それらのことを全て伝えながら、後々までもずっと彼らと共に、救済の道を歩んだのです。

故にただ単に、彼らを置き去りにすることで自立を即した・・・というのとも違うのです。

 

さて、この場合の「パーソナリティー」は「幻影」「イメージ」「偶像」などと言い変えることが出来ます。

 


偶像崇拝


キリスト教に於いては偶像崇拝を避けるように言われてきました。

それはイエス自身がその様に言っているからなのですが、

それは何故かというと、主な理由としては「外にあると想って」、「外を追い求める」、ことになるからです。

 

偶像があれば、その「見えるカタチ」に寄りかかってしまう、

偶像が在ることが、内に在ることを「遠くさせる」、・・・のです。

 

それは、また、その偶像があることで、神やイエスといった存在の

パーソナリティーの限定と囚われ、イメージの固定化が始まるからであり、

彼・彼女自身の成長拡大の芽を摘み、自らの内に在る無限なるもの(源・神)

を見ようとしなくなる、すでにかけているメガネを見つけられなくなる、・・・からなのです。

 

そして、内に在る無限なるもの(源・神)と繋がり始めなければ、幻想を超えて見ることが出来ず、

故に、全てを外に見ている限り、分離の幻想はいつまでも続き、こうして輪はめぐり、元に還る、

そんな堂々巡りの輪にハマリ続ける(まるで輪廻転生のように)・・・ことになるのです。

 

自分の内に在る無限なるもの(源・神)を体感し、自分自身で掴むには、

全ての有限なる偶像(パーソナリティー・幻影・イメージ)から来る、限定と囚われ、

イメージの固定化を手放すこと(ゼロになること)がどうしても必要となるのです。

 

前述したイエスが目指したものとは、

そういった堂々巡りの輪にハマリ続ける弟子達に、イエスの偶像を手放してもらい、

彼らの内に在る無限なるもの(源・神)を体感し、彼ら自身で掴む・・・ことでした。

(これは誰もが自分で知るしかない、イエスであっても代行は出来ない・・・)

 


全ては偶像と知る


さて、イエスの弟子達がイエスのパーソナリティー(偶像・イメージ)を持ってしまったように、

全ての人は、他人やモノに対する偶像を創り続けています。

それは、ここが「見える領域」であるがために、そうなりやすい(見える偶像が出来る)のですが、

それでもその自分が創った偶像が、次の自分の体験を固定化し始めるのです。

 

苦手な人からの電話一本で、あなたの波動が変わります。

(それまで、たおやかだった自分の波動領域を変化させ低く振動し始める)

それは、たとえスガタの見えない電話であっても、

あなたはすでに彼・彼女の偶像を創っていますし(イメージを固定化している)、

 

また、相手が誰かわかったと同時に、その人とのこれまでの体験で味わったイヤな感じや気分を、

一気に総動員して、「用心」という結界をまといます。

しかし、「用心」は結界にはならず、体験を呼び込む「ラッパ」(パンパカパーン)となって、

逆に、あなたを同じような体験、またはもっといやな体験へと誘います。

 

あなたはまた、その体験によってその人の偶像に重ね着をさせ、それは甲冑のように重く厚くなり、

さらなるイメージの上塗りをしてそれは何層にもなります。

そして、あの人はやっぱり「こういう人」というように、偶像はもっともっと固定化され、

あなたが決めたその限定と囚われによって、また次の体験がやってくるというわけです。

こうして輪はめぐり、元に還る、そんな堂々巡りの輪にハマリ続ける

(まるで輪廻転生のように)・・・ことになるのです。

 

彼・彼女を苦手としてしまった堂々巡りの輪の始まりの「きっかけ」は一体何であったのか・・・、

それには実は様々な要因が在るのですが、そんなことは「どうでもいい」とまた言いましょう。

 

「きっかけ」は何であれ、あなたは常に、あの人は「こういう人」で苦手、

この人は「こういう人」で大好き、といったように、

他に対する偶像(イメージ)を創り、固定化して持ち続けることによって、

イエスの偶像(パーソナリティー)にハマッた弟子達のように(良いも悪いも同じです)

堂々巡りの輪にハマリ続けているのです。

 


偶像を手放す


しかし、それらは全てあなたが手放すことが出来るものです。

そして手放すことで得られるものは、単にその人との関係性の変化だけにとどまらず、

予想を超えて、はるかに大きいのです。

 

