チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」

「こだまなくらしサークル」のヒビキ



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第30章

永遠の「いま」B

★「好みの創造」の指針


YouTube録音動画

 


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

 

さて、前章でお伝えしたように、あなたという存在が、

分離や極性といった幻想世界の中で、良いモノと悪いモノとの両方を体験し、

そこから来る様々な感情を味わう為には、この時間幻想の「タイムラグ」が役立ちました。

 

そうでなければ、ほとんどの人は、体験の途中でカラダを死なせてしまったかもしれません。

この幻想の「時間」が、「タイムラグ」・・・時の緩衝帯として機能してきたからこそ、

あなたは、いまも、これからも、ここでの感情体験が出来るのです。

 

しかしいま、昔の感覚と比べて時間がどんどん早く過ぎる気がする、実現化が早い、

シンクロニシティー(共時性)がよくある・・・、と感じている人も多くいることでしょう。

それは主に、あなたが高い波動を選択してゆくに伴い、

この「タイムラグ」も徐々に短くなって来るからです。

 

そして、全体の波動も確実に上がってきている為に、

時間の加速と共に、「タイムラグ」は全体としても短くなり続けるでしょう。

 

時間が加速すれば、速やかに実現するのです。

・・・もう、分離幻想を使っての分離感情を、

「感じている暇などない!」のです。

 

だからこそ、日々あなたの感じる 分離感⇒統合続けることです。

その感情を強く握りしめているのは、あなたに他ならないのです。

 

現実世界の中で体験するあなたは、様々なことを感じることでしょう。

あなたは周りを見て、このような事件や出来事が起こっているから・・・、

あの人がこういう人だから・・・、こう言われたから・・・、こんなことをされたから・・・、

だから、自分はこのように感じるのだ・・・、と思うかもしれません。

 

人は常に目の前に見えること、体験していること、周りで起きることに反応します。

そして、「こうだから、こう感じる」・・・と言うでしょう・・・しかし実際はそうではない、

もしもその存在が、その波動を選択しない・・・選ばなければ

例えどんなことが起きようとも、恐れや不安、不足や心配などとは共鳴しないのです。

 

酷いことが起きたとき、人は「みんなはそんな目にあっていないから、

こんな気持にならないだけだ」・・・と言いたくなるかもしれない、

そして、自分にどんなに酷いことが起きたか、

自分はどんなに傷ついたか、同意や共感を求めたくなるかもしれない、

 

・・・けれど実際には、「反応」や「気分」、そして「波動」は選択出来るものであって、

どんな「反応」「気分」「波動」を選ぶかは自分で決められる、

・・・そして、誰もが実際に決め続けているし、

ずっと決め続けてもきたのです。

 

もしも、同じ目にあったとしても、全ての人が、

同じように「反応」するとは限らないのではないでしょうか?

もちろん、中にはもっと激情する人もいるかもしれないけれど、

あなたの周りにも、おっとりした人・おとなしい人・受け容れることや気分を変えるのが上手な人

きっぱりと決定を変えられる人など、様々な人がいることと思います。

 

けれど、あなたが感じたことを責めるのも、また無意味です。

それは、幻想の中でのあなたの選択と決定によって、いまは、ただ・・・そう見えている

・・・そしてあなたは、自分の選択と決定によって、その見方を変えることが出来る

 

あなたが、どんな理由にせよ、自分の好ましくない感情を感じてしまったのなら、

あなたの本質との「分離感」と共鳴する「波動」が、

その出来事によって、いまこそ露呈・放出されようとしてきた・・・、それは、あなたの

イシキの分離感統合へと誘うために出てきた・・・のです。

 

起こることには本来、良いモノも悪いモノもありません、

しかし、あなたにとって体験したいこと、したくないことは、きっとあるはずです。

ですから、あなたが「時の加速で速やかに実現する」のを避けたいのなら、

好ましくない感情や想いは、速やかに変容させ続けてゆくことです。

 

分離が極まで行ったとき・・・統合が始まるのです。

伸び切った弓の弦は、一気に的へと向かうのです。

地球と人類全体のイシキが、分離から統合へと向かうこと・・・、

それは、もう決定していて、もうすでに始まり、あなたは、その真っ只中に居るのです。

 

・・・そしてまた、あなたは「いま・ここ」に、誰かに送り込まれたのでも、

無理やりやらされているのでもない、

何故なら、分離は幻想であり、全てはあなたなのですから。

あなたに何かをやらせることが出来る存在は、あなたしかいないのです。

 

そしてあなたは、自分と分かれて見える、他の個の助けを借りながらも、

自分にはそれが出来ると、決めていた(決定してきた)のです。

 

それともあなたは、偶然に、この時代に、この場所に生まれ、

その中で、何とか自分を立て直そうとしている存在なのでしょうか・・・?

あるいは、混沌の世界に放り込まれて、修行をさせられている存在なのでしょうか?

