チャネリングメッセージ・「こだまなくらし」



評価や批判を手放し ただ味わって・・・

あなたのハートにヒビクものがあれば どうぞ受け取って・・・

そう感じられないのであれば どうぞ手放して・・・


第47章


投影宇宙E

 いま・どんな神の国を現すか


※投影宇宙・・・自己のイシキの内に在る「情報」が投影されて、

現実世界の見えるカタチの体験や経験となって現れる、個々のオリジナル認識宇宙のこと。


源のヒビキ(コダマ)で、みなさんにこんにちは。

「全てのイシキ存在たちの源・・・神である全体・・・から、

地球次元の見える領域で体験している私たちの「やっほー」と呼ぶ声に答えて、

源の波動のヒビキ・・・コダマとなって還って来たメッセージ・・・というイミ。」

 

誰もが幸せを望んでいます。

それは、元々神成るあなたは、本来は幸せそのものであって、

それ以外の状態で在ることなど、決してあり得ないからであり、

 

その内なる呼び声を常に感じるあなたは、

これまで、それを外側に投影して体験したいと、

様々なことやモノを引き寄せては、投影宇宙に映し出し続けてきました。

 

しかし実際のところは、この世界での体験があなたを幸せにするのではなく、

その体験によって感じる感情が、全体(神)成るあなたの、その無限の波動領域から、

あなたが本来持っている幸せの波動に共鳴振動しているだけであり、

 

だとすれば、体験が過ぎ去ってもなお、ずっとその波動で居れば良いだけのことなのですが、

付け加えてきたあらゆる記憶と、外側に見えるモノやことに囚われやすいために

ずっとは良い気分で居られないあなたは、その体験が過ぎ去ってしまうと、

体験が去ったせいで幸せではなくなったのだと思い込み、

 

さらにまた同じ体験を、あるいはもっと幸せを感じさせてくれる体験をと、望み続けてきたのです。

しかし、この世界の体験は、常に過ぎ行くものであり(諸行無常)、

あなたが体験を切望すれば、それは逆に遠のき続け、

あなたが体験に留まろうとすれば、それは執着となってイシキの囚われを生み出し続けてきました。

 

あなたは体験や経験が(遊園地のアトラクションが)、

自分に喜び(幸せ)を感じさせてくれるのだ・・・と、ずっと思い込んで来たかもしれませんが、

本当のこととは、何があろうと無かろうと元々幸せそのものである存在(神成るあなた)が、

 

遊園地の様々なアトラクション(自らの体験・経験)を通して、

すでに内に在る幸せを、ただ感じ続ける、

 

体験を通して・・・内にすでに在る、その波動を呼び込み、共鳴させて、

ただ感じるためのゲーム」でしかなかったのです。

 

ですから、どんなアトラクション(体験・経験)を選ぼうとも、

あなたの内の「何があろうと無かろうと元々幸せそのものである存在(神成るあなた)」が、

目覚めてこない限りは、この世ごと(体験・経験・・・遊園地のアトラクション)で、

本当の満足は得られるはずなど無かったのです。

 

そして、様々なイシキの囚われ(加え続けた記憶)によって、

投影宇宙(鏡)・・・湖に映る風景に映し出されるものが逆にあなたを苦しめてきた・・・、

しかし、をいくらいじった所で、それが変わるはずが無いことが、

これまでは、ただ見えていなかっただけなのです。

 

湖に映る風景をいじろうとすればするほど、波が立って、湖面は波紋を生み、

更なる混乱が付け加えられ続けられるだけだったのです。

 

しかし、あなたの投影宇宙は、もしもあなたが湖面の波紋(感じる抵抗感)を手放し続けるならば、

何があろうと無かろうと元々幸せそのものである存在(神成るあなた)

へと、必ずあなたを誘ってくれるのです。

そして、あなたの内が鎮まれば、湖面は美しい風景を映し出し(現し)続けるのです。

 

あなたはもう、遊園地の様々なアトラクション(体験・経験)によって幸せになろうとせずに・・・、ただ、

何があろうと無かろうと元々幸せそのものである存在(神成るあなた)

を現し続けるだけでいいのです。

 


聖なる書

 

聖なる書(宗教などで神が降ろしたとされる教え)は、

この世界の分離や時間・空間・極性の幻想の中で書かれたため、

人によって改ざんされ続けてはきましたが、

それでも幻想を超えて見えるように成れば、その「隠された真実」が読み取れて来ることでしょう。

 

また聖なる書は、かつての人類の低い波動の中で、自分だけの成功や支配の法則・道具として、

また他を貶めるツールとして悪用されないようにと、秘儀としてぼかして書かれたこともありました。

高い波動に共鳴振動しなければ読み取れないようにしたわけです。

 

しかしいま、この時代がもたらす波動の上昇によって、

人類もあなたもかつてないほどの情報開示を受け取れるように成りました。

それは、人類やあなたの選択であり、その選択に答えて情報が召喚されてきたのです。

(全てはすでに、常にあって、自分が選択した波動で受け取れる

生徒の準備が出来た時に教師が現れる・・・と言われているように)

 

そして、それら聖なる書の中でも

人類の再統合・アセンション(すでに在る統合の自覚)がいかに切望されてきたかが、

あなたにもきっと見えて来ることでしょう。

 


イエスのコトバ

 

では、それら聖なる書の中から、イエスが語ったことに触れ、

イエスが人類の再統合・アセンション(すでに在る統合の自覚)を

どんなに切望していたかを、あなたにも一緒に見ていただきたいと思います。

 

イエスはこんな風に語りました。

(もちろんその解釈は様々ですが、私たちはそれをこんな風に語りたいと思います)

 


自分の宝を地上にたくわえるのはおやめなさい。

そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。

 

自分の宝は、天にたくわえなさい。

そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。


テーブルサイコロ人生ゲームを超える

 

イエスは、始めから最後まで、

この世界の生き方(@投影宇宙の理解・A投影宇宙の制御)・・・実現法則・成功法則

を説いていたわけではありませんでした。

 

もちろんBコントローラーを置くC再統合・アセンションの自覚

となれば@Aは簡単なこととなるのですから、

イエスの語ったことをこの世でうまく生きる為に使うことも可能でしたが、

 

イエスはその数々の例えばなしによって、

人類に、この世ごとのその先を見る目を現させん・・・と常に試みていたのです。

 

そして、もしもあなたがそうと気付けば(知れば)、

イエスと同じ存在に成れること、イエス以上に成れること・・・、を伝え続け、

人類が・・・、そしてあなたこそが・・・、いまのいま、ここのここで、そうと知って、

再統合・アセンションすること(すでに在る統合の自覚)を、常に最大の目的としていました。

 