私たちは、「幼子と成って、ただ花のように在れ」とお伝えしました。

 

それはまた、ワンネス成ること、無限で在ること、限りない自由、愛、喜びで在ること・・・です。

無限とは「枠組み」や「くくり」の無いこと、「イメージ」や「偶像」の無いこと・・・です。

もしも、そこに何らかの「くくり」(イメージや偶像による決め)が存在するとしたら、

それはもう無限ではない・・・ということになります。

 

偶像(イメージ・パーソナリティー)による固定・限定・囚われが、

幼子と成って、ただ花のように在る」・・・その在り方と、「無限が現れる」ことを、

妨げ、遠のかせ、あなたは、無限の成長拡大に乗ってゆかれない・・・、のです。

 

そこで、あなたの体験する宇宙(投影宇宙)は常に、

あなた本来の「無限なる状態」を現さんとして(それは、すでに在って現れていないだけ)、

あなたの中にまだ残っている囚われがあることを見せようとしてくれている・・・、

そして、右足は左足の為に「苦手な人」となって見せてくれる・・・、のです。

 

分離は幻想で、本当は全てがソースなるもの、自分自身であって、その根っこは同じです。

それは、一本の大きな木にある、たくさんの葉っぱのようなものです。

ある葉っぱは太陽に当たってキラキラ光っている、ある葉っぱは日陰になって暗く見える・・・、

 

それを見て、あなたは「あの葉っぱは苦手」・・・、「あの葉っぱは大好き」・・・、と考える、

しかし、それらはあなたが決めてしまった幻影(イメージ・偶像・パーソナリティー)であって、

全ては、ひとつなるもの(源・神・大いなる全体)が、いろんな葉っぱと成って現れているに過ぎません。

 

あなたが神だからこそ、常にあなた自身が最大の味方となり、敵ともなる、のです。

そこには壮大なる自由意志があり、誰もそれをコントロールできないのです。

しかし、もうそれをコントロールしようともしないで、ただ手放すだけで良いのです。

 

すでに、これまであなたは、自由意志コントロール、イメージコントロール、して

苦手な人や物を避ける、距離をあけるというやり方で、

ポジティブシンキングや良いモノだけを見よう、としてきたかもしれません。

 

しかし、あなたはもう、ホコリは一切まとえない精密チップに成った・・・のですから、

たとえ距離をあけたとしても、その小さな違和感が、今後ますます、

全体がフリーズするほどの大問題となってゆくのです。

 

手放し続けることで、すべてをただ「在る」ものとして見るようになることです。

そして、悪いものも良いものも手放して、ゼロになることです。

そこには無限が待っている・・・、のです。

 

あなたが見ているオリジナル認識宇宙の全ての他人が自分だとして(実際にそうなのですが)

その宇宙の在り方を変えられるのは、あなただけです。

 

また、全ての人が同じ源の兄弟姉妹だとして、わかった人から手放すことを始めなければ、

堂々巡りの輪にハマリ続けることを、いつまでも止めることは出来ません。

 


ただ手放そう

・・・そして良いと思うものも、

★手放し方


囚われに気付いて手放すときに、人のことを良く思わなくっちゃとか、良い人に成ろうとしなくていいのです。

大いなる源に近づく為に、何かに成ろう、在ろう、とする必要はないのです。

自分は限りない愛、自由、喜びだと聞いて、限りなく在ろう、無限に成ろう、としなくてもいいのです。

 

それは、「足し算」ではなく、「引き算」なのです。

あなたが、この「見える次元」で幻想によって創り足してきたもの(・・・良いも悪いも)を、

引き算して、あなた本来のスガタ・・・大いなる源を現すといった感じです。

(そしてそれには無数の引き算の方法・・・手放し方があるのであって、

私たちがお伝えするのはその中の一つでしかありません)

 

あなたはすでに源で在り、神で在る・・・と知って下さい。

あなたはすでに無限で在って、限りなく在る、そしてそれが現れるために、

ただ「手放すだけ」・・・と知って下さい。

 

そして、出来るならば恐れずに「大好きなもの」も手放すことです。

それは決してなくなったり、悪くなったりはしません。

イエスの弟子達がしたのは、まさにそのことでした。

彼らは心から慕い、尊敬し、愛し、求め続けたイエスを手放して始めて、無限を手にしたのです。

 