 

全てのことと同様に、あなたが「どういう存在なのか」・・・、

本当は、誰にも決めることはできません。

それはいつでも、あなたが自分自身の「感じること」を通して

自分自身で「決めるのです。

 

実際にはあなたは、これまでも、自分とは「どういう存在か」・・・

それが、誰かの「カテゴライズ」を受け容れていたとしても、

すでに、いつでも、ずっと、無イシキの内に自分で決め続けてきたのです。

 

そして、どちらにしても自分で決めるのであれば、

これからはもうイシキ的になって決めること・・・です。

 

・・・そうし続けてゆくことが、

あなたのエンパワーメント(自分のパワーを取り戻すこと)と成り、

そのエンパワーメントによって、更なるイシキ的選択と決定を続け、

あなたが、あなたを目覚めさせてゆくのです。

 


タイムラグを通過する


では、お話を「タイムラグ」に戻しましょう。

あなたが手放したり、気分を変えたりすることで、

あなたの好みではない現実創造を変化させたとして、

・・・一旦は創造しようとしたけれど、結局は創造されなかったその現実は

どこへ向かう、あるいは行ってしまったのでしょうか。

 

それは、タイムラグ」の間に抜け落ちて、全体に還った

・・・と言うことが出来るでしょう。

 

さて、これまで私たちは、「望みの現実創造」については、

それだけを取り上げて、詳しくお伝えすることをしてきませんでしたが・・・、

この「タイムラグを通過する」ことが、

あなたの「望みの現実創造」の最も大きな難関になっているという点から、

「好みの創造」の指針についてお伝えしてゆきたいと思います。

 

・・・あなたが、人間(個)を体験する源(全体・神)として、

ただただ、愛や喜びや自由を感じながら永遠に生きることが、

この地球次元の現実世界を創造した目的でした。

分かれたかのように見えることで、始めて、様々な体感が可能となるからです。

 

あるときから「分離」ゲームに入り込んだままになったのですが、

それはさておき・・・、何でも欲しいモノやことを望み、実現し、体験することは、

あなた本来の在り方ですし、私たちにそう言われなくても、あなたはもう、すでに、

一瞬一瞬創造し続けていて、それを止める事など絶対に・・・、決して・・・、出来ないのです。

 

そして、それがたとえどんなモノやことであれ、何かを望み、実現し、体験することは、

決して悪いことではありません・・・かといって、良いというわけでもありません。

 

さて、こう書いたのは、この現実世界の創造にだけ気をとられてしまうと、

あなたは、自己の本質の目的である、全体への再統合(アセンション)を忘れ、

この現実世界で、成功したり、お金持ちになったり、有名になったり、美しくなったり、

あるいは、恋愛関係、住居、土地、様々な物などを得る事に、夢中になることがあるからです。

 

私たちは決して、それらのことが、「いけない」・・・と言っている訳ではありません。

どれもあなたが体験してみたいのであれば、そうしてかまわない・・・、

また、人類に「悪」と言われているどんな事であろうとも、あなたがもしも望むならば、

壮大なる自由意志のもと、あなたの源(全体)は、その全てに成ってくれることでしょう。

(ただ、人にすることは全て自分に還ってきます・・・

分離は幻想であり、人が人にすることは自分にすることだからです・・・)

 

しかし、私たちがこうしたメッセージを通して、本当にお伝えしたいこととは・・・、

もしも、あなたが全体に再統合し、アセンションと言われているものを成し遂げれば・・・、

(これは、どこかを目指すのではなく、あなた自身の波動の分離感⇒統合させ続けることで、

すでに、常に、永遠に、そうで在ることを、あなたが実感・体感すれば・・・というイミになります)

 

この現実世界を創造した本来の目的である、

あなたが、人間(個)を体験する源(全体・神)として、

ただただ、愛や喜びや自由を感じながらこの世界を楽しみ、

また自分が永遠の存在だということも知ることになる・・・、

 

やがて、何でも、全てが、すぐに、出来てしまう・・・、

いまの現実世界で求め、満たされるモノやことなど、まったく比べ物にならないほどの、

これまで人類に奇跡や神秘と言われてきたことでさえ、

なんら奇跡でも神秘でもないこともわかり、当たり前のことになる・・・、のです。

 

あなたは本来、永遠で無限の存在であって、

何にでもなれ、どこへでも行かれ、何でも創り出すことが出来るのです。

何からも、誰からも、離れていなくて、その全てに瞬時にアクセス出来、

誰に教わらずとも、何を学ばずとも、すでに完全な、「全てを知っている」存在なのです。

 

そして、あなたがそのことを知る(見る・わかる・思い出す・気付く)には、

分離した自分のイシキを、自分で統合させ、

自分の体感を通し、自分で知るのです。

 

私たちは、あなたに感じてみていただきたいのですが・・・、

人類の胸の奥には、ふるさとを恋する、ある深い情があるのではないでしょうか?

それは、切り離された・・・と感じている、源(全体・神)の存在であり・・・、

自分は、広大な宇宙の中にたった一人、取り残された幼子のように感じている・・・、

 

ゆえに愛を求め、夢や希望を求め、安全や安心を求め・・・、

もしもこの現実世界で、自分が何か大きなことを成しとげさえすれば・・・、

もしも、何かを手に入れて自分の望みが満たされさえすれば・・・、

もしも、誰か他の人に心から愛してもらえさえすれば・・・、

きっと、満足や安らぎが得られるに違いない・・・と思い、

 

あれからこれへ・・・、これからあれへと移って行く・・・、

ある者は家や土地を欲しいと望み・・・、ある者は巨万の富を望み・・・、

ある者は愛してくれる誰かを望み・・・、ある者は成功や名声を望む・・・、

 

しかし、これらのものを追い求め続け、たとえそれを手に入れたところで、

その深い胸の奥の、「いま・ここ・の自己」に、「内なる平安」がない限り、

結局満たされるものではない・・・ということを、思い知らされるだけではないのでしょうか?