上の一文は、A一点集中(フォーカス)をコントロールする・・・投影宇宙の制御

にハマって、お金や成功や愛着やカラダにイシキが留まることが、

あなたをこの地に留まらせる(輪廻に嵌る)ことにも繋がりますが、

 

(・・・それは悪いというわけではない・・・常にイシキを留まらせず成長拡大を続けることです

しかし、人はモノや人やことを持つほどにそれに留まりやすく、手放すことに抵抗します

故にイエスは、貧しき者は幸いなり・・・富は茨と成る・・・などと言ったのです)

 

イエスが「」と言い続けているのは、遥か彼方にある、どこか遠くの天国などではなく、

いまのいま、ここのここ、に在る、

あなたの内のいと高きところ=天に蓄えなさいと言ったのです。

 

それは、全てへの囚われを手放して、

Bコントローラーを置く・・・制御を手放し、ただ在り続ける こととも言えます。

 

だって、本当のこととは、この世界は幻想なのですから、

幻想で満足しようとどんなに頑張ってみても、それは実際にはたくさんの友達と、

「幻想世界」というテーブルで、サイコロを振って、

人生ゲーム(極から極までのあらゆる体験)をやり続けているだけのことなのです。

 

あなたは、テーブルサイコロ人生ゲームの中で大金持ちになって、

銀行やレストランを経営し、素晴らしい恋人を得るかもしれませんが、

胸の内のいと高きところ()に、満足する(宝を蓄える・すでに幸せだと気付く)ことが無い限り・・・、

そして地上にたくわえ続ける(幻の中に居続ける・成功法則などにハマル)限り・・・、

 

常に、永遠へと、イシキが成長拡大し続けている、本来、神成るあなたの、

内なる呼び声の、その全てが満たされることはないでしょう。

(それは常に、まだ何かが足りなかったり、虫とさびで、きず物になったり、

盗人が穴をあけて盗んだり、そのことを心配したりしなければならないからです)

 

そしてまた、神で在るあなたのそのパワフルさゆえに、あなたが手放さないことによって、

テーブルサイコロ人生ゲームの中の大金持ちや銀行・レストラン経営や最高の恋人が、

あなたのイシキを留まらせる錨(いかり)や重しともなってきたのです。

 

イエスがこのコトバで伝えたかったことは、

テーブルサイコロ人生ゲームを超える・・・・こと、

そして、再統合・アセンション・・・すでに在る統合の自覚だとは、

あなたには感じられないでしょうか。

 


神の国とその義とをまず求めよ。

そうすれば、それに加えて、すべては与えられます。

 

だから、あすのことを心配するのはもうやめなさい、

あすのことはあすが心配します。


いま・どんな神の国を現すか?

 

・・・神の国とその義とをまず求める・・・

いまのいま、ここのここで、再統合・アセンション(すでに在る統合の自覚)を選択する、

 

・・・それに加えて、すべては与えられます・・・

すると、いまのいま(時間を超え)、ここのここに(空間を超え)、全ての全てが(分離を超え)、

すでに、常に、永遠に、在ることが見え始めてくる、

 

しかし、あなたが選択し続けなければ・・・、

それを現さんとしてイシキの囚われ(加え続けた記憶)を手放し続けなければ・・・、

イシキの変容によって、自らの波動領域を変容させ続けなければ・・・、

それは決して見え始めないのです。

 

神の国(第七イシキ・天界)とは、色々学んでいつかは優れた者になって、

誰かにお墨付きをもらって、どこかでパスポートを発券してもらって、

遠く離れた場所へと旅をして、ようやく入れてもらえる場所などではないのです。

 

神の国(第七イシキ・天界)とは、本来の神成るあなたの国であって、

それは、すでに、常に、永遠に、あなたがそうと気付けばいま・ここに全てが在るのです。

 

そして、正確に言えば、全ての次元は「神の国」であって、

「神の国」でない場所など存在しないのです。

 

あなたは、そして全ての存在は、永遠に「神の国」の中に居て、その無限の愛の真っ只中で、

アソビ続けている、光のイシキで在る・・・と、

私たちがこれまでお伝えしてきたのは、そういうイミなのです。

 

そしてまた、分離は幻想なのですから、その全ての「神の国」は、

決して離れてはいないのです。

 

私たちは34・死を超えるA七つのイシキ層(次元) で、

第一から第七イシキ層(次元・天界)を説明しましたが、

それらは、いまのいま、ここのここ、全ての全て、に在るのであって、

(たとえ話として以前使った「海と一滴の海水」のように離れているモノなどない)

 

例えばあなたが、性欲や物欲やイノチへの執着を手放さず、

あるいはそれへの批判を手放さずにいるならば、

(抵抗によってあなたもそこに共鳴振動する・・・

 

いまのいま、ここのここ、全ての全てから、その波動を選択することとなって、

あなたは第二イシキ層(次元) と波動共鳴し続けるでしょうし、

 

例えばあなたが、物質と支配・成功と権力・理論と観念・囚われと閉塞への執着を手放さず、

あるいはそれへの批判を手放さずにいるならば

(抵抗によってあなたもそこに共鳴振動する・・・

 

いまのいま、ここのここ、全ての全てから、その波動を選択することとなって、

あなたは第三イシキ層(次元) と波動共鳴し続けるでしょう。

 

(・・・これは、あらゆる領域と、同じように波動共鳴し続ける・・・)


についての補足・・・他への批判や断罪や裁く感情は、とてもパワフルですから、

批判する者のイシキを、批判される者と同じ波動領域に誘い、

あなたがその批判を手放さない限り、同じような体験を何度も巡らせます。

 

あなたは幼稚園児と本気でケンカしますか?

・・・同類、同レベルでなければケンカは成立しないのです。

例えばあなたが、性欲にかられた(第二と共鳴振動している)人を見て、それを嫌い批判するならば、

 

好きなものを実現して楽しむ為に創られたこの世界(第一・可視世界)では、

あなたがイシキを強力に集中したモノが、あなたが必要なもの、

あなたが大好きなこと、あなたが欲しいモノだ・・・と認識しますから、

 

同じような体験・経験が実現し続けます

何故なら、宇宙はコピー貼り付けしか出来ないのですから・・・。

まずは、自分が何に対してイシキを集中しているのか、常にイシキ的になることです。

 

そして、全ては神の国ではあるのですが、

あなたがどんな神の国を体験したいのか、現したいのか、選択し続けることです・・・

 

(試してみればわかると思いますが、あなたは、瞬時にあらゆる気分を選ぶことが出来ます、

素晴らしい気分になった一瞬後に、最悪の気分になろうと思えば、そうすることも出来ます、

そして、何かや誰かのせいで嫌な気分になったと思ったりしますが、

実際には、その気分を握りしめ、そこから出ようとしていないのは、あなたに他ならないのです)