彼らは再統合出来たのはもちろんのこと、今もずっと心から愛するイエスと共に、

人類の覚醒のために動いたり、また自分自身の素晴らしい永遠の冒険を楽しんでいます。

まさに、良い幻影を手放したことで永遠・久遠を掴んだのです。

 

手放せば手放すほどに、必ずもっと素晴らしい体験が待っている・・・、

無限はコトバの通りに無限であって、あなたの冒険は限りなく永遠・久遠に続くのです。

 

弟子達がイエスの偶像を手放したように、あなたも全ての偶像を手放して

あなたの内に在る無限なるものを体感し、自分自身で掴む・・・ことです。

誰もあなたの変わりに掴める人はいないのです。

 

★手放し方

 

どんなものも手放せると知ってください。

それはまるで子供だましのように感じられたとしても、

あなたは実際にエネルギーを動かして、自分の波動を変えているのです。

 

呼吸と共に手放します。

どれも「ひとつずつ」やります。

今、持っている、恐れ、疑い、囚われ、執着、苦手な気持ち、好きな気持ち、の

いずれか「ひとつ」を胸の前で丸めてみましょう・・・、

それはお団子でも、おむすびでも、球のようなものでもいいのです。

 

吐く息と共に、手の平と両手を広げて、手放します。

何度かやってみましょう、何度もやらなければ手放せないような、

大きなエネルギーになってしまったものもあります。

けれど、諦めずに手放せば、必ず感じ方が変わります。

 

何度かやってしばらく時間を置いてから、その手放したことをもう一度感じてみて、

それが、薄くなっていたり、軽くなっていたり、無くなっていたら、上手くいっています。

エネルギーが完全に変わるまで(幸せな感覚に居られるまで)、徹底して手放しておきましょう。

(精密チップはほこりをまとえない・・・のですよ・笑)

 

また、電話や出合う場面でまだ抵抗があるとわかった時は、その場でも手放します。

その時は普通の呼吸で、動作が無くてもイメージだけでやりましょう。

(変な人にならないように・・・笑)

 

また、私たちのこのやり方にも決して縛られずに、

あなたは「美しき神」なのですから、あなたの方法を編み出して良いのです。

もしも、もっと上手く行く方法があったらどうか教えてください、お待ちしています。


イエスの愛

イエスの愛を放射する(送る)


さて、例え話として、イエスと弟子の方々にご登場いただきましたが、

今度はイエスを実際に体験させていただきましょう。

 

イエスが、弟子の方々や人類に強烈なパーソナリティーを与えてしまったのは、

イエスが見せた、その無限の愛ゆえでした。

イエスは、幻想の中でさ迷い、いまはまだ「自分が神」だとは思えない人々が、

イエスを通して神(源・大いなる全体)を見出すことが出来るようにと、

人々や弟子達を、自分自身と見て(分離していないことを示すため)その無限の愛で包み、

様々な奇跡や行い(弟子達の足を洗ったりもした)をしました。

 

あなただってもしもそんな人がいてくれたら、きっと大好きになっているとは思いませんか。

しかし、もしもあなたがそうと気付けば、イエスはいまもまだその無限の愛で、

あなたが、イエスを通して神(源・大いなる全体)を見出すことが出来るようにと、

あなたをいつでも助けてくれているのです。(時間も空間も分離も無いのです)

 

ですから、あなたがもしも苦手な場面や人の前でフリーズしそうになったら、

そんな時は呼吸で手放すと共に、イエスの愛を感じて、

下記の「イエスの愛を放射する」ことを試してみて下さい。

 

しかし、あなた自身が「美しき神」なのですから、やがては、イエスの弟子達がしたように、

イエスのパーソナリティー(イメージ・偶像)からも自由になることを、どうか忘れないで下さい。

その時は、上記の方法で手放しましょう。

(これは誰もが自分で知るしかない、イエスであっても代行は出来ない・・・

それは、あなた一人で立って内を見なければ掴めない感覚、

そしてそれが掴めた時、あなた一人ではなく全てが在ること、無限、永遠、久遠が見えるのです)

 

イエスの愛を放射する(送る)

 

「イエスの無限の愛」、それはどんな感じでしょうか。

あなたのイメージでよいのです、まずは、それを感じてみてください、感じようとしてみてください。

 