 

確かに「一時の満足」は得られることでしょう。

しかし、たとえ「一時の満足」が得られても、やがてそれらは必ず過ぎ去り、

この過ぎ去り続ける「一時の満足」を追い求め続け、

 

人は、次こそはきっと永遠に満たされるに違いない・・・と、

次なる創造・・・次なる創造・・・へと奔走し続けてゆく、

・・・そして、実際に奔走し続け・・・いまも、奔走し続けている・・・のではないでしょうか?

 

それは、自分こそが、そして見えるもの見えないもの、その全てが、

源(全体・神)であったことを、認識し、理解し、体感してこそ癒されるものであり、

その他の何ものをもってしても、人類は癒されないこと・・・、

それを・・・、あなたは感じることが出来るでしょうか?

 

胸の奥に巣食うこの「渇き」こそが、

源(全体・神)を求め続ける、人類の魂の叫びなのです。

 

そして、偉大なる何かを求める気持を通じて、神という概念を創造し、

様々な名前を付けて、様々な顔を持たせ、

自分自身の内以外のところを、かつても、いまも、探し続けて来たのです。

 

しかし、それはあなたの内に、ずっとずっと・いつもいつも・永遠に息づいていた・・・

だからこそ、あなた自身を探求することこそが、あなたにとっての最高の旅なのです。

 

この「内なる統合」という旅を通して・・・、

本当の自己を知る・・・本質の自分に成る・・・、

源(全体・神)とひとつで在ることを知る・・・源(全体・神)とひとつに成る・・・こと、

・・・それは、人類が悠久の時をかけ追い求めてきた、心からの憧憬なのではないでしょうか?

 

源(全体・神)を知る・・・本当の自己を知ること

・・・それは、まさに永遠の生なのです。

 

そしていま・・・、あなたと人類は、分離から統合へと向かい、

その永遠の生を生き始めようとしているのです。

・・・あなたは、それを感じることが出来るでしょうか?

 

ですから、創造の原理・・・、ここには、諸刃の剣とも言えるモノがあります。

【諸刃の剣(もろはのつるぎ)・・・両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、

自分をも傷つける恐れのあることから、一方では非常に役に立つが、

他方では大きな害を与える危険もある・・・ということのたとえ・・・】

 

好ましい現実を創造し、満足することは素晴らしいことですが、

それに執着し、失うまいとすれば、逆に失うこととなり、

又失うことなく保ち続けても、それに縛られれば、内なる平安は淀(よど)むのです。

水は流れればこそ清くあり続け、そこに留まってしまえば、必ず濁るでしょう。

 

そしてこれまで、多くの存在が幻想世界の中で、

その自分の創造したモノやこと、他と見える存在への執着や抵抗(愛や憎しみ)ゆえに、

また命への執着ゆえに、自己を死にゆくものと定め、信じ、決めることで、

全体へと帰還することを見失い、幽界(霊界)と言われる世界と、幻想の現実世界との、

輪廻転生・・・という選択と決定をし続けてきのです。

 

イエスは、「貧しき者は幸いなり」と言いました。

人は困難があって始めて、自らの深き所(内なる本質・・・源や神)を求め始めるからです。

病気になって始めて自分のカラダに思い至り、健康に気をつけ習慣を改めたり、

喪失があって始めて、そこから立ち上がろうと「内なる平安」を求め始めるのです。

 

日本には、月に向って「我に艱難辛苦を 与え賜え」と祈った武将がいますね。

彼は「艱難辛苦」があればこそ、自己のイシキの拡大・成長があるのだと知っていたのでしょう。

(※ 山中 鹿之助 幸盛・・・願わくは、我に七難八苦を与えたまえ・・・が正しいとされる

衰亡した主家に忠誠を尽くして戦い、後の世に講談などで、忠義の武将・悲運の英雄として語られた)

 

・・・そう、まさに、あなたの艱難辛苦は全て、

あなたのイシキの統合の為に、

あなた自身が起こしている・・・のです。

・・・それが、あなたにも見えた時、全ては愛であること、

イシキが統合するために在った・・と知るのです。

 

イエスはまた、「まず神の国を求めよ」と言いました。

それは・・・、神の国を求めれば、全ては自ずと与えられる・・・ということです。

では、神の国とはどこに在るのでしょう?

・・・それは「天国は内にあり」なのですから、

あなたに内在する本質の自己・内なる源(全体・神)を知ること、

・・・それこそが、あなたの神の国なのです。

 

あなたの創造したものは全て、単にこの現実世界

・・・幻想の分離ゲームアソブための道具にしかすぎません。

あなたはこれまで、単にこの世界でアソブ為に創ったものや出来事、

分離幻想によって分かれて見える、自分が愛したり憎んだりした存在達を、

あなたのイシキの錨(いかり)にして、幽界と現世の輪廻にイシキを留まらせてきたのです。

 

しかし、あなたが「いま」、そうと知ったのならば、もう自分の創造物に縛られることなく、

あなたの体験する全てを、そしてまた「あなたの好みの創造」を

より高く、より遠く、無限へと飛翔する、更なる変容の為の

ステップ台・ジャンプ台にする

・・・と、選択・決定し続けていただきたいと思います。

 