 

あなたの投影宇宙に映し出されたものを見て、他への批判や断罪や裁く感情を感じるのならば、

投影宇宙は、あなたの内にそのイシキの囚われ(加え続けた記憶)があることを、

ただ見せ続けているだけなのですから(全ては良くも悪くもない)、ただ手放し続けることです・・・

 

本当には、分離も空間も時間も極性も無いのですから、

あなたは、いまのいま、ここのここ、全ての全てから、

自由に好きなイシキ層(次元)と波動共鳴する自由があり、

それらは全て、パワフルな神成るあなたの選択にかかっているのです。

 

故に、イエスが言ったように・・・、

神の国とその義とをまず求める

 

・・・いまのいま、ここのここ、全ての全てから

神の国第七イシキ・天界)と、

その義無限の愛・自由・喜びであり続ける状態)・・・と、

 

波動共鳴したい波動共鳴しよう、・・・とあなた自身が選択し続け、

自分自身で波動調整し続ける(手放し続けて本来のあなたの神の国を現し続ける)、

 

やがて、・・・Bコントローラーを置く・・・制御を手放し、ただ在り続ける ことで、

 

それに加えて、すべては与えられます

・・・扉を開き、そこに自分だけで歩み入り、

見て、知って、開き続けてゆけば、(直接知

「すでにかけていたメガネ」と「すでにその場所に居たこと」が見えてくる、

 

そして全ては、すでに、常に、永遠に、自分のモノであったことが見えてくる、

・・・あなたの本来の神の国第七イシキ・天界)と、

その義無限の愛・自由・喜びであり続ける状態)・・・が現れ出すのです。

・・・C再統合・アセンション・・・すでに在る統合の自覚

 

そして、幻想の中では見えなかった幻想が見えてくるのです。

あなたがBコントローラーを置く とき、これまで幸せになりたいと使ってきた

成功法則・実現法則・投影宇宙こそが、

何よりもの幻想の証拠でもあったこと・・・が見え始めてくるのです。

 

そしてまた、サッカーや野球のように、ルールや法則があるということが、

ゲーム(アソビ)の証拠でもあったこと・・・が見え始めてくるのです。

 

想いが実現する宇宙・・・???

ルールや法則を使ってコントロールする世界・・・???

 

そんな不思議なことがあること自体が

不思議とも思わず生きていたなんて、なんて不思議なんだろう・・・と、

その時、あなたは感じ始めるかもしれません。

 

何故なら幻想とは、あなたが幻想の中の全ての道具(ツール)を手放す

・・・キャラ・アイテム・コントローラーを置く・・・ことで、

始めて、本当に自分自身の目で見え始めるものなのですから・・・。

 

そして、イエスは

・・・あすのことを心配するのはもうやめなさい、

あすのことはあすが心配します。

と言いました・・・、それは時間とはは幻想で、本当のこととは「永遠のいま」が在るだけだからです。

 

あなたが感じる「あす」(未来)への心配が、あなたの「あす」(未来)を、

あなたが心配した通りに投影してくれる(実現させる)ことは、

あなたにはもう、理解していただけることと思います。

 

そして、私たちはこれまでも、「永遠のいま」についてお伝えしてきましたが、

この「いま」というのもまた、幻想の中の単なるコトバにしか過ぎません。

 

何故なら、あなたの中に「過去」と「未来」という認識・概念・コトバが在るからこそ、

いま」という認識・概念・コトバが成立するのであって、

実際には、過去も未来も無い無時間には、「いま」という認識さえも無いことになるでしょう。

 

故に、コトバを超えて扉の向こうに歩み入り、あなたが直接知ることでしか、

その正しい感覚は掴めないでしょう、・・・そしてあなたが自分自身で掴んで、

それをコトバで説明しようとした途端、

それはまた違ったものになってしまう事が、あなたにもやがてわかるでしょう。

 

そして人は、「あす」(未来)への希望や夢というコトバを大切にしますが、

希望や夢は、あなたを「いま」にいなくさせてしまうことがあります。

 

それ・・・希望や夢・・・は決して、いけない、良くない、というのではありませんが、

希望も夢も、幻想の未来に持っていかないこと・・・、全てはいま・感じること・・・です。

希望や夢の実現を、いまのいま感じいまのいま満たされている・・・・ことです。

 

人は「いま」は満たされていないけれど、希望や夢にすがって、生きることがあります。

しかし、何事もイシキの中で幻想の未来に持ってゆけば、

いつまでも永遠にそれを追い求め続けることになるでしょう。

(山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう・・・)

 

そして、それが無いことにイシキを集中し、不足感の内に追い求め続ける限り、

それがもたらされることは決してないでしょう。

 

何故なら、あなたが「いま」感じることが拡大されて、

幻の未来に投影される宇宙に、あなたは住んで居るのですから・・・。

(これは、時間の幻想、時の魔法などとして説明しましたね・・・28・永遠のいま@〜32・Dまで)

 

さて、イエスがこのコトバを通して伝えたかったこともまた、あなたと人類の覚醒、

そして、再統合・アセンション・・・すでに在る統合の自覚・・・だと、

あなたにも感じて頂けたでしょうか。

 


空の鳥を見よ、種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもない、

それでも、天の父はこれを養うのです。

 

あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

あなたがたのうち誰が、心配したからといって、

自分のいのちを少しでも延ばすことができるのでしょうか。


 

なぜ着物のことで心配するのでしょう。

野の百合がどうして育つのか、見てごらんなさい。

働きもせず、紡ぎもしない、

栄華を窮めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった、

 

きょうあって、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、

神はこれほどに装ってくださるのです、

ましてやあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。

 

だから、何を食べるか、何を飲むか、

何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。


ただ在る

 

「自分こそが神である」などとは到底思えない当時の人類波動に於いて、

また、科学やインターネット、教育、情報のまったくない時代に於いて、

源・ソース・全体のことを、イエスは「天の父」や「神」と語りました。

 

そして、それまでは「裁く神」や「怒る神」しか知らなかった人々に、無限の「愛の神」を伝え、

その「無限の愛」を、イエス自らの行いとコトバとで体現して生きて見せました。

 

実際にはあなた(人々)自身が、その無限の「愛の神」そのものではあったのですが、

当時の混迷の世界に、まずは「愛の神」という一石を投じることで、

何とか、人々を目覚めさせるきっかけとしたのです。

 

その無限の「愛の神」そのものである、あなた(人々)自身は・・・、

 

本来、空の鳥のように、野の百合のように、「ただ在る」だけで、

種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもなく、

働きもせず、紡ぎもしない、・・・で、その全てが満たされる存在なのです。

 