苦手な場面や人の前に来たら、あなたのハートにこの「イエスの愛」をイメージしてみましょう。

そして、その人たちのハートに向かって、あるいは周り全体に、その「イエスの愛」を放射(送り)します。

あなたのハートから相手のハートに、「ポン」と送る感覚です。

 

これはいつでもやっていいのです、関わる人全てに「イエスの愛」を送ってもいいのです。

また、離れている人(苦手な人・愛する人、知っている人・知らない人、助けたい人etc.)に

送ってもいいのです。イメージの中でその人を思い浮かべ、上記と同じようにして送ります。

やり方は、あなた自身で「良い感じ」が掴めるように、臨機応変、創意工夫してみて下さい。

 

やがて慣れてきたら、「イエスの愛」と「あなたの愛」を混ぜて送ったり、

「あなたの愛」を送るのでもいいのです。


大変長くなりましたが、あなたが変容シフトするチャンスと感じ、お伝えさせていただきました。

美しき神なるあなたの内から、無限なる源が現れますように・・・。

ありがとうございました。

 

ガイドより


質問者

 

私は精密チップなんですね!何だか嬉しいです。

成長したということなのですね。

確かに、自分の周りがクリアになるにつれて、いろいろなことが見えてきたような気がします。

またいろいろなことに対する、競争も欲もほとんどなくなってきました。

今日から手放し、愛を放射することを、やってみます。

尊敬できる人が欲しいのに、いない…と思っていたのですが、きっとそれすら必要ないのですね。

今現在の段階の悩みが、ほとんど解決できるような気がします。ありがとうございます。

実は、東北大震災の日に今までに経験したことのないような頭痛を感じ、それは1日で治まったのですが、

しばらくして今までとは違う腰痛がずっと続き、どうやっても治らず、

生活の悪いところを全て正そう!と頑張っています。

それは、きっと自分が精密チップだということに気づいたからだと思います。

少しのズレも許さない体なのですね。きっと…。


カラダの変化と調整法

★声をかける★波動を共鳴させる

 

カラダの変化に関しては以前お伝えしましたが、

今現在の、急激な波動の変化(あなた自身と全体)に合わせてゆこうとして、

カラダは一生懸命調整しようとしているところです。

それは、痛みとなって現れることも多く、多くの人は原因不明の症状に不安を抱えてしまい、

それがもっとカラダに負担をかけてしまいます。

 

ですから、カラダが今、一生懸命頑張ってくれているのだ・・と知ることは、

あなたの役に立つかもしれません。

あなたの場合は自然療法もご存知なので、調整法も自分で見つけられると思いますから、

不安を手放して(お伝えした方法で)クリアにしておけば、良い方法に導かれると思います。

 

思いついたらなんでも挑戦してみることです、自分の中の「いい感じ」を指針にしてください。

そういったこともまた、たくさんの存在が、色んな方法であなたに伝えようとしていますから、

それがわかるようになるためには、リラックスとクリアです。

 

この急激な波動変化に合わせようとしているカラダの調整を助けるために、

私たちからお伝え出来ることは、体の細胞や内臓などに声をかけるという方法です。

いつでも出来る時でいいですから、「ありがとう」などと声をかけながら

カラダをなでたり、さすったり、マッサージしたり、揉んだり、洗ったり、してみて下さい。

その時、細胞や内臓などに話しかけるような感覚でやることです。

 

また、手の平から波動を共鳴させることもやってみると良いでしょう。

横になってリラックスした時などに、左右の腎臓やお腹の上に両手を置いてみましょう。

 

このとき何か(波動など)を送ろうとしないことです。

「手の平から波動を共鳴させる」と書いたため、伝えよう、送ろう、としてしまうのですが、

ただ手を置いて、体の内をイシキして、その「感じ」を「内観」し、静かに見つめていることです。

(自分で、この感覚を掴んでいってください)

・・・・・・・

「尊敬できる人が欲しいのに、いない…と思っていたのですが、きっとそれすら必要ない」

とあなたは書かれました。まさにその通りであり・・・、

まずは自分を心から尊敬できるようになること(愛していることを知る事)、しかしやがて・・・、

あなたが様々なことを超えてゆくと、全ての人が「尊敬できる人」に成ることでしょう。

 