★「好みの創造」の指針

さて、上記に於いて・・・、「創造されなかったその現実は

タイムラグ」の間に抜け落ちて、全体に還った・・・、」と書きました。

実は、これとまったく同じことが、その他の創造に於いても頻繁に起こっているのです。

そこで、このことを、上の文を応用して言うとすれば・・・、

 

「あなたは、気分を変えることで、

好みの現実創造を変化させ・・・、

一旦は創造しようとしたけれど、結局は創造されなかったその現実は

タイムラグ」の間に抜け落ちて、全体に還った・・・、」となります。

では、そのことについてもう少し詳しく見てゆきましょう。

 

あなたが何かを欲しいと思い、それを望み」、そこにあなたの想い」が在る時、

あなたの源(全体・神)は、それを、いま・ここ で実現させます。

あなたが望み、それを想う時、それは、もう「いま」に「在る」のです。

ただ時間幻想があるので、それはまだ見えるカタチになっていないだけなのです。

 

現実世界での目に見える形として、それが実際に現れ、あなたが体験するのが、

これからやって来る「未来」ですが、

・・・その「未来」は幻想で、本当に存在するのは、永遠の「いま」で、

・・・故に「未来」は「いま」に重なっている、

 

未来」は、あなたの前には現れてはいないけれど、

源(全体・神)は、いま・ここで、その「波動」を維持し・・・、幻想の時間を通過して、

目に見えるカタチとして、物質や状況としての現実創造を始めます。

 

それが見えないあなたは、見えないがゆえに疑い、執着、などで抵抗し

時間幻想の「タイムラグ」を通過する間に、

このあなたが抵抗することによって、その創造に無イシキに変更を加え、

その創造の出現を中止にし、その創造は抜け落ちて全体に還る・・・、ということになるのです。

 

さて、こんな風にコトバを使って説明しようとすると、まわりくどく感じるかもしれませんが、

それでも、きっとあなたにも、問題の箇所が見えてきたことと思います。

 

結論としては、好みの現実を創造し、実際に体験するには、

タイムラグ」を通過する間、始めの「望み」想い」無イシキに変更を加えなければ良い、

また、見えないからといって、疑い、執着、などの抵抗 をしない・・・ということになりますね。

 

では、「恐れ」の場合は何故そんなにも実現しやすのか・・・を見てみましょう。


29・永遠の「いま」Aタイムラグより・・・

 

・・・何かを恐れるとき、あなたは無意識の内に、

そんな目に遭っている自分を想像し(ビジョンを描き)、又、その感情を感じているのです。

そのために、様々な師たちが「恐れを恐れよ」と言ってきました。

 

あなたは無イシキにしょっちゅうそれをやっているのですが、

恐れること」には、とても強いインパクトがあるので、

実際にあなたは、瞬時に「感情」を伴って「考え」、それを「ビジョン」として描き

フォーカスし続けることによってその実現化を望み、

それを確実に引き寄せていることになるのです。


さて、この文章の中では、

感情」を伴って「考え」、それを「ビジョン」として描き、

・・・というところと、無イシキ」にやっている・・・というところが

見ていただきたい箇所で、これが「恐れ」が実現しやすい要素ともなっています。

 

では、実際にはどのようにしてゆけば、

あなたの好みの創造」にとって役立つのかをお伝えしてゆきましょう。

 

※ここでいう・・・分離感⇒統合・・・とは、あなたに合う、役立つと思われる、

様々なイシキ変容の為のワーク(手放す・愛に還す・・・など)を使って、

あなたが感じる「分離感」を、本質の自己・源に「統合」してゆく・・・ということです。


番号 どんなイシキの在り方?

@

「イシキ的でいる」

A

「望む」「想う」⇒「在る」と「知る」

決定する

B 「想像」「ビジョン」「感情」
(フィーリング・センセーション)
C 「祝福」「感謝」
D 「リラックス」「安心」

@「イシキ的でいる」

 

まず自分の感じていること・・・自分の「感情」に、無イシキではなく、

いつでも、必ず、イシキ的でいること・・・、です。

 

イシキ的でいること・・・どんな「波動」でいること、どんな風に「在る」ことが、

より良き体験を受け取リ続けるかといえば・・・、

あなた本来の在り方、源(全体)のように「ただ在る」こと・・・、

源(全体)と同調や共鳴するような「波動」でいること・・・、「統合感」にいることです。

 

それは、コトバにするならば、愛・喜び・自由というような、

いい気分を感じていること・・・です。

 

さて、源と同調するような「波動」でいること・・・と言われても、

もちろん、そう出来ないことは多いでしょう。

 

けれど、あなたがこの自分の感じていることに、「イシキ的でいること」・・・によって、

疑い、執着、などの抵抗 (その他の好ましくない感情)が入り込んできた時は、

それが判りますから、その時は分離感⇒統合してください。

何でも、あなたに合う方法、役立つ方法を使って、源と同調する「波動」に還ることです。

 

この@自分の感じていること・・・自己の「感情」に、

いつでも、必ず、イシキ的でいることを前提として・・・、


A「望む」「想う」⇒「在る」と「知る」

「すでにそうである」・・・と、決定する

 