だって、もしも本当に、あなたが全体で神で源でソースであるのならば、

何があろうと無かろうと元々幸せそのものである存在・・・に違いないはずでしょうし、

そして、「ただ在る」だけで、全てが満たされる・・・に決まっているのです。

 

しかし、幻想の世界の中で、お金が必要、ステータスが必要、家が、物が必要、

恋人が、伴侶が、食べ物が、着るものが、イノチが、健康が、容姿や体型が・・・必要だ、

と言い続けている限りは、あなたの「ただ在る」状態など到底現れて来ようが無いのです。

(それは、波動が違いすぎるのです)

 

それら、この世界の体験の為に必要なことやモノなど、

全体で神で源でソースであるあなた自身が、知らないはず、わからないはずなど無いことに、

あなたはもう気付くことが出来るでしょうか。

 

人類以外の存在は、太陽も月も星も、動物も虫たちも、花も木々も山も海も、

そしてあなたの周りの物質さえも、全てが「ただ在る」のです。

その「ただ在る」モノたちに支えられ、

神成るあなたのここでの様々な体験が可能となっているのです。

 

そして全ては神である全体が、様々なカタチとなって現れているに過ぎなくて、

それは無限の愛以外の何ものでもありません。

 

愛・愛・愛・愛・愛でないモノなどない・・・

神・神・神・神・神しかいない・・・

 

あなたは愛と神の真っ只中で遊び続けている、愛そのもので在る神なのですから・・・。

そしてそれを現し、自分自身で知り、神と成り行くには、

どうしたらいいのかも、あなたにはもうわかっていただけることと思います。

 

あなたが、ゲームの中でゲームから出て、キャラもアイテムもコントローラーも手放すとき、

無限のキャラ・無限のアイテム・無限のコントローラーが、

すでに、常に、永遠に在り続けることが見え始めて来るでしょう。

そして「ただ在る」ことの、本当の体感が訪れてくることでしょう。

 

私たちは以前、32・永遠の「いま」D で、永遠の「いま」にただ「在る」ワーク

をお伝えしました、しかし、それは単にゲームの中のコトバで伝えた

フィーリング・・・「こんな感じ」であって、

あなた自身の「ただ在る」体感に比べれば、きっと「ごとく」にしか過ぎないことでしょう。

 

そして、あなたが自分で「ただ在る」ことを掴み、

それをコトバで説明しようとした途端、

それはまた違ったものになってしまう事が、あなたにもやがてわかるでしょう。

 

さて、イエスはここで、

空の鳥のように、野の百合のように、この世界(ゲームの中)の全ての抵抗を隅々まで手放して、

あなた本来の「ただ在る」ことを現し続けることによって、

 

自分のいのち・・・

何を食べるか、何を飲むか、何を着るか・・・も、

それら全てが満たされること、・・・を伝えているのだと、あなたには感じられるでしょうか。

 


 

自分の子がパンを欲しいと言うのに、石を与える親がいるでしょうか。

魚を欲しいと言うのに、蛇を与える親がいるでしょうか。

 

愛については、今はまだ理解していないあなた方でさえ、

自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

 

ましてや、愛そのものである天の父が、

どうして、あなた方に良いものを下さらないことがあるというのでしょうか。


「ただ在る」神を現す

 

神は私たちに必要なものは知っている

神に祈る前にすでに答はもたらされている

・・・これは分離や時間の幻想を超えたならば、あなたにもきっと見えてくる感覚です。

(・・・Bコントローラーを置くC再統合・アセンションの自覚)

 

しかし、@投影宇宙の理解が無いうちは、

物事が何故こんな風に起こるのか、それを制御することはまったく不可能に思えて、

自分の人生に起こる物事に翻弄されてしまうことでしょう。

 

人はこの次元で何も望まずに生きることは大抵は不可能で、

見るもの、聞くもの、感じること、体験・経験、そして受け取る波動や情報・・・etc.から、

常にいつも何かを無イシキの内にも望み、求め続けているのですが、

 

自分のイシキに無イシキなうちは、投影宇宙に何を付け加えているかに無自覚であるが為に、

石や蛇のような、嫌なもの、欲しくもないモノが実現することになったりもします。

 

すると人は、神はすごくイジワルなのか、それとも神はすごくドジなのか、と思ってみたり、

神が与えた試練だ・・・と言ったり、あるいは神を恨んだり、神を罵ってみたり、

金輪際、神との関わりを断ち切ったり(・・・無神論になる)してきました。

 

しかし、本当のこととは全てが自分自身がやっていることだったとしたら、

それを知ったときには、きっと笑うしかない事があなたにも想像がつくでしょうか。

(イジワルも、ドジも、試練も、恨んで罵る相手も、関わりを金輪際断ち切る相手も

何もかもが自分自身だったなんて・・・、自作自演だったなんて・・・、と笑うしかない・・・)

 

そして、神(あなたの源・全体・ソース)は常に、あなたが決めた通りのことを、

ただ現し続けているだけで、(それは、生まれる前に決めたのかもしれないが)、

パンを欲しいと言うのに、石を与える・・・ことをしてきたのはあなた自身

魚を欲しいと言うのに、蛇を与える・・・ことをしてきたのはあなた自身

・・・だったことになるのではないでしょうか。

 

さて、やがてA投影宇宙の制御を知ったあなたは、

自分の思考をコントロールて、パンを欲しいならばパンを・・・、

魚を欲しいならば魚を・・・得ようとしますが、

そこでは、得てして、こういったことをしていることがあるかもしれません。

 

・・・・・・・・・・

あなたは書斎にいて、喉が渇いたので「台所に行って水を飲みたいな」と思います。

あなたは、「水を飲むこと」を望み、求めたわけです。

 

さて、ここで、あなたがもしも、「水を飲むこと」は実現させるのが大変だ

・・・と思って、成功法則を使って、それを実現しようとすると、どういったことになるのでしょう。

 

あなたはまず、自分がすでに台所にいて@、どんなコップがいいか思い描きA

蛇口から水を出すところも思い描きB、そのコップで水を飲んでいるビジョンを描きながらC

その満たされた感情を感じD、忍び込んで来る否定を見ないようにしてはねのけながらE

一生懸命に、水を飲むことを引き寄せてからF

 

「さあ、これできっと水が飲めるに違いない」と言って、

やっと立ち上がって水を飲みに行くのかもしれません。

 

しかし、もしもあなたが「水を飲むこと」は簡単だと思っているならば、

きっと、そんな七面倒臭いこと(七つの手順があるようなこと)なんかやっていないで、

さっさと立ち上がって、さっさと水を飲んで満足することでしょう。

 