そうして、私たちは今、あなたを尊敬しています。

美しき神なるあなたと分かち合えたこと、

あなたの質問によって、答が導き出されたことに感謝しています。

 

ガイドより


質問者kodamaの掲示板にて)

こだまさま☆彡こんばんは。

2回の質問にお答えいただいて、本当にありがとうございます。

不思議なことがあったので、ご報告いたします。

1回目の質問をしてガイドさまより答えをいただいた翌日に、お客様で83歳のおじいさまが、

肺気腫で酸素吸入をしながらとても辛そうにご来店されました。

そして…「もう、死にたい…」と言われたのです。

私にとって、必要なことが「死を超える」ということでした。

早速、私に神様から問題が出た…と思いました。

今までの私なら100%「そんな寂しいこと、言わないでください…。」と言ってしまうところを、

「そうなんですね…。痛くて辛いのですね…。」と言うことができました。

心の中で「死んでも死なない」と唱えながら…。

そして、いろいろ話して下さいました。

ひとつずつ、自分を成長させていけるような気がしました。

本当に今、支えになっています。ありがとうございました。

まだまだ、読み足りていないのでしっかり読んで勉強させていただきます。

これからも頑張ってください。


kodama

励ましのお言葉とても嬉しく受け取らせていただきました。

ありがとうございました。

自分の絵に役立てようと、軽い気持ちで始めたチャネリングが、

私をどんどん深いところに誘ってきて、予想もしていない展開に驚きながらやってきましたが、

今はその時期も過ぎて、大変幸せな気分でいられるようになりました。

 

見えないながら、一歩ずつ進んでみて良かったと思いつつも、

未だわからないことだらけで、時にはどうしたらいいのかまったく見えない時もあります。

(でも、決して「解らない・・・」と口にせずに「知っている・・・」と

ブツブツ言いながら他のことをしてアソンでいます・・・誰も居ない所で・・・)

 

そして、答がやって来てそれがすっきりとわかって、文章にも出来た時の爽快感は、

答が来たのにもかかわらず、

「こてぇらんにぃ(会津弁)・・・こたえられない・・・表現のしようがない」といった感じで、

「やみぃらんにぃ(会津弁)・・・やめられない」=もっと続けたくなって、いつのまにかここまできてしまいました。

 

「読み足りていないかも・・・」という一文で、私の方こそ「書き足りていないかも・・・」しれませんが、

それでも、それが少しでもお役に立っているのなら本当に嬉しい限りです。

そのことを私に教えてくださって本当にありがとうございます。


 

さて、いつもそういった何かがあるのですが(質問の前に答が来ている)、

今回のシンクロは特にすごかったので、皆さんが今後挑戦するかもしれない

「チャネリング」のためにもお役に立つそうなので、(ガイドからそういうイメージが来ました)

ちょっと複雑になりますが書かせていただくことにしました。

(忘れないうち、新鮮なうちに今書いておいて・・・というイメージも来ています)

 

これはご質問を頂く2日くらい前のことです。

朝、同居人(左脳派・思考タイプ・男性)に電話がかかってきました。

電話を取って、相手が誰かわかると彼の波動・波長が変化するのが感じられました。

(そういう能力が初めからあったわけではありません、けれど何故かその時は解ったのです)

 

彼の話し振りから、「あの人か、この人か・・・」という予想がついた私は、

電話を切った後、「波長が変わったね、結界を張った感じが伝わってきたよ」と言いました。

「そうだね、対世間に於いては用心しなくちゃならないこともあるからね」と言い、

その時は、笑いながら「そうかもね・・・」と軽く受け流しました。

 

翌朝起きると、そのことに対するチャネリングがやって来て、

それが「イエスが十字架の道を選択したひとつの目的・・・

身近な人々、弟子達にイエスのパーソナリティーを手放してもらう」や、

「全ては自分が創った偶像崇拝(良いも悪いも)であって、

そのイメージの固定化によって次の体験を引き寄せている」など、

上に書かせていただいたような内容でした。

 

これは、その内にページに書くことになるかもしれないけれど、

とりあえず、彼の昨日の電話に関連するので、

忘れないうちに話しておこうと思って、彼に話しました。

 

話の筋がちゃんと通っていれば、理解力と受け容れ能力のある人なので、

(以前は違った、私が色々手放すことで変わってしまった)

「なるほど・・・」と言って腑に落ちたらしく、自分なりの新たな発見も添えてくれました。

 