あなたの好みのモノやコト、体験を、まずは始まりとして「望み」ます。

これは、そのモノやコトが欲しいと「想う」こと・・・、とも言えます。

 

そして、たとえ目には見えなくても、時間は幻想で、「永遠のいま」しか存在しないのですから、

それは、すでに いま・ここ に、「在る」と「知る」・・・、こととなります。

(たとえ、そこまで出来なくても、きっと「在る」のだろうな・・・、と想像・イメージすることです・・・)

 

そして、「すでにそうで在る」と、

決めること・・・決定すること・・・です。

 

B「想像」「ビジョン」「感情」(フィーリング・センセーション)

 

そして、それは、すでに いま・ここ に、「在る」のだから(・・・たとえば想像・イメージであっても)

いま・ここ で、自分がそれを持っている様子、体験している様子を

「想像」しながら「ビジョン」として描き、

いま・ここ で、自分がそのコトやモノを実際に体験している

「感情」(フィーリング・センセーション)を、感じます


C「祝福」「感謝」

 

それがもう叶ったコトとして、祝福し、感謝する・・・、ことです。

では、祝福し、感謝するその対象とは・・・、

そして、その対象はどこに「在る」のかと言えば・・・、

 

あなたの内に在る・・・

見えるもの見えないもの全てである・・・

あなた自身でもある・・・

創造の舞台やシチュエーション、あなたの望む全てに成り続ける、

あなたの内なる源(全体であり、神と言われてきた存在)・・・ということになるでしょう。


D「リラックス」「安心」

 

@〜Cを無理やりではなく、くつろいで行い・・・、「リラックス」

タイムラグ」を通り抜けて、そのモノやコトが実現するまでの間は、

もう叶ったモノ・コトとして「安心」していることです。

 

※@の自己の「感情」に、いつでも、必ず、イシキ的でいること・・・、によって

「リラックス」「安心」できていない感じに気づいたら、

何度でも、何でもあなたに合う方法、役立つ方法を使って分離感⇒統合させ

あなたの源と同調するような「波動」に還ってください。

 


さて、これらが24・ふるさとパラドックス・トリック・スーパーマジック

でお伝えした、パラドックスとトリックの詳しい説明となるのです。

「持っていない、まだない」と言い、そう感じるとき、それを「持つ」ことはなく・・・、

「持っている、もうある」と言い、そう感じるとき、それを「持つ」ことになる・・・。


「好みの創造」

・・・その補足・・・

それは、すでに自分のものとなっていると積極的に知る。

あなたが求めたものは何であれ、祈った途端に受け取ったと知る、すると受け取る。

祝福をして喜び、明るい感謝の想いで、その気分を感じて味わうこと。

 

秘訣は、内なる源(全体あるいは内なる神)と一体となることである。

源(全体あるいは内なる神)との一体感に「ただ在る」ことによって、それは力強くなる。

たとえ全世界が無理だと言おうとも、反対しようとも、笑おうとも、

自分だけは、源(全体あるいは内なる神)との一体感をしっかり保ち続けて離さない。

聖者達はこの、内なる本質との一体感を通して様々な奇跡を行った。

 

外に求めず、に求めよ。

内に望む、内に求め、内に描き、内に感じる・・・、

内にて祈り、内へと祈る、内にて創造せよ・・・、

 

どこか遠い彼方の天の神に祈るのではない、

どこか清らかな聖堂に出かけて祈るのではない、

あなたの内こそが、全てに通じる扉であることを知る。

 

内なる寺院に出かけ(ひとり静かに静寂の時を持つというイミ)、

内なる天に想いを馳せ自己の無限の本質を感じるというイミ)、

内なる源を感じ、内なる源に求めれば、

内なる源(全体あるいは内なる神)によって、それは必ずもたらされると知る。

 

いつも常に、ただ完全なる状態だけを想い、望み、決める。

自分の内なる源に、創造の種子である完全なる想い」だけを植えつけること。

では、完全なる想いとは・・・、何か?

 

完全なる健康やカラダが現れることを求めるのであって、

病気や怪我が癒されることを求めるのではない。

 

完全なる豊かさや調和の実現を求めるのであって、

貧しさ、不足、不安、心配、不調和、不幸、制約から

救われることを求めるのではない。

 

たとえまだそれが見えなくても

いま・私は完全で在る」と決めることから、「完全なる未来」が現れる。

それが無ければ「不完全」で、それがあれば「完全になれる」と決めていては、

いつでも、あなたが「決めている想い」が現れる、

 

宇宙はコピー貼り付けしか出来ない、

宇宙は「こだま」

あなたが送り出したものが、

そのまま還って来る

 

たとえ見えなくても常に、「完全なる状態」を想い、

「すでにそうである」決め続ける

 

蒔かれた種はひとりで発芽し、芽はひとりで伸びゆくと知る。

いつ?どこで?だれが?どうやって?どんな風に?・・・

などの計画は、全て源(全体あるいは内なる神)に任せる。

あなたのすることは・・・ただ求め、在ると知り、祝福と感謝をすること。

・・・インスピレーションがもたらされたら、その時動く、

それは、「あれをやってみよう」「この人に会ってみよう」・・・などという発動かもしれない

 