あなたは、幻想のゲームの中で目隠しをしたまま(幻想を超えないまま)、

自分の人生(ゲーム)を、何とかコントロールしようとするのですが、

それが実際には、逆にこんな風にして実現を遠くさせてしまうこともあったのではないでしょうか。

 

それは、「大丈夫、絶対に水が飲めるから安心していよう」・・・と自分に言い聞かせながらも、

その後ろには完全には払拭しきれない恐れがあって、

 

「もしかして水が飲めないこともあるかもしれない、世の中そうはうまくは行かないものだ、

もしも水が飲めなかったとしても、決してがっかりしないようにしよう、

それでもやっぱり水が飲みたいから一生懸命頑張ろう、

 

ああ、いけない、いけない、水を飲む事に関してまだ疑いがある様だ、どうしてこうなんだ、

やっぱり完全に疑いがなくなるまで、ちゃんと引き寄せてから、行動に移そう(水を飲みに行こう)・・・etc.」

・・・などと言い続けているからではないでしょうか。

 

そして、「水を飲むこと」を当たり前のことにしてしまわないで、

それは、自分にとって特別のことで、重要なことで、難しいことで、すごいことで、・・・として、

無イシキの内に遠ざけてしまったりもしていないでしょうか。

 

しかし、実現させるものに難しいものも簡単なものも、本当は無い・・・とは感じられないでしょうか?

だって、ニ極性の二元論(明るい・暗い・・・簡単・難しい)とは幻想なのでしたね。

そして、この幻想のゲームの中で、

あなたが、決めた通りのことが起きているのだとしたら、(・・・実際にそうなのですが)

 

あなたの限定(コントロール)こそが、逆にあなたの体験を固定化してきたこと・・・

そして、自分の経験にそれが入ってこないようにと、

あなた自身が邪魔をしてきたとは、感じられないでしょうか?

 

しかしあなたは、一滴の海水(個)であるとともに、

全体である海(源・神・天の父なのですから、

 

自分が何を欲しいのか、望んでいるのか、どんな情報を求めているかは、

本当はいちいち言わなくても、自分でちゃんとわかっているはずなのです。

(・・・愛そのものである天の父(あなたの源)が、

どうして、あなた方に良いものを下さらないことがあるというのでしょうか。)

 

だからあなたが、自分(個)と自分の源(ソース・神・全体)を、

安心しきって、信頼しきっていること・・・、そのあなた本来の、ありのままの状態の

「ただ在る」神を現すこと・・・こそが、大切なのではないでしょうか。

 

あなたがやがて選択をして、

Bコントローラーを置くC再統合・アセンションの自覚へと歩み続けるとき・・・、

 

そして、あなたが、愛そのものである天の父(あなたの源)、

・・・「ただ在る」神を現し続けるとき・・・、

あなたにとっての「良いもの」は、ふんだんにやってくることでしょう。

 

何故なら、あなたこそが天の父であり、個を体験する神なのですから・・・。

イエスが語ったように、その天の父(自分自身)があなたに、

良いものを下さらないことなど、あるはずがないのです。

 

わたし達は、あなたに全ての執着を放下して、カスミを食べて、すごい聖人になって下さい

・・・と言っているわけではありません(もちろんそうしたければそうしても良いのですが・・・笑)。

 

あなたはあなたのままで良いこと、

あなたが自分(個)と自分の源(ソース・神・全体)を、安心しきって、信頼しきっていること、

そして、再統合・アセンション(すでに在る統合の自覚)なんて、

まったく特別なことでもなんでもないこと、

「水を飲むこと」くらいのことであること、(・・・あるいはそれよりも簡単かもしれない)

 

イエスだって釈迦だって、みんなあなたと同じ存在、兄弟姉妹であって、

分離は無いのだから、誰かより誰かが優れていることなどあり得ないこと、

(・・・右足と左足のお話を思い出してください)

 

だから、彼らや誰かにできた事が、あなたにだってできないはずなどないこと、

を知っていてもらいたいと思っています。

 

そして、あなたが本当にそうしたいと選択するならば、

あなたが体験し続ける、日常の中の小さな違和感にもちゃんと気付いて、

 

起こることをただ判断せず、ただ罪悪感を持たず、

記憶によって付け足してきたこと(様々な観念・囚われ・執着など)全てを、ただ手放し続ける

ことを続けていって頂きたい・・・と思っているのです。

 


イエスの体験はあなたのアイテム(ツール)

 

39・死を超えるF人生の十字架にてお伝えしたように、

イエスの「十字架の道」の選択と、その共有体験によって、

その後、イエスの身近な人々が再統合・アセンション(すでに在る統合の自覚)を選択し、

実際に成し遂げたように、今度は、まさに、あなたが選択する時が来たのではないでしょうか。

(・・・少なくとも私たちは、そう感じています)

 

人類が、あなたが、いつか読み取れるようにと、

イエスは「十字架の道」を選んだのだと、私たちは知っています。

(そのいつかが、「いま」なのかどうかも、あなたの選択です・・・)

 

イエスは十字架に架けられてなお、それを行った者達全てを瞬時に許しました。

それは、彼らが分離と時間と空間の幻想にいること、

ゲームの中で右往左往している幼子であること、

群れから離れた(神・全体との分離)羊であることを、知っていたからです。

そして、・・・

 

全ての抵抗を外し・・・何にも、誰にも、抵抗しない

幻想を超えて、恐れを超え・・・何も、誰も、恐れない

死を超え・・・死など無い・・・蘇りによって永遠のイノチを体現してもみせた

自己と他人のキャラ・アイテム・コントローラーを置いて・・・

何にも、誰にも依存しない・一旦死んで蘇り、イエスへの依存とパーソナリティーを手放させた

 

イエスが体現して見せた「十字架の道は、

フリーコントロール・無限がただ在る状態・・・のままに、

無限の愛を現し、人々に伝え続けた彼の生涯の中でも、

最高で最大で最後の大イベントだったのです。

 

人生ゲームならば、「チャーンス!!!」・・・と言う所だったのではないでしょうか。

実際に、後に語ったチャネリングの中で、(・・・下記にその本を紹介します)

「あらゆる体験の中で最高の体験だった」とイエス自身が語っています。

 

そして、あなたの経験や体験や知識に入ってくるものの全ての全ては、

それがたとえ、人類と共有しているように見えたとしても、

あなたが自分に使えるようにと選択し、召喚し、用意しておいたアイテム(ツール)なのです。

 

それがたとえ、イエスの「十字架の道」のように、

2000年前(時間幻想)に、遠い国(空間幻想)で、違う人々によって(分離幻想)、

行われたことであったとしても、全ての全ては、あなたが見る為、あなたが使う為に、

あなた自身が置いた、あなたの人生ゲームのアイテム(ツール)です。

 