そしてその翌日にご質問が来たので、「おお、またシンクロってるし・・・」などと思いながら、

「ねぇねぇ、すごいよ、昨日話し合ったことを今日質問して来た」と言ったら、

「そうやっていつもシンクロしてくると、だんだん当たり前になってやがて驚くこともなくなるね」

「かもね・・・、そして、昨日あなたに話したことだからきっとすぐ書けるね、」

などと言いながら、ページを書き始めましたが、それがどうして中々まとまらなくて、

すぐに出来ると思ったのが、何が何だかまったくもって、わからなくなってしまったのです。

 

「書けたか〜い」という彼の問いかけにも、

「いや〜何が何だかまったくわからなくなった、頭ごちゃごちゃだから止めた」・・・私、

「そりゃ、たいへんだねぇ〜」・・・彼、

そこで、午後は休んで庭仕事などしながら「からっぽ」になりつつも、

「いつになったらわかるのだろう」・・・と不安にも思いましたが、

そのまま、バックバーナーにかけておくことにしました。

 

翌日、彼が田植え手伝いに行った先で、農業指導員を長年してきた人に、

「根っこ」の話を聞いてきて、感じるところがあったと色々話してくれました。

 

また、その翌日は夕方遊びに来た人(女性)が、「アリを見た」話をしてくれて、

そのアリは自分の付けた臭いを追って、植木鉢の縁回りを何週もしていて、

「目的は何かな、それとも何週もしてるってことが自分では俯瞰できなくて

解らないのかなって言いながら、それを眺めていたんだ・・・」とのことでした。

 

さて、翌朝ようやく答らしきものがやってきたのですが、

しかしそれは全部がすっきり解ったという感覚ではなくて、(一部チップのあたりはわかったのですが)

私がどこで迷ったのか、何が解らないのかが見えてきた、問題がわかった・・・、

そしてその答は、論理的に考える彼にいますぐ聞いてみよう!!!・・・というようなものでした。

 

こんなことはまったく始めての事だったので驚きましたが、

早速彼に「何がわからなくて書けないかがわかった、

どう繋がるのかがまったく見えない、・・・」と言ったら、

 

何故か今回、一連の流れを全て共有していた彼は(今回だけで何時もは違うんですよ)、

 

質問

物語・ストーリー

(わかりやすい例え話・比喩などを使った、これは無限にある)

解決の方法

(手放す・他を見るなど、これも無限にある)

(これは常にひとつ・無限の状態・源・神・全体のイシキ)

 

といった構図を示しながら、

「農業指導員の人の根っこ」の話から、

「分離は幻想で、本当は全てがソースなるもの、自分自身であって、その根っこは同じ、

それは、一本の大きな木にある、たくさんの葉っぱのようなもの」

といった一文のヒントを示し、また

 

「自分の付けた臭い(イメージの固定化)を追って、

植木鉢の縁を回っていることが俯瞰できないアリ」の話から

「あなたが決めたその限定と囚われによって、また次の体験がやってくる、

こうして輪はめぐり、元に還る、そんな堂々巡りの輪にハマリ続ける」

といった一文のヒントを示してくれました。

 

こうして、様々なところからやってきた全てのお話が繋がって、今回の答と成り、

ご質問から三日目に料理が仕上がったのでした。

 

そしてまた、

「そうやっていつもシンクロしてくると、だんだん当たり前になってやがて驚くこともなくなるね」

と言ったのが、「そうかい・・・じゃあ、こんなことやってみたけど、どうかな〜」という、

ガイドのお茶目な一面も感じられて、何だか笑えてしまいました。


 

さて、質問者の方の「私にとって、必要なことが「死を超える」ということでした。」という一文から、

私の体験をシェアした方が良いとのことだったので(ガイドから)、

そのことについて少しお話させていただきます。

 

チャネリングには、大まかに分けて、アンコンシャスチャネリング(無意識状態になってする)と

コンシャスチャネリング(イシキがはっきりしてする)があるのですが、

私の場合、こういった文章にすることなどから、コンシャスチャネリングに分類されるのですが、

この場合、自分がそれを納得していないと、抵抗があって書けない部分があります。

 

私もずっと「死ぬのは当たり前」と思ってきた人で、(多少は飛んでいるタイプではありますが)