何度も何度も願いを繰り返すことをしない。

まだ叶わないという想いが出てくる時は、求め直すのではなく、

そのモノやコトの成就を祝福し感謝し続ける。

分離感を感じたのなら、それは、また祝福と感謝をする・・・統合のチャンスとも捉えられる。

たとえ、どのような考え方があなたの内に起きてきても、

それに囚われず、それに縛られず、分離感⇒統合し、ただ祝福と感謝とを注ぐ。

 

疑い執着を変容させる

疑いと執着は、いずれもその実現を阻む・・・、故に感じる時は常に分離感⇒統合させる。

望みはすでにいま・ここにある・・・という、あなたの信念は必ず報われる。

その信念は、様々な体験と経験によって、やがてあなたの知識となり、

あなたは「望みはすでにいま・ここにある」と、真に「知る」者と「成り」ゆく

 

★無心にて与えよ

分離は幻想・・・であり、無分離が実在・実相・・・である

「全体である源」として見るとき、全ての他は己自身である。

故に何であれ、人にすることは自分にすること。

 

源の愛もて人に対し、源のように限りなく在れ。

共に問題に悩むのではなく、解決に焦点をあて、

父がその大いなる愛で子を励ますように、力づけ、与えよ。

共に悲しむのではなく、悲しむ者の涙をやさしくぬぐい、

母がその豊かなる愛で子を抱くように、慰め、与えよ。

 

与える時は出し惜しみなく、無心にて与え、

しかして、甘やかし頼らせるのではなく、

一人で立って歩けるように必要に応じて手を差し伸べ、

あなたがまず賢き大人(オトナ=一人で立つ人)となれ。

(大人という文字は分解すると一人の人となる・・・)

 

与えるとき、豊かさと幸福はまるで押し付けられるがごとく、

何倍にもなって与えた者に還って来る、

何故なら何であれ、人にすることは全て自分にすることだから・・・。

 

いま」に生き、「いま」幸せを感じ、「いま」感謝する。

時とは永遠の「いま」、故に過去を悔やまず未来を憂うなかれ

 

いま」ある幸せを感じ、「いま」それに感謝すれば、

いま・ここ」にすでにある「未来」に、それは拡大してもたらされる。

空気がある、カラダがある、太陽があることに、「いま」幸せを感じ、

雨に、風に、大地に、水に、花々に、「いま」感謝する。

 

この祝福(幸福を祝い喜ぶ・前祝いをする)感謝こそが、

求めたものがすでに在ると私は知っている」・・・、という宣言となり、

あなたが求めるものはもたらされる。

 

すべては始めからあなたのモノ、あなたのモノでないモノはない

全体(個を体験する源)という視点から見れば、

あなたのモノでないモノは、かつても、いまも、これからも、何ひとつとして存在しない、

創造とは、すでに自分のモノで在る、その全体の中から、

求めることにより焦点を定め、それを体験することを、自分に許すだけのことである。

 

許すこと、許可を与えること

自分がそれを持つ、体験することを許すこと、

自分にそれを持って良い、体験して良い、・・・と許可を与えること、

 

何であれ、自分がそれに値しないとか、

望む一方で、そんなことは望ましくないと感じている部分があるかもしれない、

自己のパーソナリティーの統合10・分離する自己を抱きしめる)をすること、

また、反する感情が出てきたらその分離感⇒統合させ、許可を与える

 


さて、こうして書くと、たくさんの項目を語ってきたために、

好みの創造」の実現・・・とは、何とも複雑に思えるかもしれません。

 

しかし、実際にはあなたは、創造を一瞬たりとも止めることは出来ず、

いつもやり続けているのであって、創造はあなたにとって呼吸のように当たり前のことなのです。

ですから、それは実にシンプルであり、また「簡単なのだ」と決めてください。

 

ここで細かくお伝えしたことを、シンプルに言えば、それは・・・、

自分の「感じていること」イシキ的に成り、「分離感⇒統合」し、

想いが叶ったときの「その感じ」を、「いま感じる」ということになるのです。

 

この「好みの創造」については、最終章でも・・・ただ在るままのイシキ的創造

「フィーリング・センセーション・ラブ」として、お伝えしましたので、参考にしてください。

★「ただ在る」ままのイシキ的創造

★フィーリング★センセーション★ラブ

そして、いままで多くの存在が「好みの創造」に於いて、勘違いをしてきたかもしれないのは、

神や宇宙が「望みを叶えてくれる」と思ってきたことです。

もちろん、「神様や宇宙にお願いする」のもいいけれど、

実際には全ての創造とは、自分が自分に与えているのです。

 

何故なら、自分こそがであり、

自分こそが宇宙なのだから・・・。

 

良いことをしたら褒美をくれる神様も、悪いことをしたら罰を与える神様も全てあなたです。

単純に言えば、自分の「イシキ状態」が、「こだまのように」還って来ているだけなのです。

いつでも、どこにいても、あなたに与えられるのは、あなたしかいない

それは、良いも悪いも同じ・・・全ての全てが、あなたがあなたに与えているのです。

 

だからこそ、見えているところではなく、あなたの「イシキの在り方」という

「根っこ」の部分を見なければ成らないのです。

 

ではあなたは、何をした時・得た時・どんな時に、喜びを感じるのでしょうか?

・・・実際に人々は、様々な体験を通して「統合感

・・・「自然や何かや誰かとひとつになれた」感覚を味わった時に、

この喜びを感じているのではないでしょうか?