あなたは、いま・ここに居ながらにして、(・・・自分が十字架に架からなくても)

イエスの「十字架の道」の体験から、あなたにとって役立つ真実を見て読み取り、

あなたの人生ゲームで、お姫様(源・神・全体)を塔から救い出すための、

アイテム(ツール)として使うことが出来るのです。

 

自分のビジョンを決して曲げなかったイエスだからこそ、その道を選択し、貫き通し、

いまも、そして永遠に、久遠に、決して「あなた」をほったらかしにして遠くに去ったり、

あきらめたりもしないでしょう。(ビジョンを曲げない性格なのですから・・・笑)

 

そうして、イエスと近在の方々の活動は、いまもなお、

あなたの見えるところ見えないところで続いているのです。

 

群れを離れて(分離の幻想)迷った、最後の一匹の羊(あなた)が群れに還る(アセンションする)まで、

よき羊飼いであるイエスの、人類の再統合(すでに在る統合の自覚)を促す旅は、

いまのいま、ここのここ、全ての全ての中(あなたの内と外)で続いているのです。

 


(本の紹介)

第二次大戦後1948年に、生まれつきのヒーラーであり、チャネラーでもある、

M・マクドナルド・ベイン氏をイエス自らが選び、

二千年前に語った真理の真実義を明かした・・・

 


許して愛して笑ってしまおう

 

人は聖者の体現したことを見せられても、

そしてたとえ自分もそう在りたい、成りたいと思っても、

日々の出来事の中に於いては、中々許して愛することが出来ないように感じます。

 

それは、そう在ろうとすること、そう成ろうとすることが、

逆に抵抗を生み、人々をそこから遠のかせてきたからではなかったのでしょうか。

 

また、この次元ではしっかりと幻想が効いている事と、加え続けた人間キャラの記憶

イシキの囚われなどによって、投影宇宙にさらなる混乱を足し続けることによって、

聖なる人々が生きて明かした、「愛と許し」に至る道を遠のかせてきました。

 

しかし、あなたは本来、愛と許しを体現する神であって、

その神が愛に見えない、到底許せないような出来事を通して、

それでもなお、それらを超えて、本来の自分自身を現す(顕かす)こと、

明かす(開かす)ことが、出来るかどうかをチャレンジしているのです。

 

あなたは、舞台を降りて談笑し合う役者たちを想像することが出来ますか?

「あそこでは、すごく良かったよ」「いやーまいった、演技なのを忘れるくらい没頭したよ」

「そうだね、君は入ってたよね、僕も危うく乗ってしまうところだった」

 

こんな光景が、イシキを死に移行した存在たちによって繰り広げられます。

(実際には言葉を介しません、瞬間にわかりあえるような感覚でしょう)

 

あなたはたくさんの配役を決め、彼らに「わたしをいじめて・・・」だの、「わたしを捨てて・・・」だの、

「俺の財産を奪って・・・」だの、「俺を裏切って・・・」だのと、頼み込んできたのです。

元々、愛そのものである存在たち(彼らも全て神なのですから、そうに決まっていますよね)は、

あなたの為に、あなたへの愛ゆえに、それを引き受けてやってくれたのです。

 

人類は全体としてゲームに変更を加え続け、体験を多様化し続けてきました。

始まりは、素晴らしいカラダにイシキを移し、

様々な幻想の中で体験をただ味わうゲームだったのが・・・、

@幻想を楽しむゲーム

 

幻想に埋没することで、神の様々な側面というデータを収集し続けるゲーム、

あるいは、成功法則や実現法則を知って、自分の人生をコントロールするゲームともなり・・・、

A幻想を使うゲーム

 

やがて、神成る自分自身を知って、現し、

アセンション・再統合(すでに在る統合の自覚)するゲームともなってきました・・・、

B幻想を超えるゲーム

@ABが重複したり、どれかだけの存在もいるかもしれませんが・・・)

 

そして特にAに於いては、自分の体験と経験の為に多くの愛なる存在たちに、

監督として配役をふっては、舞台の上で芝居をやり続け、終わっては(死に移行しては)、

笑いあって、「もう一回やろうよ!」と、子供のように何度も何度もゲームを繰り返してきたのです(輪廻)。

 

しかし、幻想の中で仲間たちと仲良くやっているゲームだと気付かないあなたは、

許しなさい、愛しなさい、と言われて・・・、「悪いのは世界であって、人類であって、世の中であって、

あの企業、あの政府、あの彼・彼女であって、・・・それなのに何もしていないのに、

何故?どうして?わたしばかりが、許して愛さなければならないのか・・・」

と、思ったりもすることでしょう。

 

しかし、何故?どうして?・・・の、その答はもう、あなたにはきっと解ることでしょう。

 

あなたがそれらのクリスタルを置いて、自分の愛と許しを計ってきたのです。

あなたが彼らに頼んで、彼らに悪役をやらせてきたのです。

そして、あなたのチャレンジ・・・あなたの内成る神の愛と許しを発動させない限りは、

それらを超えることも、彼らに悪役を降ろさせることも出来ないのです。

 

ですから、何も死に移行するのを待たなくても、

いまのいま許して愛して笑ってしまうことです。

 

そして、無理やり許そうとしなくても、愛そうとしなくても、

あなたがその感情や抵抗感やイシキの囚われをただ手放し続ければ、

やがて、あなたの内なる愛と許しのあなたの神が現れだすのです。

 

そして、あなたがもしもB幻想を超えるゲームを選択するのであれば、

あなたが現す愛と許しが、あなたの体験を変容・シフトさせてゆくことに成るでしょう。

 

「何故、いつも、わたしばかりが・・・」と、もしも思ったならば、

どうか、舞台を降りて談笑し合う役者たちを想像してみて下さい。

またイエスが苦難の道を歩んで示した愛と許しを想像してみて下さい。

 

イエスもまたあなたと同じように、人の子として生まれ、

迷いの末に内なる神を知り、あなたが使えるようにと、愛と許しを置き続けたのです。

 

イエスは、人は単に「生きてやがて死ぬ」・・・この世界だけの小さき存在ではなく、

誰もがもしもそうと望めば、イエスと同じように、

内在のキリスト救世主=自分自身を救うもの)を目覚めさせ、

 

神を体現して生きることが出来ること・・・を、人類全ての先達として示し、

例え何をされようとも「ただ愛する」・・・という、源(神・全体)と同じ、無償・無垢・無限の愛だけを携えて、

一人の人として、人間のカラダで、人間の生を、生きて見せたのです。

 

イエスの誕生・・・クリスマス・・は、人が運命に翻弄される、はかない存在などではなく、

自らの内に、すでに、常に、永遠に在る神を現し、人生を自分の手で掴み取り、

さらにはもっと高く、遠く、永遠へ、無限へ、久遠へと飛翔し続ける存在であることを、

 

人類全体に再確認させる為におかれた、

アニバーサリー(anniversary・記念日)と捉えることも出来ます。

 

しかしまた、あなたはどう在ろうとも、永遠に安全で安心なのですから、

実は、イエスにも私たちにも問題イシキはまったく無いのです。

(心配したり、恐れたり、困ったことだと思ったりはしていない)

 

ただ、あなたが召喚したからこそ、あなただけのために多くの悪役が配置されたように、

イエスもわたし達も、あなただけのために、

情報や使えるアイテムを提供しているのだ・・・と捉えることが出来ないでしょうか。

 

あなたはいつかどこかで、知りたい・進みたい・思い出したい・

限定から飛び出したい・拡大成長したい・・・と望んだのではなかったでしょうか?