世界中が今はまだそういった「常識」にある真っ只中で、自分が「死なない」と決めるのは、

難しく感じられた時期がありました。

 

そんな私が、「なんだか嘘っぽいなぁ」・・・と思いつつ、「死なない」・・・などとは書けないので、

「死を超える」ページを書くだいぶ前に、ガイドから本の情報をもらってそれらを読んでゆく内に、

その内容に、始めはさすがにぶっ飛びましたが、その内にだんだんと「ありかも・・・」と成ってきて、

 

やがて「私の選択が大事」っていうんだから、別に害もないし、

誰かれ構わずに言って歩かなくても良いのだからそう決めるか・・・くらいな感覚で、

「私はもう死なない」・・・と決めることにしました。

(しばらく留守をしていて帰ってきた同居人は、「ねぇ私、もう死なないことに決めたんだ」と軽く言ったら、

ぶっ飛びましたが、彼もその後それらの情報を知って、今では、死なないと決めているようです)

 

さて、前置きが長くなりましたが、この本を全巻(1〜5巻)打ち込んで

配信してくれているサイトに導かれたときは、「やった〜、なんてすごいんだ!」って思いました。

それらは、今後「チャネリング」のお話の時に、リンクを貼らせて頂くつもりでしたが、

何故か今日見たら(一昨日くらいまではあった)、残念ながらページとサイト自体が、無くなっていました。

 

そこで、Amazonからのリンクを貼っておきますが、

1〜3巻が体験談で、4〜5巻はまとめのような形になっています。

1964年くらいのアメリカの探検隊の方が書いた本で、古い本ですが、内容はすごい体験です。

 

 

 

 

 


質問者kodamaの掲示板にて)

 

私も何となくシンクロを感じることはよくあります。

実は、質問してみてなかなか答えがないな…と思っていて、

次にパソコンを開いて、答えがなければ恥ずかしい質問を

したんだろうな…と思って、質問を消去しようかな…と思ったら、

すごい答えが返ってきたのでびっくりしました。

そんなに悩ませていたなんて、申し訳ないです…。けど、そのシンクロは凄すぎですね!

今がきっと私がこうやって、ずっとずっと悩んできた答えを教えてもらう時期だったのですね。

感謝しています。答えを知ると、いろんなことが見えてきますね。


kodama

 

朝起きてから、簡単にお返事しようと思っていたら、ガイドから色々伝わってきました。

今回は、時間・空間・分離の幻想(それが無いこと)を見せる・・・こともあったそうです。

それは見て下さっている皆さんと(・・・これはいつもそうですが)、

このことを共有した私たちみんなへのメッセージでした。

 

「遠く離れていてネットの中だけでしか知らない、・・・(空間幻想

お互い顔も見たこともない人たちの、・・・(分離幻想

ある人がこれからしようとしていた質問の答が、その二日前に、・・・(時間幻想

別々の色んな所から、いろんな時に、いろんな人に来ていた、・・・(空間幻想・時間幻想・分離幻想)、

ということが、皆さんには見えたでしょうか。

 

あなたたちみんなが、体験を共有して、「いま・ここ」に在る

そこには、分離・時間・空間はなく、それらは全て幻想なのです」

・・・とのことでした。

 

また、「恥ずかしい質問は無い、たとえ答が来なくても、「答はありません」とでも言わない限り

消さないで待っていてください」・・・とのこと。

 

質問者の方が消そうかと思っていた寸前に、答が書かれたのも面白いですね、

ガイド達は「時間が足りない、忙しい、用意が大変」・・・などということはないのでしょうが、

だから、私たちみたいに焦ったりはしないのでしょうが、色々あったのかもしれませんね。

(私たちみんなも、いつかは、そういったことを体感するのかもしれません・・・

「その通りっ!」・・・っていま言っています・笑)


 

そしてまた、下記のことのイメージが来ました。

 

チャネリングに付いては、上にも書いたように、

いまもまだ、五里霧中どころか、百里霧中と言った感覚なのですが、

(五里霧中・・・深い霧の中で方角がわからなくなってしまうこと。手さぐり状態)

いまよりもっと(千里霧中だった)始まりの頃の私の決意・選択と出来事を、

もう一度(かつてアップして引っ込めた)出しておいたほうが良いそうなので、再リンクをしておきます。

 

・・・kodamaからのお話とお願い・・・

チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」・・・のはじまり



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