 

自然の中で、様々な要素・・・空や雲や風や木々や花や鳥や太陽や月や星を眺め、

それらを感じて、一体感を味わったとき・・・、

お金や様々な物質を得て、「自分のものにした!」という「それら」との一体感を得られたとき・・・、

誰かを心から愛し「恋人」との一体感を感じるとき・・・、

 

あるいは、人と協力したり、人に喜んでもらえたり、理解しあえたと感じたり、

子供や動物や好きな何かを「かわいい・愛しい・ステキ・かっこいい」

・・・などと思って、一体感で満たされたとき・・・、

成功や名声を手に入れて、「みんなの注目や賞賛を自分に集める」

・・・といった一体感を手にするとき・・・、

 

もちろん、外側に見える人や状況は、全ての全てが幻想で、

それらが、内在する源の波動と共鳴して、

あなたに「一体感」「統合感」を感じさせたのであり、

本当の統合は、常にあなたの内に在るのです。

 

・・・しかし、人はこの「分離」幻想の中でも、

常に「無分離」を目指していて・・・

統合感を味わいたい存在である・・・と、あなたは感じないでしょうか?

 

それが、全体と私たち全ての存在の本質だから・・・です。

どんなに細分化されたように見えてはいても、分離は幻想であり、

誰もが始まりの時から永遠に、源・・・全体・・・神・・・と全く同じ

 

愛なる存在であり、

(愛なる存在・・・神は愛、全ては神、故に全ては愛、愛しかない)

愛なる表現しか出来なくて、

(愛なる表現・・・小さな自己愛から無限の愛までの様々なレベルの愛の表現)

愛の実現しか目指していないのです。

(愛の実現・・・愛を感じたい・ひとつに成る・ひとつで在ることを体験したい)

 

・・・いかがでしょうか?・・・分離幻想で「分離」したように見えてはいても、

そして、あらゆる性格や感じ方と言った多様性はあれど、

誰もがみんな、自己愛から利他愛・無限愛までの様々なレベルの

「自分が愛を感じる」ことしかやっていないのではないでしょうか?

 

そしてまた、多様性によってその表現は違ってはいても、

全ての存在は源・全体の在り方と全く同じで、

寸断無く想い続ける存在であり、永遠に成長・拡大し続ける存在であって、

 

・・・故に、幻想の中であっても、常に、もっとより良き状況や、

より良きものを求めずにはいられないのです。

そして、一瞬たりとも創造することをやめられないし、それはどう在っても止まらないのです。

 

・・・いかがでしょうか?・・・これはもう、細分化されたように見えているだけで、

全体や他に見えている全ての存在は、あなたという個と同一人物、

・・・言いいかえれば、「ひとつの存在」としか思えないのではないでしょうか?

 

そして実際に、全体や他に見えている全ての存在は、

同一人物・・・「ひとつの存在」だったのです。

 

何故なら、・・・分離は幻想であり、

あなたこそが全体(神・源)そのものであり、

あなたは全てとひとつ・・・だったのだから。

 

だからこそ、全ての創造は誰かに与えてもらっているのではない・・・

あなたに与えられるのは、あなたしかいない・・・と知ること、

そして、それは実際には、良いも悪いも全ての全てが同じ・・・であった、

だからこそ、あなたがあなたの現実の「創造主」なのです。

 

もちろんイメージとしての「宇宙や神様」を創っても良いけれど、もしもあなたの内に

他を当てにする感覚や、「こんなに頑張ってるのに」と責任転嫁する感覚があるのならば、

それは、分離幻想の中で感じる「分離感情」であり、

あなたの創造のために成らないので、変化させてゆくことです。

 

そして、「創造主」である、あなたの、

イシキの在り方」という「根っこを見てみると、

好みの創造」の実現を妨げているのは、様々な感情感覚であり、それは実際には

全てが、「分離感情」と言えるのです。

 

分離幻想の中にいるのですから、もちろん、そうなりやすいのですが、

それでもちょっと感じてみてください・・・、

もしも、分離感情のままに創造すれば、

「分離感を味わう創造」がもたらされる・・・のは、

当然のことだとはあなたには感じられないでしょうか?

 

赤い絵の具がついた絵筆で画用紙を塗れば、画用紙は赤く塗れるのです。

あなたがもしも、「分離感を味わう創造」ではなく、

様々な何かや誰かとの「一体感」「統合感」を感じる体験創造を目指すのでしたら、

 

この「永遠のいま」に、「統合感」にいることが大切なのは、

自明の理(・・・明らかな道理)なのではないでしょうか?

 

そして、この「統合感」とは・・・、本質の自己・・・内なる源と「統合」されたイシキ状態

・・・もっと簡単に言えば、いつも「いい気分」でいること・・・なのです。

 

故に、「分離感情」を「統合」することが、

創造の要となるのです。

 

ですから、あなたがもしも「まず天の国を求め」て、分離感⇒統合」し続け、

やがて内なる統合が進めば、いつでも「いい気分」でいられるように成るのですから、

好みの創造」が受け取りやすくなる・・・叶いやすくなるのもまた、自明の理と言えるでしょう。

だからイエスは、「まず、天の国を求め自分の本質と統合してしまいなさい

・・・とおっしゃったのでしょう。

 

さて、前述したように、何であれ自分の創造したものに囚われないことが大切であり、

この「まず天の国を求めよ」・・・は、本当のことです。

 

ですから、私たちは、より道を進めているわけではないのですが・・・、

しかし、もしも、あなたの創造が思うように成っていないのであれば、

あなたがあなたに許していない」という側面もあるので、

そのことについてお伝えしたいと思います。

 

あなたは、自分の気持を深く探るとき、「好みの創造」の実現を望む一方で、

そんなことは望ましくないと、感じている部分がないでしょうか?