 

そして・・・、

あなたの神(源・全体)は、あなたに必要なものは知っている・・・のです。

あなたの神(源・全体)に祈る前に、すでに答はもたらされている・・・のです。

 

あなたは自分を小さき存在と思っているのかもしれませんが、

あなたは、全ての存在の注目の的であり、あなたの想いは常に届いていて、

あなたの祈りが聞かれない事など決して無いのです。(だって、分離は無いのですから・・・)

 

全てはその人が求め、望み、召喚し、用意した人生ゲームを超える為のアイテムであるのに、

人はそうとは気づかずに、「自分が求め、もたらされた答」を、海に投げ捨て続けてきました。

33・死を超える@海に捨てられた豆

 

しかし、あなたはどうか、自分にもたらされた恵みを、

(それは、試練のカタチとして現れ、恵みに見えないこともあるかもしれないが・・・)

見て取って使って、それらを「海に捨てた豆」にしてしまわないで頂きたいと思います。

 


人類の全体としての波動が高くなると、

クリスタルチルドレンと言われる存在が生まれてくると言われています。

 

彼らは、自らまとってきた波動のままに、愛と許しを現して生き、

人類に手本を示しながら、人類の先達となって全体の波動上昇を助けることでしょう。

(それを手本とするか、抵抗するかは、あなたや人類の選択ですが・・・)

 

(他にも、レインボーチルドレン・インディゴチルドレンと呼ばれる存在もいる

詳しくはこちらで・・・エンジェルセラピー(ドリーン・バーチュー)

 

彼らは決してあなたよりも優れているというわけではなく、

(分離は無い、同じ右足と左足、同じ源の兄弟姉妹)

ただ、人類の波動上昇の流れを受けて、精妙な波動をまとったままで、

この次元に来ることが出来るようになったということです。

 

そこに比較は存在しませんが、もしも比較を使って言うならば、

あなたの方がずっとギャップが大きいので、

愛と許しに対するチャレンジ度が高いということになるのでしょうね・・・(笑)。

 

クリスタルチルドレン

 

 

 

BRAVE!

憎しみも涙に代えて

許せる勇気もって生まれてきたんだ

 

BRAVE!

怒りさえ歯をくいしばり

飲み込む勇気持って生まれて来たんだ

 

LOVE!

このほし(地球)を 光で 満たす

心の愛を 持って 生まれたんだ

 

LOVE!

このほし(地球)を 光で 包む

祈りの愛を 持って 生まれたんだ

CRYSTAL CHILDREN


あなたの役に立つこじつけ

 

私たちはあなたのアセンション・再統合(すでに在る統合の自覚)を即す為に、

イエスの語ったことを、私たちなりの捉え方と切り取り方で見て、お伝えしてきました。

 

しかし、それらはコトバを変えてみれば、ゲームの中の単なるこじつけにしか過ぎません。

例えばなしを色々と解説してみせても、それは、あくまでも単にひとつの捉え方にしか過ぎないでしょう。

 

あなたはこう言うと、肩すかしをされた様に感じるかもしれませんが、

しかし、この次元はゲームなのですから、たとえそれがこじつけであろうとも、

神成るあなたを現すために役に立つこじつけならば、

それをあなたの変容の為の重要なアイテムとすることも出来るのです。

 

そして、目的(あなたが神だと目覚める・すでに在る統合の自覚)が果たせるのならば、

無限の捉え方の中から、ひとつの見方を示してみることも

役に立ったことになるのではないでしょうか。

 

ですから、あなたもあなたなりの見方であらゆることを見て取って行って下さい。

それは常に、あなたの役に立つ見方、捉え方、感じ方を採用し、

あなたの為に、役に立つこじつけをしていっていただきたいと思います。

 

それを価値あるモノにするのかどうかは、全てあなたの捉え方次第なのです。

そして、人生の一瞬一瞬には、ひとつたりとも無駄は無いのです。

それは日常のありふれた瞬間のその全てが、あなたの冒険の旅であり、無限の万華鏡なのです。

 

あなたが「ただ在る」ことを体感できるように成ったとき、

人生の中の小さな体験のすべてが、この上もなく大切であることもわかり、

またそこに留まることもなく(執着がない)、流し続けながら次成る体験へと歩み入り(囚われない)、

 

また時間に対しても、焦ったり持て余したりして気にすることもなくなり(自然界と同じように在る)、

この次元に於ける、様々な体験を十全に楽しめるようになることでしょう。

 

しかし、あなたがそれを誰かに伝えようと思っても、

その体感はきっとコトバに出来ないように感じることでしょう。

 

多くの存在たちが、この次元、この世界で生きる人生の、

日常のその一瞬一瞬の美しさ・尊さに気付かぬままに、この次元での体験をやり過ごし、

イシキを死と言われるものに移行してからやっと、それらのことを理解して、

 

もっと全ての人々やモノや出来事に、感謝して生きればよかった・・・、

もっと限定を飛び超えて自由でいればよかった・・・、

もっと友や人々を許して愛し続ければよかった・・・、

 

そして、次こそは純粋に、自然に、在るがままで、幼子のように、体験・経験を楽しもうと決めて、

この次元にイシキを投影しては、再び幻想の中で幻想に囚われ、

その感覚を掴みとることが出来ずに、輪廻転生を繰り返してきました。

 

しかし、今回のこの生(聖)を生きているあなたには、

限りなく美しいこの星(地球)の、素晴らしい体感を味わえるこの次元(見える領域)で、

全てが愛成る神(天の父・全体・源・ソース)の現れで在る・・・、その真っ只中で、

 

あなたの素晴らしい精密なそのカラダをまとって、

一つ一つの体験を大切にして、愉しくアソビながら、

決して焦ることもなく・・・(無時間なのですから・・・)、

 