あなたが、どういう決定をしているのかはわかりませんが、

今回の生では、「目覚める」ことに重点を置いている為に、

好みの創造」の実現を避けている存在もいるかもしれません。

 

そういった存在たちは、例えば・・・、「自分の本質へと還りたい」・・・「覚醒したい」・・・

再び「この次元に留まらない」・・・と、かつて選択し、決定していたかもしれません。

けれど、現実世界の中では、自分の創造が思うように行かなくて、

ジレンマを感じているかもしれません。

 

しかし、自分の創造したモノやこと、人や状況を、イシキの錨にさえしなければ、

この世界の全てのことと同様に、「好みの創造」もまた、

覚醒の道・・・あなたの本質(源・全体・神)との統合・アセンション

へと繫げてゆくことが出来るのです。

 

何故なら、「分離感情」を「統合」することが、創造の要であり、

故に、「好みの創造」は、自己の本質(源・全体・神)へと還る・・・、

「統合」へのジャンプ台と成るからです。

 

それは、ただ・・・「私はそうする」・・・と選択・決定するだけなのです。

全てのことは、その人がよく切れる刃物を、メスにするか、ドスにするかであって、

あなたにとって役立つのはどちらなのか、俯瞰する視点を持つことです。

この現実世界では、全てのことは極性幻想によって振れる・・・のですから。

 

そして、この永遠の「いま」に、

「私はそうする」・・・と選択・決定したのならば、

もっと自分に与えること、もっと自分を楽にさせること、

もっと自分に許すことが、上手になるかもしれません。

 

それは自己中ではなく、自分を愛すること、大切にすることであり・・・、

この完全なる自己愛こそが、更なるイシキの変容と成長・拡大へと誘うのです。

 

それがどこで、いつであっても、かつて、選択し決めたことも、

いま・ここ」の自分が、選択し、決定出来る・・・ということをどうぞ、受け容れてください。

それはいつでも、「いま・ここ」で変えられるし、変えてしまってかまわないのです。

 

どうぞ、ご自分の「感じていること」に、いつでもイシキ的になって、

ご自分の「いま」に「感じる」・・・「良い感じ」を指針にして、

選択・決定 し続けてください。

 

さて、こうしてあなたは、様々な創造と、それによる体験と経験を続けることで、

あなたという個の、オリジナルな個性による、オリジナルな感じること」を収穫し、

あなたの魂は、それを記憶の宝庫に大切に保存し続けてゆきます。

実際には、これ以上の宝物はないのです。

 

そして、もしもあなたが、この人生のそのカラダを去るとすれば・・・、

その時、持って行かれるのは、あなたがあらゆる生の様々な体験と経験を通して

個性的に感じた」・・・その感情だけなのです。

 

そして、あらゆる個の個性的な体験のために、それがもしも望みであれば、

誰もが、何を望んでも、何をやっても、どんな人生を送ってもかまわない・・・、

 

ですから、それがたとえどんなモノやコトであっても、

その人の人生、体験、創造、生き方に評価や判断を下さないことです。

評価や判断を下すとき、あなたは「ただ在る」という源の在り方

・・・自分の本質から自分自身を分離させ、自分自身を犠牲にしてしまうことになります。

 

この現実世界には、様々な良いことや悪いことが在るかのように見えます。

しかし、それらは善でも悪でもなく、全ては幻想であり・・・

全ては、壮大なる自由意志で、その舞台とシチュエーションに成り続ける

源の愛なるスガタ ・・・なのです。

 

・・・もちろん全ては自分にすることですから、

他と見える者にした行いはどんなモノであれ、拡大されて自分に還るのです。

けれど、あなたは自分の在り方を分離させ犠牲にしてまで、

人や状況を判断・批判・評価することをもう選択しないと決めることです。

 

どんな体験や経験も、その人にとって必要だからしている、起きている・・・、のです。

そして、いまはまだ「分離感を味わう創造」をしているだけなのかもしれません。

それは、神で在る彼らの選択と決であり、その人自身が、その選択と決定を変えない限り、

誰にも止めさせることは出来ないのです。

 

あなたはどうぞ、判断・批判・評価を手放した上で、

もしも何か助けてあげられることがあれば、「分離感⇒統合」した全体としての視点で、

彼らを別の個を体験する、あなたの一部として見て、無心で手伝ってあげてください。

それは、必ずあなたに還ってくるのです・・・だって、分離は幻想なのですから。

 

そして、いま・・・、あなたや他の存在たちは、これら様々な現実創造を通じて、

この幻想の中で、この幻想に囚われず、この幻想を越えて、分離感⇒統合し続け

・・・「ただ在る」存在に再び還ろうとしている・・・、と言えるでしょう。

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共に、ただ・・・手放して

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない、永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・「こだまなくらしサークル」のヒビキ

HOME

 

inserted by FC2 system