ただ、個(子)を体験する愛成る神として在り続け・・・(無分離なのですから・・・)、

一歩一歩アセンション・再統合(すでに在る統合の実感)へと、

歩み続けていただきたいと思います。

 


ガイドたちが伝えること

 

私たちがお伝えしているこれらのお話の、始めから終わりまで、

また他の誰かや何かのどんな瞬間のどの話も、

全てはあなたが、それを採用するかどうかを決めなくてはなりません。

 

それは、決して責任を取らない為に言っているのではなく、

あなたが誰かや何かに頼っている限り、ゲームの中からは出られないからなのです。

 

そして、あなたが全てへの依存を手放す為には、自分で知り行く習慣をつけなければなりません。

あなたの真実はあなたが決め続けなければならないのです。

 

もしもわからないと感じた時は、その「わからないという想い」をただ手放し続け、

バックバーナーにかけておく事です。

あなたの波動を調整しながら、見えない存在たち(あなたにもすでにいるガイドたち)が、

様々な側面からあなたにヒントを与え続けています。

 

あなたはすぐに知りたくて、うずうずするのかもしれませんが、

その焦ったり、苛ついたりする気持ちこそが、ガイドたちの知らせを受け取ること、気付くこと、

あなたが腑に落ちる答を得ること、納得してすっきりすることを遠くしているのです。

 

常に開かれていること、子供心を持ってスナオで在る(主直・・・あなたの内なる主に直結している)こと、

リラックスして、安心していることが、あなたが知り行く為のキーと成るでしょう。

それは常にゆっくりと、醗酵を待つような気持ちで、時間をかけて熟成させることです。

 

あなたの気付きや成長拡大、再統合(すでに在る統合の実感)のために、

ガイドたち(守護霊やハイヤーセルフやインナーチャイルドなどといわれている部分)が、

あなたが生まれた時からずっと、この投影宇宙を使って、

様々なシチュエーションを用意してきました。

 

あなたはたった一人でここに来たのではなく、常に多くの見えない存在たちに守られているのです。

彼らは片時も離れずあなたの人生を共に歩み、あなたの成長拡大を見守っています。

 

彼らも私たちも、あなたとの約束を果たす為に、ここにイシキの焦点を当てています。

そして、あなたが成長拡大し再び知りゆくことが、彼らと私たちの喜びとなるのです。

何故なら分離はなく、あなたはガイド役を引き受けた私たちの右足や左手であって、

わたし達は皆ひとつのカラダ、ひとつのイシキ、ひとつのイノチの愛成る表現だからです。

 

このガイドたちが伝えよう、教えようとするとき、次のようなことが多くあるでしょう。

「重なる」(同じようなことが、又はコトバやフレーズや数字が)

「サプライズがある」(何らかの日常と違う感覚の体験)

「感情の揺れがある」(良いにしろ悪いにしろ気分が動く)

 

そして、そのことがヒントとなって、もしもあなたがそこに気付き、イミが見え掴めてくると、

ハイパージャンプできることもあることでしょう。

 

あなたは自分のイシキの何が引っかかりになっているかに、中々気付きにくい側面があります。

あなたが気付くことによって、それらのイシキの限定・固定化や

囚われ・執着・未だ持ち続けていたことなどから、あなた自身が解放されてゆくのです。

 

腑に落ちる感覚、これだと全細胞が告げる感覚、琴線に触れる感覚に、

ちゃんとイシキ的になって気付いていてください。

 

あなたが見ようと思えば、あなたが見ること、味わうこと、

あなたの投影宇宙で起こることの、その全てが教えるのです。

体験はすべて、「いま・自分の持っているイシキの現れ」・・・、なのですから・・・。

 

あなたは全てをアイテムとし、全てを教師として使い続けることが出来るのです。

それには、自分も他も批判することなく、罪悪感を持つことなく、ただ見て取り続けることです。

あなたの投影宇宙に現れるどんな存在(遅れている、開かれていない、右往左往している、

悪と言われる表現をしている、・・・etc.)の人生や言動からでさえも、

 

またあなた自身がふと口にしたことや、無意識に取った行動からも、

あなたがふと思い出した過去や、誰かとの話題に登った事柄からも、

もしも見て取るならば、全てはあなたに様々なことを教えているのです。

 

そして、それ(投影宇宙を見て、取って、使って、再統合すること)こそが、

あなたの本当の冒険なのですから・・・。

 

やがて、あなたが「ただ在る」体感を感じられるように成ったならば、

あなたが「ただ在る」だけで、「ただ在る」あなたがそのまま誰かと共にいるだけで、

教えようとしなくても、その波動は彼・彼女たちに伝わることでしょう。

 

それは、あなた自身が、自然と同じように、花のように、木々のように、風のように、

小鳥のように、「ただ在る」波動を醸し出し始めたからであり、

それが関わる人々の、その内なる「ただ在る」部分を呼び覚まし、

 

彼らは自然の中にいるような、あるいは幼子や、子犬や子猫と共にいるような、

やすらかなくつろぎ感や、気持ちの良いフィーリングを感じ始めるからです。

その時、あなたは何もしなくても言わなくても、カラダをまとったガイドとなるのです。

 

ですから、あなたが「ただ在る」ことを感じ始めたなら、

人との関わりや出来事や様々な日常の仕事などをする時、

その「ただ在る」状態から出て、それらに対応しようとする必要はありません。

 

あなたが「ただ在るで居続ける」と決めれば、始めは少し練習がいるかもしれませんが、

それ(ただ在り続け、すべてを体験すること)は可能なのです。

 

そしてあなたの投影宇宙は、あなたが「ただ在るで居続ける」ために、

あなたのイシキの隅々の小さな不協和音も見せ続け、

あなたが気付いて、それらを手放す為に役立ってくれるでしょう。

(さらに精密チップと成って、不協和音はあなたにとって

苦しく感じられることもあるかもしれませんが・・・)

 

やがて、あなたの内なる神が現れだすとき、

あなたは素晴らしい働きをしてくれ続けるこの投影宇宙に、感謝を感じることでしょう。

 

投影宇宙のお話は、今回で終わりとなりますが、

これらを読んでいただき、あなたが自分に起こることに、めげないで、がっかりしないで、

批判しないで、罪悪感を持たないで、・・・

ただ手放し続け、自らの体験を変容し続け、歩み続けて頂けたら・・・と、私たちは感じています。

 

すべてはあなたの創造です。

だからリラックスして楽しんで、

おそれや不安が顔をのぞかせたら、深呼吸をして吐く息と共にただ手放して、

宇宙はいつもあなたの味方で、あなたを愛し、あなたを守っています。

あなたはどんな時も安全で、安心で、

何があろうとも傷つくことなどありえない永遠で完全な存在なのですから・・・。

 

ガイドより・・・



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